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本書「はじめに」より抜粋
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封印された邪馬台国

封印された邪馬台国 天照大神は卑弥呼だった

「古事記」「日本書紀」から読み解く古代日本史最大のミステリー



本書「はじめに」より抜粋

第一章

日本神話の中に歴史的事実の核がある

「古事記」神話をはじめとする日本神話のすごいところは、神話の中に起源をもつものが、20世紀の今日、現実に数多く存在していることである。
たとえば、

「古事記」神話のヒロインの天照大神のまっすぐの子孫とされる人が、現代の天皇として、日本国を象徴する存在となっている。人間天皇の遺伝子のつながりが、どこまで昔にさかのぼれるのか、ほんとうのところは、だれもわからない。
ただ、伝承と歴史のうえでは神話と現代とが、とぎれることなく続いている。
また、

天照大神の弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)は、出雲で「八俣の遠呂智(やまたのおろち)」という大蛇を退治する。
須佐の男の命が、大蛇の尾を切ったとき、尾のなかから剣がでてくる。草那芸の剣(草薙の剣)である。
この剣は、現在、名古屋の熱田神宮に存在していることになっている。
さらに、

天照大神は、その孫の邇邇芸の命(ににぎのみこと)が、「天孫降臨(高天の原から地上にくだること)」をするときに、八咫(やた)の鏡・八尺(やさか)の勾玉・草那芸の剣(天叢雲剣:あめのむらくものつるぎ)を与える。
いわゆる「三種の神器」である。このなかの「八咫の鏡」は、現在、伊勢の皇大神宮に存在していることになっている。
そして、

「古事記」神話をはじめとする日本神話には、二十世紀の日本の現実の地名が、以外と思えるほど数多くあらわれる。
第二次大戦に敗れて以後、神話を放擲してかえりみない傾向がある。そのため、かならずしも広く知られてはいないが、その地に行けば、神話に関係した建造物や遺物が残っていることがきわめて多い。時をこえて、神話はひっそりと生きつづけている

しかも、神話の中に、歴史的事実の核があるのではないか、と思えるばあいが、きわめて多い。

神話の中には、八咫の鏡をはじめ、鏡の話は、たびたびでてくる。鏡が、特別の意味を持って、尊重されているように見える。

これは、弥生時代から古墳時代にかけての墳墓のなかから、大量の鏡が出てくることと無関係なのだろうか。

また、「魏志倭人伝」のなかの、魏の王様が、邪馬台国の女王の卑弥呼に、百枚の鏡を与えたという話と無関係なのだろうか。

「三種の神器」は、鏡と玉と剣である。そして、鏡と玉と剣は北九州の弥生時代の墳墓や畿内の古墳時代の墳墓からしばしばでてくる。

「古事記」の神話のおよそ三分の一は「出雲神話」である。
1984年、出雲(島根県加茂町神庭荒神谷遺跡:かんばこうじんだに)から358本の銅剣や、6個の銅鐸、16本の銅戈が出土している。
神話の中で重要な位置をしめる「もの」や「場所」が、考古学上でも重要な位置をしめているようにみえる。

大きくながめるとき、神話と考古学的事実とは、重なりあっているのではないか。


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第二章

神話と考古学とは歴史の大きなストーリーでも一致する


「魏志倭人伝」と「古事記」神話と、そして考古学は、歴史の大きなストーリーでも一致するようにみえる。

鉛の同位体比にもとづく銅原料についての研究によれば、西暦紀元前後から西暦180年前後の、北九州で甕棺が行われていた時代、北九州の銅剣、銅矛、銅戈も、出雲の銅鐸(菱環式銅鐸、外縁付1式の銅鐸の一部)も、朝鮮半島産の銅を原料に用いていた。

西暦180年ごろから260年ごろのほぽ邪馬台国の卑弥呼時代になると、北九州出土の国産青銅器(鏡、矛、戈)も、出雲出土の国産青銅器(銅鐸、剣、矛)も、中国北方産の銅を主原料とし、それに朝鮮半島産の銅を混えるようになる。

