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江戸の「邪馬台国」 柏書房

江戸の「邪馬台国」

本居宣長『馭戎慨言』 →「邪馬台国=九州説の提唱者
鶴峯戊申『襲国偽僭考』→卑弥呼は南九州襲国の王
近藤芳樹『征韓起源』 →「邪馬台国」は肥後の国の山門
山片蟠桃『夢之代』  →北九州説・畿内説をともに否定

九州説のルーツを探る。
江戸時代の俊英たちの「邪馬 台国」論が今ここに甦る。


あとがき
日本の科学史の本を読んでいたら、つぎのような話がのっていた。

江戸時代のある砲術家は、大砲の弾の弾道をしらべるために、建具師にきわめて大きな障子をいくつも つくらせ、その障子を、一定間隔にたてておいて、そこへ、大砲の弾をはなった。

この実証精神は、なかなかなものである。あと、この弾道を数式であらわすことができれば、西欧の科 学と完全に並ぶものとなる。

私たちは、学術の発展が、江戸時代と明治以後とは不連続であって、明治以後になって、学術が飛躍的 に伸びたような先入観を、しばしばもっている。

しかし、多くの学術分野の研究史をくわしくしらべてみると、このような先入観は、ほとんど誤りである。

西欧の学術なども、意外にはやくわが国に紹介されている。

山片蟠桃の『夢之代』を読めば、山片蟠桃が、実測天文学をならい、地動説はおろか、ケプラーの第三 法則も理解していたことがわかる。山片蟠桃は、そのうえで、独自の天文理論を展開している。

『呵刈葭(あしかりよし)』で、本居宣長の皇国史観を批判した上田秋成は、 オランダの地図で、わが国をさがしてみれば、わが国は、広い広い池の面に、ささやかな一葉を散 らしたような小島である。なんでこの国が全世界の中心であろうか。

とのべている。上田秋成は、世界地図も見ているのである。

バ寺子屋などの普及度も高く、識字率も、世界的にみて高いほうであったとみられる。

本居宣長は、皇国史観の立場にたっており、その立脚点には、神がかりしたところがある。それにもか かわらず、その著『古事記伝』は、客観的かつ冷静な態度で執筆されており、その参照し、調査の及ぶと ころの該博周到なことに驚かされる。

そのうえ、本居宣長は、現代の平均的学者が及びもつかないほどの漢学の素養をもっていた。

『古事記伝』は、本居宣長が、三十五年の歳月をかけて完成した著述だけあっ て、『古事記』の注釈書として、現在でも全体的に、『古事記伝』を抜くものはあらわれていないといっ てよいであろう。

アフリカのある地域で、義務教育が行われたが、生徒たちは、学校を卒業して五年もたてば、文字をき れいさっぱりと忘れてしまう、という話を、本で読んだことがある。その地域には、新聞もなければ、本 もない。使うことがなければ、五年もたてば、砂漢に水が吸いとられるように、学校で習ったことは消え てしまうというのである。

わが国の国情は、そのような地域とは異なっている。

古代史研究、邪馬台国研究なども、江戸時代からの流れをみなければ、全体の筋が見えてこない。 明治の古代史研究家たちは、江戸時代の学者の見解をふまえたうえで、自説をのべているのである。 現在の邪馬台国論は、里程論、語釈論、年代論、人口論、風俗論などに、しだいに細分化され る傾向をみせている。

さいわい、柏書房からは、この本につづいて、邪馬台国位置論についての鍵をにぎるとみられる「邪馬 台国人口論」の本を刊行することになっている。

そのような各説にはいるまえの総論として、この本は意味をもちうるであろう。

なお、最後になってしまったが、この本の刊行にあたっては、編集部の高濱正憲氏、池上泉氏、山田剛 彦氏に大変お世話になった。記して謝意を表する。

1991年5月6日              安本美典



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