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木材の保管と再利用

木材を伐採した年代は、建築物などを作った年代 と、一般的には合致しない。

それは、おもに、つぎの二つの 理由にもとづく。


1.木材の保管

建築物をつくるさい、木材は、伐採してすぐ使うものではない。水と油を除くために、長期間寝かせる。
つまり伐採された時期と、建物などが建てられる時期とのあいだには、年代差がある。

これについては、宮大工で、法隆寺大工の棟梁などをされた西岡常一氏が、『日本経済新聞』連載の、「私の履歴書」のなかでつぎのようにのべておられるとおりである。
「 (法隆寺の五重の塔の修理のさい)鉄材を補強に使っ た。垂木を鉄のバンドで引っ張るようにはめたのだが、 二、三年したら、木を支えるはずのバンドの方がガタガ タにゆるんでいた。

木は切ったあとに長期間寝かせて、水と油を除くべきなのだが、当時は時間がなく、高周波 乾燥という手短な手法をとった。

あとで柱にヒビが入った。木の命を縮めて何の科学かと、これに対してはこと に強く異議をとなえた。 」 (1989年11月22日〔水〕 朝刊)

2.木材の再利用

建築物の木材は、数百年、ときに一千年をこえて、利用、再利用されることがある。つまり、木材の伐採された時期と利用された時期とが、数百年以上異なることがある。
これについても、西岡常一氏が「日本経済新聞」の「私の履歴書」のなかで、つぎのようにのべている。
「 (法隆寺の)昭和大修理の当初、金堂や五重塔は、その かなりの木、いやほとんどを新しくせねばもつまい、と いうのが大方の予想だった。
結果はまったくちがった。
五重塔の場合、3割ちょっとのとりかえですんでしまった。
それも、軒など直接雨風にさらされた部分がほとんどで、柱などはそのままで十分だった。
計測では全体の65%が減った。予算上はずいぶん助かったのではない か、という話はさておき、金堂にしても焼けていなけ れば同じことになっていたろう。
塔の心柱の上部などは雷の被害の跡もあり、
-よくぞ今日まで。-
の感があった。 」  (1989年11月21日〔火〕朝刊)

「 (法隆寺の千三百年前のヒノキの柱は、)ひからびて、くたびれている。
修理の必要からカンナで削ると、ヒノキ特有の香りが漂ってきた。大工なら分かるが、生の木 のにおいだった。 」 (1989年11月19日〔日〕朝刊)
「 解体修理などではっきりしたことだが、スギなら700年、800年、マツなら4〜500年はもつ。しかし、千年以上ビクともしないヒノキに勝るものはない。」(1989年11月20日〔月〕朝刊)

平泉の中尊寺の金堂の例もある。
中尊寺の金色堂は、ほとんどヒバ(ヒノキ科の常緑高木。別名アスナロ)材で 建てられていた。
1981年に大修理されたとき、建立されてから、850年たっていたにもかかわらず、多く の部材は、再使用可能であったという。

また、古代には、鉄斧などをはじめ、木材を伐採、加工する道具などは、なお十分に普及発達していなかった。
大きな木材は貴重品であった。そのため、一度伐採された木材が、さまざまな形で再利用される。





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