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知の統合で挑む神話の世界

(季刊邪馬台国133号 巻頭言)                      編集部



季刊邪馬台国133号
  邪馬台国論争というと、畿内説と九州説の二大候補地が注目の的となる。しかし、邪馬台国の候補地となり得るかどうかはともかくとして、古代史を考える上でとても見過ごすことができない地域、それが出雲をはじめとする山陰地方である。

 荒神谷遺跡から見つかった358本という、おびただしい数の銅剣。四隅突出型墳丘墓という、この地方独特の墳墓。青谷上寺地遺跡から出土した、他を圧倒する約250点の卜骨(ぼっこつ)。「国譲り」の舞台となった出雲大社に、ほぼ完本の形で伝わる唯一の風土記『出雲国風土記』……。どれも、出雲(山陰)地方が日本の古代史において重要な地域のひとつであったことを物語る要素としては、申し分のないものばかりである。九州とも畿内とも違う、強大な文化圏がこの地にあったであろうことは想像に難くない。その象徴が、国津神(くにつかみ)・大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る出雲大社の存在ではないだろうか。
  大国主命はスサノオを祖先とする国津神、つまり天上界・高天原におわした天津神(あまつかみ)が天孫降臨する以前から、国土を治めていたとされる土着の神である。この土着の神、国津神が出雲(山陰)一帯を治めていたとすれば、この地に点在する遺跡群は国津神が残したあしあとだと考えられるだろう。

 そんな出雲(山陰)地方を舞台に、神話の伝承と遺跡の考古学調査を重ねることで、古代の実像が見えてくるのではないか。出雲(山陰)地方に一大勢力を築いていたであろう、国津神が残したあしあとをたどり、古代出雲(山陰)地方の実像に迫りたいと本特集を企画した次第だ。
  文献資料の研究だけ、遺跡の発掘調査だけでは見えてこない実像もあるだろう。考古学・人類学や自然科学と、文献史学といういわゆる「理系と文系」に隔てられていた古代史研究が、近年になって歩みを共にする風潮が主流になりつつあるのではないかと思う。専門化・細分化された各分野の専門知識を重ねあわせた「知の統合」によって、古代史解明の新たな一ページが紡がれることを期待したい。

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