《論点Z》
中国人は、九州を北、畿内を南と思っていたのか。
1402年に、朝鮮にできた地図では、九州が北に、畿内が南になるように描かれている。
古代中国人も、日本をそのように認識していたのだ。
北九州から南に向かうとは、畿内のほうへ進むということだ。
「Mの道へ」
15世紀の外国文献には、時代も場所も邪馬台国からはなれている。
国内文献以上に信頼できない
「Nの道へ」