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神功皇后と広開土王の激闘

神功皇后と広開土王の激闘

蘇る大動乱の五世紀
はじめに
 『古事記』『日本書紀』をはじめとする日本の古文献のほとんどに記されている神功皇后の朝鮮半島侵攻の話は、第二次世界大戦以前においては、しばしば、わが国の大陸進出政策を鼓吹するために用いられた。
  第二次大戦後は、第二次大戦への反省もあり、神功皇后伝承は、おとぎ話的なつくり話にすぎないとする説が、もっぱらとなる。
  しかし、内外の文献を照らしあわせ、年代を検討するならば、神功皇后伝承には、史実の核があるとみられる。それは、高句麗の広開土王についての碑文などに記されている倭の朝鮮半島侵攻の話と、裏と表との関係にある。
  この本では、そのような史実の核を抽出してみようと思う。
  それによって、動乱の五世紀の歴史が、復元できると思う。


「目次」より
はじめに--(1)ページ

第Ⅰ章 奇怪な神功皇后伝承--1ページ
●英雄か、反逆者か●
1.これは.陰謀の物語である!
日本古代史上のスフィンクス/住吉(すみよし)の大神(おおかみ)との密事/神功皇后は、無意識の世界で、夫仲哀天皇の死を願っていた/「神懸り」とは?/「神懸(かみがか)り」と「二重人格」/神功皇后のかくされた殺意/応神天皇の出自をめぐる諸説
2.武内の宿禰の遺伝子の繁栄
けんらんたる閨閥/蘇我氏の出自/武内の宿禰の実在性について/御所市(ごせし)の室宮山(むろみややま)古墳/武内の宿禰の長寿伝承/武内の宿禰は、孝元天皇からでている/磐之媛(いわのひめ)の嫉妬/佐々木尚文(しょうぶん)画伯の絵/キヨソーネの描いた神功皇后と武内の宿禰

第Ⅱ章 高句麗の広開土王との戦い--47ページ
●時代や史料の記事内容が一致している●
1.「朝鮮半島への出兵」は史実だ
神功皇后の活躍年代/第二十一代雄略天皇の「活躍年代」を、「基準点Ⅱ」とすれば、…/四〇二年前後の史実/高句麗の広開土王と戦った日本/「獲(う)るところの鎧甲(がいこう)一万余領」/倭の軍事的支配権は、朝鮮半島南部におよんでいた/神功皇后の実在説と非実在説/神功皇后は、実在の人物である/任那四県の割譲事件/倭軍の侵攻と軍事支配権の範囲
2.神功皇后伝承のなかの史実の核
日本がわ史書と朝鮮がわ史書との双方が記している/日本軍は、新羅の王城にいたった/抻功皇后の新羅征討の史実は、広く信じられていた/日本がわ史料と朝鮮がわ史料とが対応している/神功皇后の時代に、倭は朝鮮半島に進出した/新羅王子・未斯欣が、人質として日本に来た/王子未斯欣、新羅へ逃げて帰る/古代朝鮮でも日本でも、新羅王子の伝承はよく知られていた/中国史書の証言/古代の天皇の平均在位年数は、約十年/神功皇后は、やはり新羅に進出したのだ/神功皇后伝承の骨格/日本が朝鮮半島に出兵した理由/三五一年~五〇〇年の東アジアの大勢/日本は、新羅とは敵対的、百済とは友好的だった/『三国史記』の記事と『日本書紀』の記事とは、全体的傾向が一致する/東アジアの国際関係

第Ⅲ章 「倭の五王」の時代--129ページ
●讃・珍・済・興・武はだれか●
1.神功皇后と応神天皇の年代
二種類の史料/「抻功皇后紀」「応神天皇紀」の百済関係の記事/『日本書紀』の百済関係記事/百二十年くりさげただけでは、史的実年代に達しない/『日本書紀』記載の年代の性質/年代論における「類ハッブル定律現象」について/舞台装置からみた年代
2.五世紀の五人の倭王
倭の五王についての記事/最初の研究者、松下見林/那珂通世(なかみちよ)の研究/第二次大戦以前の研究/前田直典の新説/応神天皇の年齢/魏や後漢の皇帝たちの即位年齢/神功皇后の「摂政」について/『三国史記』や「晋書」にみえる「摂政(せっしょう)」/倭の五王の比定/「倭王讃=仁徳天皇」説について/「応神天皇陵古墳」の築造年代/『古事記』の「没年干支」について/崇神天皇の没年推定/用明天皇から、各天皇までの平均在位年数
3.倭の五王の系譜と名前
倭の五王の系譜/倭王の名前の書き方/倭王「武」の名の由来/倭王「讃」の名の由来/倭王「興」の名の由来/雄略天皇の即位の年/雄略天皇即位の事情/世子興は、木梨軽(きなしかる)の皇子(みこ)か/「世子興=木梨軽の皇子」としたばあいの、「興」の名の由来/倭王「済」の名の由来/倭王「珍」の名の由来
4.雄略天皇(倭王武)の人物像
きわ立つキャラクター/雄略天皇の外交/稲荷山鉄剣銘文の発見/稲荷山鉄剣銘文とその訓読/「杖刀人(じょうとうじん)」の意味/江田船山古墳出土鉄刀銘文/少子部(ちいさこべ)の蜾羸(すがる)の話/雷をつかまえた話/童女君(おみなぎみ)の話/引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)の話/一言主(ひとことぬし)の神とブロッケンの妖怪
第Ⅳ章 謎の七支刀--251ページ
●この刀は、百済の肖古王、わが国の崇神・垂仁天皇の時代に作られた●
「神功皇后紀」の百済関係記事について/石上神宮七支刀(しちしとう)/キーワード「聖晋」/「聖音」ならば、その意味は?/「聖晋」の音は、「せしむ(王子)」という古代朝鮮語とほぼ正確に一致する/「奇生聖音」が「貴須王子(きすせしむ)」である理由/宮崎市定(みやざきいちさだ)の批判はあたらない/「倭王旨」とは、崇神大皇のこと?/崇神天皇の年代/『新撰姓氏録』の記事/「倭王旨」に、垂仁天皇をあてたばあい/「冝供供侯王」

