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徳間文庫
邪馬台国への道

邪馬台国への道

新井白石、本居宣長以来、二百数十年に わたって続けられてきた『邪馬台国論争』
著者はコンピューターを駆使し、数理 文献学の立場から、紀・記を分析、解明、 さらに考古学的知見を基底に、「魏志・倭人 伝」を読み、神話と史実とのつながりを明ら かにし、《邪馬台国東遷説》を主張した。本 書は、科学的な検証によって卑弥呼と邪馬 台国の実像に迫ろうとしている。
三世紀の 日本が今、よみがえった。。
     


 本書「おわりに」より

  1

現代の科学方法論においては、仮説の任意性が主張されている。議論の出発点となる仮説は、 仮説としての条件さえ満たしていれば、一応、どのようなものであってもさしつかえないとさ れている。そして、ある仮説を設定したところ、その仮説が、多くの事象についての、十分矛 盾のない説明体系を導出しうるのであるならば、もとの仮説は、一応、うけいれるべきである とされている。
  1. さまざまな現象、事実がある。
  2. いま、ある仮説を真とすれば、そのさまざまな現象、事実がうまく説明される。
  3. それゆえ、その仮説を真としてみる理由がある。
これは、ドイツのヒルベルトの説いた公理論以後、アメリカのC・S・パース、ノーウッド・R・ハンスンなどによって発展させられ、現代の科学方法論の主流となりつつある見解である。

ギリシア、ローマの事例や、聖書の事例に照らしあわせるとき、『古事記』『日本書紀』の伝 えるわが国の神話、伝承も、古い時代の史実をつつんでいるのではないかとする仮説は、有力 なものとされても、ふしぎはない種類のものであると考えられる。

私のこの本は、この仮説にもとづく探究を徹底的にほりさげてみたものである。

私のえた結論は、次のようなものである。

「卑弥呼のことが伝承化したのが、天照大御神であり、邪馬台国のことが伝承化したのが、 高天の原である。そして、邪馬台国=高天の原のあったのは、北九州の夜須町、甘木市ふきんであった。」

いまいちど、このような結論をみちびきだした推論のすじみちをまとめてみよう。すると、 つぎのようになる。

わが国の古代のことを記した『古事記』『日本書紀』には、天皇の系譜が記されている。そ のため、ある人がある人の何代まえの人かはわかる。

そこで、実年代がはっきりしている古代の諸天皇についてしらべてみた結果、古代において は、かなり長期間にわたり、天皇一代の平均在位年数は、約十年で安定していることがわかっ た。

この平均在位年数を用いて、用明天皇から三十五代まえ、雄略天皇から二十五代まえの天照 大御神が活躍していたのは、西暦何年ごろであるかを推定してみる。

すると、天照大御神が活躍していた時期は、『魏志』「倭人伝」に記されている倭の女王卑弥 呼が活躍していた時期と重なりあう。

天照大御神は、卑弥呼であると考えてみる。

すると、記紀によれば、天照大御神が活躍していたのは九州であるから、卑弥呼が都した邪 馬台国は、九州にあったことになる。

すなわち、
  1. 『古事記』神話にあらわれる地名の統計では、九州地方がもっとも多く、山陰地方がそれ につぐ。『古事記』神話のおもな舞台は、九州と山陰であるといえる。
  2. 『古事記』神話には、古くからの伝えと考えられる確実な幾内の地名は、一例もない。
  3. 『古事記』神話には、葦原の中国に関する記述が、すべてで十三例みられる。このうち、 「葦原の中国=山陰地方」と考えて、矛盾を示す文例は、一例もない。そればかりではな い。「大国主の神が治めている葦原の中国」と明記されている文例もある。
  4. 「葦原の中国=山陰地方」とすれば、「高天の原=九州地方」がみちびきだされる。
  5. したがって、高天の原=邪馬台国=九州地方」となる。
さらに、つぎのようなことがいえる。
  1. 地名は、年月の経過にたえて、昔の地名のままに残ることがきわめて多い。甘木市を「夜 須川(安川)」が流れているが、これは、日本神話にあらわれる「天の安の河」と関係が あると思われる。この地は、『日本書紀』『延喜式』『和名抄』にみえる「安」「夜須郡」の 地である.
  2. 甘木市のまわりの地名と、幾内の大和のまわりの地名は、きわめてよく一致している。こ れは、九州から大和への大きな集団の移動があったことを思わせる.
  3. 甘木市のふきんは、交通路からみても、弥生遺跡の分布や、推定される人口の分布などか らみても、北九州のほぼ中心に位置する.
  4. 甘木市の近くにも、「香山」が存在する。「安の河」と「香山」とは『古事記』神話中に、 それぞれ、七回と六回あらわれ、『古事記』神話中、もっとも頻出する固有名詞的地名で ある。この二つが、セットの形で、「甘木市」の近くに存在する。これは、大和でも、他 の地方でもみられないことである。
  5. 甘木市の「馬田」という地名が、「邪馬臺」の残存地名ではないかと思われる根拠がある。
  6. 甘木市ふきんの地理的条件は、『古事記』に記されている高天の原の地理的条件とかなり よく一致する。
また、『魏志』「倭人伝」の記述からえられるつぎのような事実も、邪馬台国が九州にあった ことを支持する。

