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第191回
「日本人の起源」



文献・資料により、日本人の起源についての最新の情報を紹介.


1.いま、最も確かな古期旧石器遺跡はどこか?
  • 富山遺跡(寒河江市)は前期旧石器時代か?

       共立女子大 竹岡俊樹:  30万年前の旧石器遺跡である。  
       慶応大学  阿部祥人:  9000年前の縄文早期の遺跡である。
     
  • 東京地域の3万5千年〜四万年前の遺跡が最古
                        東京都教育庁 小田静夫 
富山遺跡を旧石器遺跡とすることについては、疑問が提示されており、 未だ確定しない。

旧石器捏造事件が発覚し、数十万年前の遺跡とされたところが、 ことごとく否定されそうな現状では、日本列島に数万年前以前の人類の痕跡は 確認できていないとするのが妥当のようだ。

2.日本人は「第二次アウト・オブ・アフリカ」をした新人の子孫
ペンシルバニア大学教授の根井正利氏は、つぎのような地図で、現世人類の祖先が、およそ10万年ていどまえに、「出アフリカ」をし、地球上に広がった様子を示している。

この地図によれば、日本列島へは、約3万年前に、現世人類の祖先が、やってきたことになっている。

そして、「旧石器捏造事件」が発覚したいま、日本人の祖先についての認識は、大略、 図の示すような状況に、逆戻りしたといってよい。


第二次アウト・オブ・アフリカ (およそ10万年ていどまえ)


3.日本人はどこからきたか?
北東アジア(バイカル湖畔)から移動してきた可能性が濃厚
  • 細石刃文化

    「(1万2千年前〜1万3千年前)に東日本を覆ったクサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。」  (元千葉大学教授、加藤晋平氏 『日本人はどこから来たか』岩波新書)

    細石刃は革新的技術であり、各地で自然発生したとは考えにくい。
    バイカル湖近辺から、環日本海地域へ人の移動とともに技術が広がったようだ。


  • 荒谷型彫器

    細石刃文化と一体になって発達した荒屋型彫器の流入・伝播の様子を環境考古学者の安田喜憲氏は図のような形で示している。この図は、見方を変えれば、バイカル湖畔の文化が、より拡大した形で、日本海湖畔に移ったようにもみえる。

    「環日本海文化」の胎動が見られるように思える。

    晩氷期における荒屋型彫器の流入・伝播


  • 遺伝人類学の知見

    根井正利教授は、遺伝学的データにもとづき、つぎのようにのべる。
    「アイヌ、沖縄人、東京人たちは、南アジア(南中国、台湾原住民、タイ人、フィリピン人)とまったく異なっている。
    台湾原住民でさえ、アイヌや沖縄人と密接に関係しているようにはみえない。

    このようなことは日本人の起源についての、(埴原和郎氏の)二重構造説の妥当性についての疑問を提起する。

    二重構造説によれば、アイヌと沖縄人はとは、南アジア人の直接の子孫であると想定されている。
    したがって、アイヌと沖縄人は、南アジアの集団と遺伝的に近いと期待されている。」

    「遺伝学にもとづく樹状図(枝わかれ図)は、日本人の起源について、いまポピュラーな二重構造説と矛盾する。

    遺伝学にもとづく樹状図は、日本人の三つの集団(アイヌ、本州人、沖縄人)のすべては、北アジアに起源を持つことを示す。

    そのうえ、日本の考古学的データと、日本人とヨーロッパ人とのあいだの遺伝学的な距離とは、日本人集団は、1万2千年〜3万年まえに形成されたもので、アイヌと他の日本人とは、縄文早期に分岐したことを思わせる。
    沖縄の集団は、日本人の比較的最近の枝流のようである。

    以上は、日本人の北東アジア由来説を支持する。」


    遺伝人類学者、尾本恵市氏は、著書『日本人の起源』(裳華房刊)のなかでのべている。
    「私は、数年前から、斉藤成也さんと共同で、多数の遺伝子のデータを用いて近隣結合法という新しい系統樹作成法による研究を進めました。

    その結果、アイヌが−また次に述べるように琉球人も−東南アジアではなく東北アジアの集団群の含まれることを確信するようになりました。

    「私は現在では、原日本人の系統がたぶん 上洞人を含む北東アジアの後期旧石器時代人に由来すると考えるようになりました。

    この考えは、ターナー説や埴原説とはあわず、この点で、私は、(埴原氏の)『二重構造説』の一つの仮説、すなわち原日本人の南方起源説には賛成しかねるのです。」




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