そして、西暦260〜300年ごろの台与(とよ)の時代のころになると、出雲からは、青銅器がほとんど出土しなくなり(出雲の国譲りのためか?)、北九州と畿内を中心に、中国北方産の銅が用いられるようになる。
朝鮮半島産の銅は用いられなくなる。

北九州では、広形銅矛・広形銅戈・小形ぼう製鏡第U型といわれるものの形で出土し、近畿からは近畿式銅鐸、三河(現在の愛知県の東部)や遠江(現在の静岡県の西部)からは三遠式銅鐸という形で出土する。

すなわち、銅の原料でみるかぎり、北九州の銅と、出雲あるいは畿内の銅は、並行的である。
ほぼ同じ時代には、同じ銅原料が用いられている。時代順と銅原料の用いられる順とが一致している。
古代において、北九州と出雲とは、銅などの流通において、交渉があったようにみえる。


『古事記』神話において、伊邪那岐の命は、「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」でみそぎをするな ど、おもに、九州方面を舞台にして活動しているようにみえる。(高天の原が、北九州方面をさすとみ られることについては、あとでのべる)。

いっぽう、妻の伊邪那美の命のほうは、『古事記』神話によれば、出雲の国(島根県の東部)と伯伎 (伯耆)の国(鳥取県の西部)とのさかいの「比婆の山」に葬られている。

須佐の男の命は、「死んだ母(伊邪那美の命をさすとみられる)の国」へ行きたいといってはげしく 泣き、高天の原から追放される。そして、出雲の肥の河上(斐伊川の上流)に天くだっている。

どうも、伊邪那岐の命の出身地は、北九州で、伊邪那美の命の出身地は出雲方面であるようにみえる。

古代においては、女性が結婚して死んだのち、出身地に葬られる例がしぱしぱみられる。 つまり、九州の男と、出雲の女性とが結ばれているようにみえる。

これは、古代の銅などの流通と関係がありそうにみえる。

銅矛・銅剣なども、北九州と出雲の両方から出土している。

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第三章

古代をより豊かに理解するために



ギリシア、ローマの考古学や、『聖書』の考古学は、すべての考古学のはじまりであり、母胎であ った。そして、その考古学は、神話・伝承といったものに、みちびかれたものであった。

私たちは、考古学のその原点を見失ってはならない。

ホメロスの『イリアス』は、ゼウスの子アポロンが「遠矢を射て」アカイア人の戦列に、致命的な 疾病をあたえるところからはじまっている。ゼウスみずから戦いに干渉する。
ゼウス、ポセイドーン、ヘルメス、アポロン、アプロディテなど、オリンポスの神々は、ギリシア 側とトロヤ側とにわかれて助ける。

それは、『古事記』『日本書紀』の神話よりも、はるかに神話性の強いものである。

シュリーマンのトロヤ遺跡の発掘は、ギリシア神話のなかにさえ、史実の核があることを示した。

日本神話も考古学的に発掘された成果を意味づけ、理解するのに役立ちうるとみられる。
また、日本神話をくわしく探究しておくことは、将来考古学のみちしるべになることがありうると みられる。

日本神話を探究しておくことは、日本の古代を、より豊かに理解するのに役立ちうるとみられる。

系譜学者、太田亮氏(1184〜1956)の『日本古代史新研究』(磯部甲陽堂刊)につぎのよう な話がのっている。

明治維新のまえに、太田亮氏の郷里で、天誅組が旗あげをした。
太田氏の母の話によると、村人は、天誅を"天中"と誤解し、彼等を天と地との間を歩く人として恐れおののいたという。

このような例は、「事実」が神話化するプロセスを、かなりよく示している。

中国では、はやくから、すぐれた歴史書があらわれ、事実を客観的なことばで記述する道がきりひ らかれていた。
その水準は、かなり程度の高いもので、現代の歴史記述の方法に十分につながりうるものであっ た。

