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安本美典  

私の立場



むかし、私の編集している『季刊邪馬台国』に、つぎのような内容の投稿原稿があった。
「イザナミのミコトが、夢枕に立って、邪馬台国の場所を教えてくれた。」
内容は、荒唐無稽といえば、荒唐無稽といえるものであった。
しかし、筆者は、そうとうに筆力のある人で、荒唐無稽の面白さがあった。読ませるものがあった。
内容が、『季刊邪馬台国』の方針にそぐわないように思えたので、その方の投稿原稿が、『季刊邪馬台国』にのることはなかった。

しかし、それから数年して、その方の書いた本が、ある有力な出版杜から刊行された。一定の読者を獲得しうると、 出版社は判断したのであろう。
出版杜や、雑誌や、編集者には、一定の傾向なり、立場なり、方針がある。
投稿原稿が、たとえぱ、『季刊邪馬台国』にのらなかったとしても、その投稿原稿に、価値がないことなどは、まったく意味しない。たまたま、『季刊邪馬台国』の立場にあわなかったにすぎない。

私が、『季刊邪馬台国』や、本会でおしすすめようとしている立場。 それは、実証性や科学性のある議論を歓迎するという立場である。 その上で、面白さがあればなおよい。

一般意味論の権威であるアメリカのS.I.ハヤカワ(日系の二世)は、のべている。
「事実にもとづいて議論をするばあいには、共産主義者と保守主義者のあいだでも、意見の一致をみることができる。
ところが、事実にもとづかないでことばだけで議論をすると、たとえ共産主義者同士、保守主義者同士でも、意見 の合わないことが生じる。」

たとえば、女性を論ずるぱあい、「美人か美人でないか」という次元で議論をすれば、議論は、容易に決着しない。 「美人」について、あるていどの共通認識はあるにしても、主観のはいった議論だからである。
これに対し、「二重まぶたか一重まぶたか」「身長は155センチ以上か、以下か」という議論は、決着しうる。
検証することのできる議論だからである。また、数値的な基準のはっきりした議論だからである。

私は、検証することのできる議論を歓迎する。
専門家の議論といえども、検証することのできない議論が、しばしば行なわれている。
私は、検証可能な議論、実証性のある議論、科学性のある議論の振興と普及につとめたいと思う。



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