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邪馬台国は、どこにあった?


九州説 

  邪馬台国は九州にあった!  >>

畿内説 

  邪馬台国は畿内で決まり!  >>

邪馬台国の候補地
  • 博多湾一帯
  • 筑前甘木朝倉
  • 筑前島原
  • 筑後八女
  • 筑後山門
  • 筑後川流域
  • 豊前京都郡
  • 豊前宇佐
邪馬台国の候補地
  • 奈良盆地一帯
  • 大和三輪山
  • 大和郡山
  • 大和纒向
九州説を支持する人々
  • 新井白石
    「外国之事調書」邪馬台国を筑後国山門郡に比定
  • 本居宣長
    「偽僣説」卑弥呼は、神功皇后の名を騙った九州の女酋長
  • 白鳥庫吉(東京帝国大学)
    「短里説」
  • 東京大学系の研究者、文献学者、小説家、歴史愛好家など
    文献解釈を中心とする人が多い。
  • 那珂通世、久米邦武、榎一雄、森浩一、宮崎康平、安本美典、奥野正男、古田武彦、松本清張、高木彬光、黒岩重吾
 
畿内説を支持する人々
  • 「日本書紀」の編者たち
    ・邪馬台国は神功皇后の時代
    ・女王卑弥呼=神功皇后
    ・神功皇后は畿内大和にいた。
  • 北畠親房(南北朝時代)
    「神皇正統記」卑弥呼=神功皇后、 邪馬台国=畿内大和説。
  • 内藤湖南(京都大学)
    倭人伝の「南」を「東」とする。
  • 京都大学系の研究者、考古学者、新聞・マスコミ、奈良国立文化財研究所
    考古学主導の畿内説
  • 笠井新也、梅原末治、直木孝次郎、小林行雄、和歌森太郎、樋口隆康、原田大六、肥後和男、田中琢


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