しかし、わが国においては、中国の文化の影響をうけて、その史書などを学ぶ以前においては、神 話化したことばで語る以外に、歴史的な事件などを伝える方法を知らなかったといってよい。
そのようなことばで語られたものは、現代の歴史記述におけるような意味で、「事実」を客観的に つたえるものではない。
しかし、歴史的事実を、まったくふくまないと考えるとすれば、それもまた 誤りである。

『古事記』『日本書紀』の神話は、見かたによっては、歴史的事実を核とし、歴史の大すじを伝えた 「歴史神話」とみることもできるのである。

すでに江戸時代に、故実家の伊勢貞丈(1717〜1784)はのべている。
「語り違へもあり、聞き違へもあり、忘れて漏れたる事もあり、事を副へたることもあるべし。百 年五十年以前の事だにも、語り違へ聞き違へて、相違一決せざる事あり。
……和漢ともに、太古の事は太古の書籍はなし。古への語り伝へを後に記したるものなれば、半実半虚なりと思ふべし。」 (『安斎随筆』)

私たちは、『古事記』神話を「半実半虚なり」と心得たうえで、深く探究する必要がある。
「虚」と思われていたものが、考古学的な発掘などによって、いつ「実」に転化するかわからないの である。

第二次大戦前は、『古事記』神話のほとんどを、「そのまま信ずべし」とするような本居宣長流の皇国史観による教育が行われた。
第二次大戦後は、その反動で、『古事記』神話のほとんどは、大和朝廷の役人たちが、大和朝廷の 権威を高めるために、机上で述作した作り話だとするような、津田左右吉氏(1873〜1961)らの説が盛行した。

「実」と「虚」とのどちらも極端な見解である。

すでに戦前に、東京帝大の日本史家、黒岩勝美氏(1874〜1946)は、津田左右吉氏の日本神話作為説を、「大胆な前提」から出発した研究とし、それを、「余りに独断に過ぎる嫌いがある。」と批判している。
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第四章

神話は日本人の心のふるさと



多くの民族は、固有の文化をもつ。
その固有の文化が、民族の同一性(アイデンテイテイ)や伝統を形づくる。

個人のばあいでも、同一性障害といわれる現代的な病理がある。
「自分は何ものなのか」
「自分が この世に存在している意味は?」
「自分は、何のために存在しているのか」
という悩みや不安にとら われる病理である。
自分の存在の意味がみいだせないために、無気力になり、心がまとまりなく無秩序になる病理であ る。

神話は、意識すると否とにかかわらず、私たち日本人の心のふるさとの属性の一つである。
「日本語」という言語や、「日本列島」という国土などと同じく、日本人に、民族としての同一性 をもたらしている要素の一つである。

私たちが、神話にふれるとき、お茶づけをたべてほっとすることがあるのと同じように、なんとな く、ほっとするような気持になるのは、そのゆえである。

ギリシア神話は、フロイトの精神分析学にとりいれられて、西欧の人々のさまざまな心を説明する 鍵となっている(エディプス・コンプレツクスなど)。

日本神話も、日本人のさまざまな心を説明する鍵を提供する。
日本人に、帰属意識を与え、心の安 らぎをもたらすものとなりうる。

民族の伝統を、いたずらに排除してはならない。
最近の青少年たちにときにみられる心の無秩序 は、神話などの伝統を排除しすぎた戦後教育のあり方にも、あるていど原因が求められるのではない か。

かつては、天照大御神の岩屋隠れの話や、須佐の男の命の大蛇退治の話など、神楽として、祭り の際に村々の鎮守などでも行なわれたものであった。
共通の文化遺産が、社会を結びつける紐帯と なっていた。

『古事記』神話の謎をさぐる旅にでかけることは、自分自身をさがす旅にでかけることにもなるので ある。

では、でかけよう。古代への旅に。
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