おわりに--288ページ


掲載図版一覧
★地図
地図1 名柄(ながら)と室宮山(むろみややま)古墳の位置--31ページ
地図2 5世紀ごろの倭、百済、高句麗の3国の勢力範囲--63
地図3 6世紀の朝鮮半鳥南部--78ページ
地図4 倭の最大侵攻領城と、領域が時代とともに失なわれて行く状況--82・83ページ
地図5 「東夷伝」による諸民族の地理的位置--115ページ
地図6 古市郡から飛鳥戸郡へ--189ページ
地図7 石上神宮のある場所--255ページ
★図
図1 第10代崇神天皇の活躍年代・没年推定図--50・51ページ
図2 神功皇后の活躍年代と当時の事件--52ページ
図3 天皇の時代別平均在位年数--106ページ
図4 天皇の世紀別平均在位年数--107ページ
図5 西暦351年~500年の東アジアの国際関係--120ページ
図6 350年以前の東アジアの国際関係--125ページ
図7 501~600年の東アジアの国際関係--126ページ
図8 670年ごろまでの東アジアの国際関係--128ページ
図9 『日本書紀』と『三国史記』および「広開土王碑碑文」の記載--144・145ページ
図10 中国がわ系譜と日本がわ系譜--167ページ
図11 応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略の諸天皇の活躍時期の推定--178ページ
図12 応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略の諸天皇の活躍時期の推定(『古事記』『日本書紀』による没年追加)--194ページ
図13 第10代崇神天皇258年没説--198ページ
図14 第10代崇神天皇318年没説--199ページ
図15 箸墓古墳の桃核試料が、西暦300年以後のものである確率--203ページ
図16 「第31代」用明天皇から、各天皇などに至るまでの、平均在位年数--206・207ページ
図17 系図が一致しても--209ページ
図18 応神、仁徳、履中、反正、允恭、木梨の軽の皇子、安康、雄略の諸天皇などの活躍時期の推定--225ページ
図19 みそさざい--230ページ
図20 ブロッケン現象--249ページ
★表
表1 用明天皇についての『古事記』『日本書紀』天皇の記述--51ページ
表2 用明天皇についての『古事記』『日本書紀』の記述(拡大再掲図)--109ページ
表3 60干支--136ページ
表4 中国文献の倭の五王関係記事--157~161ページ
表5 中国文献の撰者--161ページ
表6 倭の五王比定の諸説--167ページ
表7 『日本書紀』と『東国通鑑』の百済王没年など--169ページ
表8 後漢の皇帝の即位時の年齢など--174ページ
表9 魏の皇帝の即位時の年齢など--174ページ
表10 倭の五王の墳墓(伊藤友一氏による)--183ページ
表11 畿内における大型古墳の消長--186・187ページ
表12 「没年干支」による天皇の没年--193ページ
表13 『古事記』の記す没年と『日本書紀』の記す没年との差--196ページ
表14 『古事記』の「没年干支」による天皇の没年と在位年数--200ページ
表15 「呉(くれ)[久礼(くれ)をふくむ]」という語の出現回数--233ページ
表16 『日本書紀』『古事記』の「呉(中国の宋)」関係記事--233・235ページ
表17 中国正史中における倭の五王の名の出現頻度--236ページ
表18 刀剣銘文のスタイルには、共通性がある--278ページ
表19 『古事記』の記す在位年数--282ページ
★写真
写真1 キヨソーネ--43ページ
写真2 紙幣に描かれた神功皇后と武内の宿禰--44・45ページ
写真3 広開土王陵碑--57ページ
写真4 「広開土王碑碑文」(第1面の一部)--57ページ
写真5 鉄鋌(韓国釜山市福泉洞古墳群出土)--75ページ
写真6 稲荷山鉄剣と銘文の筆写文字--236ページ
写真7 江田船山古墳出土大刀の銀象嵌銘文--241ページ
写真8 北斉墓誌の「晋陽」--261ページ
写真9 晋中書令王献之書の「晋」の字--262ページ
★コラム
コラムⅠ 干支による紀年法--134~137ページ
コラムⅡ 稲荷山鉄剣銘文とその訓読--238・239ページ
★系図
系図1 応神天皇についての系図--19ページ
系図2 武内の宿禰の子孫の系図--24・25ページ
系図3 武内の宿禰の系図--36ページ
系図4 大中津比売(おおなかつひめ)の命の系図--70ページ
系図5 神功皇后の系図--71ページ
系図6 天皇の系図--105ページ
系図7 百済王の系図--211ページ
系図8 初期百済王朝系図--273ページ

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