TOP > 著書一覧 >「邪馬台国畿内説」を撃破する 一覧 前項 次項 戻る  


書評 
インタビュー記事
   「あとがきにかえて」より抜粋
「邪馬台国畿内説」を撃破する!

邪馬台国畿内説を撃破する
古代史論争の代表たる邪馬台国問題の検証は
もっと厳密であるべきだ!


喧伝される「邪馬台国畿内説」は、思い込みのためか、
基本的事実についての誤りが多すぎる。
最近の趨勢に警鐘を鳴らす意味で、この本は書かれた。
   


本書「あとがきにかえて」より抜粋

考古学者が、考古学を無視している


「魏志倭人伝」に、倭人は、「鉄の鏃(やじり)」を使うと書いてある。
鉄の鏃は弥生時代の福岡県から171個出土し、奈良県からは、2個しか出土していない。

この事実を見れば、邪馬台国を奈良県にもっていくのを、だれだって躊躇しそうなものである。

鉄の鏃だけでなく、鉄刀、鉄剣、鉄矛、鉄戈、絹、鏡などでも、状況はみな同じなのである。奈良県での金属器の出土は、まことに寥々たるものである。福岡県では、金属器の出土地点をプロットするだけで、奈良県のすべての弥生遺跡の出土点数を、ゆうに上まわる。

それでも、「邪馬台国畿内説」の大宣伝があいかわらず行われている。

事実を無視して、空想的な議論をこととする風潮の病根は深い。

旧石器捏造事件は、きちんとした検討や議論よりも、まずはPRという方法による古代史像は空中に幻影を描きだすものであることを示している。

全体の中での位置づけなしの発見優先主義は、たんなる空想に走りやすい。
考古学そのものの価値を落とすことになりかねない。
 上へ

インタビュー記事
  
 「週刊エコノミスト」3月6日号《著者に聞く》 

 記紀を軽視、考古学偏重の畿内説 

聞き手・伊藤和史=毎日新聞記者
エコノミスト3月6日号
−畿内説と九州説が対立する「邪馬台国論争」の現状を、「旧石器遺跡捏造事件」になぞらえて批判していますが。

■旧石器は明らかなインチキですから、同列に論じては言いすぎとも思います。ただ、同じようなことはある。
旧石器同様、邪馬台国問題でも年代がカギで、土器一つでも(畿内説を補強する)古い年代に見積もる学者と、(その反対の)新しく見積もる人とがいる。
しかし、新しいほうはマスコミに乗らず、「より古いほうがニュースバリューがある」という報道傾向になるんですね。そうすると、迎合とまでは言いませんが、その方向に合わせて発表する学者がどうしでも出てくる。

−耳の痛い指摘です。捏造問題の背景にもそうした構図がありました。

■考古学全体の見解をまとめて発表する機関はなく、発掘した人の意見が発表されることになる。
ところが、そこには客観的な意見ばかりでなく、信念や思い込みが入っている。
だから、考古学全体では辻つまが合わないことになっているのに、一般の方は新聞、テレビで大きく報道されたものに価値があると受け取ってしまいます。

−その結果、畿内説が優勢でも何でもないのに、あたかも畿内説で決着したという論調まで現れた。そして、世間もそう信じ始めてしまった、と。

■そういうことです。最近では、ホケノ山古墳(奈良県桜井市)の発掘(昨年三月発表)が大きかった。
卑弥呼と同じ時代、三世紀半ばの古墳という発表でしたが、この年代には非常に疑問がありますね。
「魏志倭人伝」には邪馬台国の墓には「棺あって槨(カク)(棺を覆う外郭)なし」とあるのに、ここには槨ある。
それに画文帯神獣鏡(ガモンタイシンジュウキョウキョウ)が出てくる。これは魏でなく「南方の呉の鏡で、邪馬台国の鏡とは合わない。
論理的にはまったくダメと思うけれど、大々的に取り上げられました。

−九州説の学者からは変でも、畿内説の学者は自信満々。妙なことです。

■一つには、畿内説に多い考古の方は記紀などの文献を無視しがちで、考古学だけで解釈しようとするからです。
ただ、それには限界がある。例えば、明治維新後、日本の文化や軍隊は西洋化しましたが、考古学だけで見れば、日本が西洋の国家に占領されたとされかねない。
同様のことがこの論争にもあります。
邪馬台国時代のものと言われ、年代特定で重要な「庄内式土器」は奈良から九州に向けて広まったとの主張がありますが、話はおそらく逆でしょう。文献を無視しないならば。

−魏が卑弥呼に下賜した金印でも見つかればともかく、論争の行方は。

■現状は、チェック不能の信念が大声で言われ、世間に流布している。これでは共同幻想になるしかない。
ただ、僕は決め手はあると思う。鏡ですね。魏鏡であることが確かな「蝙蝠鈕座内行花紋鏡」(コウモリチュウザナイコウカモンキョウ)は福岡県からは非常にたくさん出る。けれど、奈良県から一枚も出てきません。
北九州には平原一号墳〔福岡県前原市〕のように確実に邪馬台国時代に遡れる墓がある。それが、奈良県にはない。こうした反論不能の客観的根拠で論争すべきです。

上へ


書評  産経新聞1月10日(土)朝刊 

学会では現在、邪馬台国は畿内にあったという説が有力だそうだ。それに真っ向から挑んだのが本書である。著者は畿内説の根拠となっている諸説を論理的に鋭く論破していく。

たとえば、畿内の多くの古墳から出土する三角縁神獣鏡を、畿内説派は邪馬台国の女王卑弥呼が魏からもらった鏡としているが、著者は中国の学者の意見も紹介しながら、この鏡が中国から全く出土していないこと、魏志倭人伝には百枚を贈ったとあるのに、すでに国内で五百枚以上出土していること、魏志倭人伝の記述と畿内の古墳の相違などを挙げて、邪馬台国と三角縁神獣鏡とは何の関係もないと強調する。

さらに邪馬台国時代である三世紀に作られたとされる畿内の古墳について、さまざまな傍証から成立年代をさかのぼり過ぎと指摘。畿内説派の一部の研究者の姿勢に疑問を投げかけ、マスコミについても「時代が異なり、邪馬台国問題の解答に、なんら結びつかないものが、邪馬台国問題と結びつけられて、報じられている。その報道内容は、しばしば、事実や論理的整合性や、学問的検討の結果と無関係である」と厳しく断じる。

圧巻なのは古事記、日本書紀を邪馬台国問題解明の鍵とし、586年に在位していた31代用明天皇から一代10年でさかのぼって、初代の神武天皇を280−290年の在位とし、その五代前の天照大御神を卑弥呼ではないかとしている点である。となれば、北九州にいた卑弥呼の勢力が、その子孫の神武天皇の代になって畿内に移動、文字通り神武東遷が行われたことになる。

美典節ともいえる鋭い舌鋒(ぜっぽう)で畿内説を撃破する。

2001年1月10日 特集部 大野敏明
上へ


  TOP > 著書一覧 >「邪馬台国畿内説」を撃破する 一覧 前項 次項 戻る