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邪馬台国の会事務局

上総国 古代遺跡めぐり 日帰りバスツアー

  (2015.6.2)


見学会の詳細            

姉崎二子塚古墳
東京駅前を9時に出発したバスは一路、姉崎二子塚古墳にむかう。
姉崎二子塚古墳は、姉崎古墳群の一つである。姉崎古墳群は前方後円墳11基、前方後方墳2基、円墳2基、方墳1基が確認されている。
姉崎二子塚古墳は5世紀中期の前方後円墳で全長103mである。
古墳は整備されていて、みんなで高さ9.5mの後円部墳頂にのぼる。
そこに立って、出土した石枕、銀製耳飾から記録にない古代を推理する。
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姉崎二子塚古墳の頂上kazusa07
姉崎二子塚古墳の上から
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上総国分寺の西門跡黒塚古墳
神門5号墳
上総国分寺
国分寺の造営は741年(天平13)に聖武天皇の詔によって全国60ヶ所余りに建てられた。 その中でも、上総国分寺は規模が大きく面積は13.9万uにおよぶ。金堂前庭の東に七重塔を配しており、その高さは法隆寺の五重塔の2倍以上である。
この上総国分寺では塔の礎石を見ながら、高さ63mの七重塔に思いを馳せる。
国分寺の近くの神門5号墳へ向かう。



神門(ごうど)5号墳

神門古墳群は前方後円墳3基、方墳3基、円墳1基からなり、3号墳、4号墳、5号墳が前方後円墳である。
箸墓古墳より古い、纏向型前方後円墳の神門5号墳の前で、年代論の議論が飛び交う。

国分寺の木陰で昼食をすませ、上総国分尼寺へ行く。

上総国分尼寺
国分尼寺は国分僧寺と対になって全国に建立されている。
戦後行われた本格的な発掘調査により、ほぼその全貌が確認され、昭和58年に国指定史跡となっている。
遺跡の整備復元も進められ、金堂の基壇が再築され、中門・回廊が天平時代の姿を見せている。
資料館では映画とジオラマで説明を受け、窓の向こうに突如現れた天平の姿に圧倒される。復元された中門に、回廊。前庭には金色に輝く灯篭がある。ここは本当に千葉か!?








稲荷台1号墳
稲荷台1号墳は、国分寺台にある径27.5mの小円墳で、調査後に破壊され、現在は1/3サイズの復元古墳である。
この古墳から王賜銘鉄剣が出土した。
この復元古墳を見て、最後の市原市埋蔵文化財調査センターへ移動。



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上総国分尼寺のジオラマ
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上総国分尼寺の復元建物と灯篭kazusa15
1/3サイズの稲荷台1号墳
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上総国分尼寺で記念写真
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市原市埋蔵文化財調査センター入口kazusa14
市原市埋蔵文化財調査センターの内部

市原市埋蔵文化財調査センター

センターでは、実際に発掘をしている職員の方から弥生・古墳時代の市原の遺跡について詳しい解説がある。
参加者から、質問、疑問がでると、ひとつひとつ丁寧に答えてくれる。至福の時が過ぎる。

特に、私見と言いながら、稲荷台1号墳から出土した鉄剣のレプリカの前で、この剣の表は「王賜・・敬(安)」と判読された。埼玉県の稲荷山鉄剣や熊本県の江田船山大刀の銘文は「大王」で、「大王」は雄略天皇のことだとされている。それに対し、「王」は允恭(いんぎょう)天皇のことではないか? 「大王」の剣は国宝だが、ここの「王」の剣は国宝でもなんでもありませんと話していたことが印象的でした。

とても、時間がたりないが、又のチャンスを期してバスに乗る。
無事滞りなく、予定どおり5時に帰京。
参加していただいた皆さん、お疲れ様でした。


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