「『倭人伝』に記されている地名のうち、所在のはっきりしている地点間の距離を地図上で 実際にはかれば、『倭人伝』に記されている一里は、現在の九十〜百メートルていどにしか ならない。

帯方郡から女王国までの距離は、一万二千里であると記されている。一里を九十メートル ていどとすれば、女王国は北九州の範囲に求めるべきである。」

『魏志』「倭人伝」に記されている女王の時代は、『古事記』『日本書紀』の神話の時代と重な りあい、一つの事実を語っていると考えられる。

筑後川のたまものとして、三世紀に勃興した邪馬台国は、この世紀の終わりに、倭王神武に ひきいられて東遷し、大和朝廷となった。

卑弥呼、すなわち天照大御神は、いまなお、甘木市ふきんの岩戸の下に、太古の夢を結んで いるのであろうか。そのうちに、だれか日本のシュリ−マンがあらわれて、女王の夢を擾すの であろうか。いつの日か、女王の夢をつつむ千七百年の霧をはらって、古代邪馬台女王国は、 ふたたび地上に姿をあらわすのであろうか。
  2
ここで、卑弥呼と邪馬台国との探究にあたって、私が、この本でとった方法についてのべて おきたい。

それは、ひとくちでのべるならば、数理文献学や、内容分析学の方法である。

数理文献学については、拙著『数理歴史学』(筑摩書房刊)のなかで、ややくわしく紹介し たことがある。

数理文献学は、文献中にあらわれる特定の語の頻度を数えたり、種々の文体特徴を統計的、 数理的に分析し、それによって、文献の伝えている情報内容を、客観的に探究する学問である。

また、内容分析学とは、シカゴ大学社会科学教授のベレルソンによれば、

「伝達内容を分析するための、客観的、体系的、数量的な方法である。」

内容分析の源の一つとして、コミュニケーションについての研究があげられる。これは、は じめ、アメリカの新聞の内容を研究するために、ジャーナリズム研究者によって用いられた。 のちには、主として、社会学者、社会心理学者の手によって発展をとげた。

第二次大戦中に、アメリカでは、国会図書館に、戦時コミュニケーション実験研究部 が設置され、とくに敵国の 出版物の研究が行なわれ、内容分析学の確立をみた。

数理文献学が、一般に、過去の文献(主として古文献)を分析することが多いのに対し、内 容分析学は、一般に、現代の、新聞、雑誌など、ジャーナリズムの文章などの伝達内容を分析 することが多い。

しかし、共通の特徴もある。それは、数量的、数理的な記述を行なうことである。

現在、数理文献学や、内容分析学には、統計学や確率論、情報理論、多変量解析論などが導 入され、コンピュータの利用などは、ふつうのこととなっている。

組織的な、数量化の手続きをへることにより、主観的な判断の余地は、小さくなる。本質的 なものがうきぼりにされ、法則は、みいだされやすくなる。そして、得られた知識は、もっと も集約して記述されるようになる。

『魏志』「倭人伝」、『古事記』『日本書紀』などについての、これまでの方法による研究は、ほ とんど行なわれつくしたといってもよいだろう。新しい方法なくしては、飛躍的な知識の増大 は、もはや望めない段階にきている。とくに、卑弥呼問題や、邪馬台国の位置についての問題 などは、系統的、組織的な方法によらないかぎり、解決不可能なところまできているといえる。

私は、この本のなかで、『魏志』「倭人伝」、『古事記』『日本書紀』などを通じて行なわれた、 過去の世代から現代の世代へのコミュニケーションの内容を、数理文献学、内容分析学など、 情報科学の立場から、分析整理した。爽雑物をのぞき、法則をみいだし、矛盾は尖鋭な形で とりだそうとした。そして、矛盾を止揚して議論を発展させ、結論をみちびこうとした。この ような操作を、意識的にくりかえして行なった。すなわち、自然科学に、きわめて近い立場を とったといってもよいだろう。

私は、数理文献学や内容分析学が、邪馬台国問題を、すくなくとも文献学的に解決するため の、きわめて有力な方法であると考えている。

数理文献学や内容分析学の立場からみるかぎり、「邪馬台国腿九州説」は、「邪馬台国"畿内 説」にくらべ、ほとんど、決定的に有利であるようにみえる。だれが行なったとしても、この ような立場からするかぎり、この結論は動かないであろう。

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