TOP > 勝山古墳 > 朝日新聞記事 戻る  



「朝日新聞」2001年5月31日(木)朝刊の記事

邪馬台国時代、すでに古墳
   奈良・勝山古墳の木製品「3世紀初頭伐採」

        築造時期さかのぼる?      橿原考古研など発表

奈良県桜井巾の勝山市墳の胴淡から見つかった木側品が、3世紀初めに伐採されたヒノキだったと、奈良県立橿原考古学研究所と奈良文化財研究所が30日、発表した。

これまでは南東ーキロにあるホケノ山古墳が、3世紀半ばごろに築造された国内最古の前方後円 墳とされていたが、勝山古墳の築造年代は3世紀前半までさかのぼることになりそうだ。

当時は中国の史書「魏志倭人伝」で、邪馬台国の女王、卑弥呼が活躍する時代。 3世紀後半からが通説の古墳時代の始まりは、弥生時代とされてきた邪馬台国の時期までさかのぼりそうだ。

勝山古墳は全長110メートル以上の前方後円墳。出土した土器の形から3世紀後半に造られたとされていた。今年1〜3月の橿考研の発掘調査で、被葬者を埋葬する際 に営まれた祭祀用具とみられる約200点の木製品が出土、10 点を奈文研の光谷拓実・古環境研究室長が年輪年代法で測定 した。

このうち110の年輸があった長さ41センチ、幅26センチ、 厚さ2センチの板の最も外側の年代が199年とわかった。

木製品は古墳の築造直後の祭祀で使われたとみられるこ とから、同古墳は3世紀前半に造られた可能性があるとい う。

勝山古墳の近くには卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳 (3世紀半ば〜後半)がある。 古墳の築造時期が卑弥呼の活躍した3世紀前半までさか のぼるとすれば、邪馬台国畿内説がさらに有力になると 評価する研究者もいる。

一級の資料だ
   大塚初重・明治大名誉教授(考古学)の話


大和政権や国家の成立を考えるうえで一級の資料だ。
邪馬台国はこれまで弥生時代だと考えられていたが、卑弥呼のいた3世紀前半にはすでに古墳が造られており、古墳時代が3世紀初頭に始まっていたことを示している。
ただし、土器の年代でさらに検証する必要があるだろう。


  TOP > 勝山古墳 > 朝日新聞記事 戻る