九州説への反論
  

女王卑弥呼 (九州説への反論)

  • 九州には、径百余歩(150メートル)とされる卑弥呼の墓に匹敵する規模の墓があらへん。


  

卑弥呼の鏡 (九州説への反論)

  • 皇帝からの贈り物は、内行花文鏡・方格規矩鏡・位至三公鏡やらなんやらを、とりまぜてバラバラに贈ることはおまへん。三角縁神獣鏡のように統一して贈り物としたんや。


  

邪馬台国の方角 (九州説への反論)

  • 「混一彊歴代国都乃図」の地図は日本を南北に描いており、九州が上で本州が下(南)になっている。当時の中国人は九州から「南する」と大和と考えていた


  

邪馬台国への日数・距離 (九州説への反論)



  

邪馬台国の人口 (九州説への反論)

  • 当時の北部九州の人口はそれほど多いものではない。九州説では、北部九州の全人口の半分を、邪馬台国の人口が占めることになってしまう。
  • 九州地方には3世紀当時7万戸を擁するような場所はない。山門郡にしても宇佐にしても狭小な所で、とても邪馬台国があったところとは認めがたい。(肥後和男)


  

記紀の神話 (九州説への反論)

  • 記紀の神話は、6世紀ごろに、天皇家の由緒を権威づけるために創作されたもので、歴史的事実を含んでいない(津田左右吉)。 記紀を頼りに歴史を描こうとするのは無意味である。


  

古墳・遺跡 (九州説への反論)

  • 九州には考古学上の遺跡が少ない。特に三種の神器の一つである鏡は近畿地方から多く出土し、九州からの出土は少ない。卑弥呼は、魏から銅鏡100枚をもらったとあるが、その多くは大和を中心に広く分布したものと見るべきである。それ故に、同範鏡(同じ鋳型から作られた兄弟鏡)が近畿の各地から出るのであって、邪馬台国が九州なら、九州からもっと鏡が出土するはずである。(小林行雄)


  

背景 (九州説への反論)

  • 反政治・反政府・反東京・反独占資本の気風が、現在の九州説の背景を為している。現在の政治への批判が、古代の政治の中心が終始畿内にあったとする歴史観の批判という屈折した形をとって現れているのが九州説である。九州説の論者には案外保守的な人が多い。簡単に九州説を神武天皇の東征に結びつけ、天皇中心の記紀史観から一歩も抜け出ていない学説が目に付く。(直木孝次郎)

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