「事実」とことばとの関係を研究する学問がある。「一般意味論」といわれるものである。この学問の権威であるアメリカのS・I・ハヤカワ(日系二世)は、日本に来たとき、つぎのように述べた。
「事実にもとづいて議論をするばあいには、共産主義者と保守主義者のあいだでも、意見の一致をみること
ができる。ところが、事実にもとづかないでことばだけで議論をすると、たとえ共産主義者同士、保守主義
者同士でも、意見の合わないことが生じる。」
一般意味論では、意見が食いちがったときは、ことばの段階での話しあいをやめ、「具体的事実」の検討に移れといわれる。ここで、「事実」というのは、観察されたことがらを指す。
2004年2月17日、18日、19日の三回にわたり、『朝日新聞』夕刊に連載された「転換古代史」という記事は、有力そうに見える「意見」によりそって書かれているだけで、その大すじの内容のほとんどが、「事実」にもとづいて書かれていないと思う。
この特集では、その記事内容が、「事実」によっていないと思われる根拠を、具体的に一つ一つ示したつもりである。
一般に、新聞については、客観的報道を行なっているとの、読者の期待がある。
「転換古代史」の執筆者たちは、「質問」の一つ一つについて検討し、「意見」よりも、「事実」にもとづいて具体的に答えてみていただきたい。
「事実」にもとづかない議論の横行が、古代史や邪馬台国についての論争に混乱をもたらしていることは、これまでに本誌で、くりかえし指摘してきたところである。
消費者からクレームがついたばあい、製造した会社が誠実に対処することを、新聞は常々求めている。
新聞社もまた、例外があってはならないと思う。
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