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邪馬台国見聞録

邪馬台国見聞録
古代史の全体像を把握するには、先人の研究 から導き出される“パラダイム、(ものの見方) についての知識が必要である。

この考えから、著者は邪馬台国について、日本古代史上代表的なパラダイム四つをあげ、さらに数理文献学の方法を駆使し、科学的検証を展開する。

本書は、「邪馬台国東遷説」というパラダイムの船 に乗り、卑弥坪の宮殿へ探険に出かけた著者の、 日本古代世界への案内書である。書下し。
     


はしがき
マルコ.ポーロの『東方見聞録』は、いまから、およそ、600年以上まえに書物になった。 この本は、当時のヨーロツパでもっとも進んでいたイタリアにおいてさえ、奔放な空想の産みだした「おとぎばなし」とされ、「でたらめ物語」といわれ、マルコ・ポーロは、「おおウソつき」と呼ばれたという(岩村忍著『マルコ・ポーロ』岩波新書)。

しかし、マルコ・ポーロが死んで100年もたつと、この本の評価は大きく変わる。この本は、当時のヨーロッパにおける唯一無二の「世界案内書」となり、航海者、貿易商人、地図製作者、学者などの宝典となり、「真理の泉」とさえよばれた。
知識が進むにつれ、多量の真実を含み、ポーロが、さかんな好奇心と、鋭い観察眼とにめぐまれた人物であることが、あきらかになってきたからである。

この本は、私が見てきた日本古代世界の「案内書」である。 このふしぎな、古代探険の物語を、信じることのできない人々も、多いであろう。
しかし、私もまた、世々の冒険者と同じく、この本が、いつか、「真理の泉」となることを疑わずに、後の世のために、書き残すのである。


はじめに
友よ。

わが国のなりたちや、日本民族の生成について知りたいと、熱い心をもっておられる 友よ。

私は、そのような方々のために、この本を書こうとおもう。
私は、これまでに、何冊かの、古代史関係の本を書いてきた。
しかし、私は、この本を、これまでとは、異なった文体(スタイル)で書こうとおもう。

これまで、私は、古代史関係の本を書くにあたっては、客観的な認識をめざすことを心がけてきた。あたうかぎり確実なデータをあげ、文体は、明蜥で、正確であることを、モットーとしてきた。

古代への情熟は、客観的認識をもたらすための推進力としてのみ存在するように、文章の表面に情熱のあらわれることは、極力さけるように、心がけてきた。


しかし、今、私は、新しい冒険を行なおうとおもう。
私は、この本を、むしろ、情熱の書として書きたいとおもう。

私が、情熱のみをこととし、正確さを無視するタイプの人間ではないことは、これまでに著した書物のいくつかに目を通されたかたには、御了承いただけるのではないかとおもう。
そのような私が、なぜ、情熱の書にとりくもうとするのか。正確さを、多少犠牲にしてでも、イメージと心情に訴えるべく、ペンをとろうとするのか。


第一の理由は、私たち奮りまいている独断(ドグマ)と思いこみの闇は、なお、厚く、重く、暗く、正確さや客観性のみを主要な武器として戦ったのでは、私の目ざす古代史における科学性や論理性といったものさえ、独断の闇に、呑みこまれてしまう危険性があることである。

独断は、強力な情熱をともなって、人心をゆり動かすことができる。そのことは、人類史上において、きわめてしばしば見られている。
第二次世界大戦中に、わが国を吹き荒れた皇国史観も、世界を動乱の渦に投げこんだナチズムも、ともに、強力な情熱をともなった独断であった。

「独断は、いつかは滅び、正義や理性は、いつかは顕現される。」と、心ある人々はおもう。 しかし、そう思っているだけでは、正義や理性が顕現されるまえに、独断は、数百万人の人々の血を吸いつくすのである。

独断と戦うためには、その独断に劣らぬだけの情熱を、当方も、そなえていなければならない。

「科学」というものは、人間の思考の形式のなかでは、やや特殊なものである。鮮明な形の近代科学が、ヨーロッパ以外の地では生まれなかったのは、その特殊性による。そして、科学の歴史は、人間の「独断」との、たえざる戦いの歴史であった。

私は、わが国の古代史の解明を、今なお覆っている数々の「独断」を目のあたりにして、慄然とする。
しかし、私は、戦わなければならない。それらの「独断」の本質を明らかにし、それらの「独断」と同じだけの情熱をもって、あるいは、それ以上の情熱をもって、戦わなければならない。
古代史における「科学性」というものを、しつかりと顕現させるために、私は、戦わなければならない。

以上が、このような本を書く、第一の理由である。



私が情熱の書を書こうとする第二の理由を述べよう。

私は、これまで、本を書くさいに、確実なデータなり、根拠なりのあげられることについてのみ述べ、それ以上の推論を述べることは、意識的に避けてきた。
確実なデータや根拠にもとづいて、「おそらくはこうであったであろう。」と思われるようなことについても、できるだけ、述べるのを、ひかえてきた。

それは、確実にいえることの範囲でも、かなりなことがいえるのであり、不正確な推論は、できるだけさけたいという気持があったからであった。


しかし、このような叙述の方法では、私の頭のなかにある古代史像や、古代についてのイメージというものは、私には、かなりはっきりしていても、読者には、十分につたわらないうらみがあった。
私の本を読んで、やや隔靴掻痒の感をいだいた読者も、おられるようである。

この本では、多少の正確さを犠牲にしても、私の頭のなかにいだいているイメージや判断などを直接読者にお伝えしてみようとおもった。
かえって、そのほうが、私のあげているデータなどの意味も、理解していただきやすくなると考えた。

個々の資料をつみあげて全体像を構築して行くのも、ひとつの方法であるが、逆に、全体像をさきにイメージしていただき、そのうえで個々の資料の意味は、その全体像に照らして、つかんでいただく方法もある。

この本では、全体像をつかんでいただくことを優先することとした。
その全体像をつかんでいただく方法としては、イメージとか情念とかを媒介とすることもさけないことにしたのである。

人は、多くのばあい、理論的になっとくするばかりでなく、心情的になっとくしえて、はじめてある考えを、了とするのである。


以上が、このような、私としては新しい文体(スタイル)の本を書く理由である。

願わくば読者、知と情と意とをもって、この本に接せられんことを。

1992年7月
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