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本書「エピローグ」より抜粋
第一章  第二章  第三章  第四章 
邪馬台国はその後どうなったか

邪馬台国その後 高千穂に降った神々とは”誰”か

”天孫降臨”は真実だった!! 戦後古代史のタブーに挑み、「高千穂論争」に終止符を打つ安本古代学の野心作!!

     
  

第一章 

『古事記』『日本書紀』という、わが国最古の歴史書にも記され、これだけ多くの伝承をもち、数多くの研究成果もあった「高千穂の峰」のことが、戦後40数年間、歴史家によって、ほとんどまったく無視され、語られなかったことは、真に、異常なことといわなけれぱならない。

イデオロギー的な眼鏡をかけると、見えるべきものが、見えなくなってしまうことを示している。
歴史書を書くということは、文化を保持し、それを伝えることである。
戦後の日本古代史学においては、『古事記』『日本書紀』に記されている「高千穂」についての、この本で述べたような多くの事実と、研究と、論争の経過とを、いっさい記そうとしない。 一定の立場に立って文化を保持しようとせず、それを伝えようとしない。 結果において、歴史を破壊し、文化を破壊しているのである。


「述べて作らず」ということぱがある。歴史を書くさいの姿勢について述べたことぱである。
『古事記』『日本書紀』の記す天孫降臨伝承や高千穂伝承が、大和朝廷の役人によって述作されたものである。つまり、創作されたものである、などということは、古文献のどこにも述べられていない。

それを、述作されたものである、創作されたものであると判断し、そのように記すことは、主観的判断にもとづいて、古文献に記されていない歴史を、新しく作っているのである。

「述べて作らず」という姿勢から、大きく逸脱している。

日本は、明治の開国以来、戦争において、連戦連勝を誇つていた。その日本が、第二次世界大戦で、大敗を喫したショックがあまりにも大きかったために、古典や天皇を、冷静に見ることが、できなくなってしまったのではないか。

右の眼でも見、左の眼でも見ることによって、はじめて、ものは、立体的となる。
国内文献や神話伝承も十分に検討し、外国文献も吟味し、考古学的な成果なども考えあわせることによって、わが国の古代史像は、はじめて立体的なものとなる。

ある個人像を描くのに、外部からの観察資料のみにもとづき、本人の記憶などを排除したならぱ、いかに客観的なものであろうと、血の通ったものにはならない。躍動感に欠ける。

本人の記憶をこそ、むしろ中心にし、それがどのていど客観的な根拠をもつのかを、十分に検討しなけれぱならない。
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第二章 
日本は、平和であるが、世界は、ときに沸騰し、動乱がおきる。その動乱の根底には、しばしぱ、民族主義の潮流が流れている。今日の民族主義は、民族の個性を尊重し、他民族による圧迫や支配を排除すべきであるという思想であると考える。それは、他民族の個性も尊重するという点において、偏狭な国粋主義とは異なっている。

多様な個性が、社会を豊かにし、社会に価値をもたらす。それと同じように、多様な個性ある民族が、人類の歴史を豊かにし、新しい価値をもたらす。

日本人の、民族としての個性も、この観点から考えてみる必要がある。日本人の、民族としての個性は、なんであるのか。
その民族的個性の、特徴のひとつに、かなり「まとまり」がよいことがあげられるであろう。 その「まとまり」のよさが、果敢にして無法にして悲惨な戦争をもたらしたし、今日の経済的繁栄ももたらした。
これからの日本は、民族の特性を、世界的にみて、価値のある方向に発揮しなければならない。

「シバの女王」の国として、世界最古の王国とされたエチオピアは、1975年に、クーデターがおこり、皇帝ハイレ・セラシェを廃位した。 以後、エチオピアは、求心力を失った。国家としての「まとまり」を失い、内戦に内戦がつづき、国民は、極端なまでに疲弊した。

「まとまり」は、たしかに、力でありうる。古代について考えることは、日本人のもつ求心力の根源と本質について考えることでもある。
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第三章 
私は、天皇制については、冷静にみているつもりである。長所も、短所もあると考えている。たしかに、現代の「平等」の観点からみれぱ、大きな問題をもつとも思っている。

第二次大戦が、天皇の名によって始められたこともたしかである。

しかし、大きな一時の流れというものがあったのも事実である。明治以後の、わが国の歴史の流れと、ドイツやイタリアで起きたことを見れぱ、日本は、天皇制の有無にかかわらず、戦争に突入したと判断せざるをえない。

開戦が天皇の名で行なわれ、そして遂行されたことに、昭和天皇の責任はあるであろう。しかしまた、天皇は終戦のさい、よく軍部をおさえる「権威」たりえたことも事実である。この「権威」がなければ、惨禍はさらに大きくなったであろう。

天皇制は、とにかく今日存在しているのである。その短所ぱかりをあげつらわずに今後は、その長所を伸ぱすように、みんなで努力しようではないか。

古い伝統を、大事に保存しながら、新しいものを積極的に取りいれるというのも、また、日本人の、民族としての個性なのである。
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第四章 
だれが歌った歌であろうか。

  我もまた高皇産霊(たかみむすび)の裔(すえ)なれば
     その中ほどはとにもかくにも

という歌がある。
「私もまた、皇祖神のひとり、高皇産霊の尊の後裔のひとりであることはたしかなのであるから。その途中の系図は、よくわからないので、ともかくとして。」

庶民がもっていたこのような素朴な一体感、天皇家を中心とする素朴な連帯感は、日本の歴史を考えるうえで、見おとすことができない。

東海に浮かぷ島国のなかで、日本人は善かれ悪しかれ、天皇家とともに、民族の歴史と哀歓とをつづってきた。
天皇が、「国民統合の象徴」であるのは、たんに、新憲法上の事実であるばかりでなく、歴史上においても、国民感情にささえられた面があったのである。

かっての、自分の国だけを尊いとするような、ひとりよがりの皇国史観などはさておこう。

日本の、国家としての「まとまり」の本質や根源を考えるうえで、日本国家のなりたちや、天皇家の起源の問題は、さけて通れない。

天皇家の起源の問題を直視せず、さけて通った日本古代史は、骨のない日本古代史である。
天皇家の起源の問題を、思考の対象から排除した古代史論は、一番中心となるべき、本質的な問題を、さけて通った古代史論である。

私は、知の狩人であることを願う。

国家は、それぞれ、個性をもつ。日本の国家の個性について知ることは、私たちじしんを知ることである。
私は、私じしんを知りたい。自分がどこから来たのか、どのような歴史の流れの、どのようなところに自分が位置づけられるのかを知りたい。

私と同じ願いをもつ人々に、この本をささげる。
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