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安本比佐代 (歌人)
安本美典  (産能大学教授)
母と子 魂の歌

母と子 魂の歌
96歳の母と大学教授の子の心の軌跡

  花は花壇にばかり咲いているのではない。

  歌は、文壇にのみ花開いているのではない。

  母の歌は、野に咲いたものである。

 

 「母と子 魂の歌」紹介記事  神奈川新聞 2003.8.3           

96歳の母の短歌を軸にした"親子史”とでも言おうか。
前書きの

縫いつかれ
縫いあきなおもこの業の
ほか にえ知らず
今日も縫い暮る

の歌は75年前の比佐代の短歌。美典は産能大教授で歴史学者(川崎市宮前区在住) だが、比佐代は歌人としても無名に近い。

比佐代は岡山県の紺屋の娘に生まれ、幼時、父と死別。 兄弟が多く、結婚するまで縫い物仕事に明け暮れた。冒頭の歌は、その時代の作品。短歌を心の支えとし、若山牧水 が選者だった中国民報(山陽新聞の前身)の歌壇の常連だった。

22歳で結婚し、夫とともに旧満州へ。二児をもうけ るが、長男は夭折(ようせつ)。終戦で岡山に帰り、夫の田舎で慣れない農業をしながら美典を育て、大学に入れる。姑 に続いて夫も病床につき、介護と農作業が彼女の背にのしかかる。その苦労の中でも、歌作りは忘れなかった。

夫の死後、一人暮らしを続けながら、学者の道を歩む息子を見守ってきた。二年前、美典は母を川崎に呼び寄せ た。自立を希望する母のために近くに家を持たせ、朝飯を共に食べたり、散歩するといった生活。そんな母子の交流 の中で、母の強さや優しさを再発見する美典。


 「母と子 魂の歌」紹介記事  東奥日報 2003.7.7           

五所川原市の謎の古文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」の偽書性を追究する一方、邪馬台国論争で勇名をはせた安本美典・産能大教授。古代史の論客として知られる68歳の安本教授が、96歳の母親比佐代さんと短歌 の本をまとめた。

収められた短歌は70余首で、比佐代さんが十代から現在までに詠んだ代表作。安本教授がそれぞれの 作品が生まれた背景や当時の状況について説明することで、二人の人生の軌跡が浮き彫りになるように工夫 している。

比佐代さんは岡山県出身で神奈川県川崎市在住、源流短歌会(和歌山県)同人。安本教授は「母は歌人とし て全く無名のまま過ごした。花は歌壇にばかり咲いているのではない。人知れぬ谷間や野にも咲いてい る。母の歌は野に咲いたものである」としている。


 本書「はじめに」より           

 − 1 −

私が、高校生のときのことである。
私の母が、「お母さんが、若いときに作った歌だよ。」 といって、つぎのような歌を教えてくれた。

縫いつかれ
縫いあき
なおもこの業の
ほかにえ知らず
今日も縫い暮る

桃割れに
結いなしし
わが若さかな
われは乙女と呼ばわりてみし

「悪くない」と、私は思った。
なだらかなリズムがある。ためいきか、つぶやきか、ささやきを歌にした ようなところがある。心に響くなにかがある、と思った。

高校生のころ、私の短歌についての知識は、学校で習った範囲をでなかっ た。
私は、石川啄木の歌を思いうかべた。

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

母の歌も、石川啄木の歌も、ともに、日々の暮らしを歌っている。
母の歌には、石川啄木のような、男性らしい端的な力強さや激しさはない。 しかし、女性らしいやさしさと、つやがある、と思った。これはこれで、新 しい歌の世界だと思った。

高校生の私は、母の歌から、軽いショックをうけた。 日々何気なく見なれている母は、もしかしたら、「才能」のある人なので はないか。私の知らない精神世界をもっている人なのではないか。
「短歌」というものが、急に身近に感じられた。

石川啄木の生涯をみると、啄木は、いくらか、破滅型というか、生活が、 破綻しかけるきらいがあった。
私の母は、くりかえし襲ってきた過酷な運命にうちのめされ、ためいきを 洩らしつづけた人であったが、きわめて健常な生活者であった。
啄木は、国民的歌人としての栄光をほしいままにして、二十七歳の若さで なくなった。

私の母は、歌人としては、まったく無名のまますごし、現在、 九十六歳で元気である。
生活者としては、あまり幸せでなかったことと、身を切られるような切な さ、辛さ、悲しみ、そしてすこしばかりの喜びを、歌に託したところだけが 共通している。

 − 2 −

母によれば、母の若いときの歌の多くは、歌人、若山牧水の選で、当時岡 山県を中心とする中国地方で読まれた『中国民報』(現在の『山陽新聞』の 前身)にのせられたという。

花は花壇にばかり咲いているのではない。人知れぬ谷間や野にも咲いてい る。それと同じように、歌は、文壇にのみ花開いているのではない。 母の歌は、野に咲いたものである。

その野の花を摘み集めて、一冊の歌集に編もうと思った。
幸いにして、リヨン社さんのご好意により、本にしていただけるというこ となので、私が文章をそえることにした。

詩人の島崎藤村は、『若菜集』のなかで歌っている。

こヽろなきうたのしらべは
ひとふさのぶどうのごとし
なさけある手にもつまれて
あたヽかきさけとなるらむ

母の歌の一つでもが、ひとつぶのぶどうのごとく、なさけある手にもつまれて、広い日本のどこかで人の心に響くところがあれば、母の、数十年にわ たる長い長いためいきが、すこし意味をもつことになるであろうか。

NHKの連続テレビドラマの「おしん」は、凄まじい苦労の連続に耐え、 それでも明るさを失わず、他人にやさしい。 時代設定からいえば、「おしん」は、私の母とほぼ同じ年代か、母よりも 数歳ていど年上ということになるであろう。あの時代は、国全体が、まだ貧しかったのである。

「おしん」ほどではないにしても、あの時代の多くの女性は、忍耐し、辛抱 をした。
母のどこかに、「おしん」にやや似た雰囲気を感じることがある。その雰 囲気は、共通の時代精神によって形成されたものなのであろう。

時代精神は、おそろしい。私は母よりも高い教育をうけ、母よりも豊かに なり、そして、母におよび難いものを感じる。
やさしさ、思いやり、節度、勤勉などのことばは、母の時代に流れていた ある精神の傾向を表現している。 私は、母のにおいとともに、その時代精神を、いつまでも、記憶にとどめ るだろう。

労苦も、人間の底知れない可能性を奪い去ることはできない。とすれば、 年齢も、かならずしも、人間の可能性を奪い去ることはできないと思う。

率直にいおう。
八十年近い忘却の闇からすくいあげ、九十六歳の母を、歌人としてあらた に登場させることを願って、私は、この本を書いた。
母の、悪戦苦闘の生涯が、空しいものではなかったことのあかしを求めた いと思ったのである。
「人生、何歳になって出発しても、遅すぎることはない。」 ということばがある。そのことばを信じよう。

母をとりまく環境は、これまで、圧倒的に不利であった。母のうちに秘め られた志や思い、あるいは、もしかしたらあったのかも知れない「才能」 は、不完全燃焼のままで、人生は、すでに、秋景色となっているようにみえ る。

人生を耐えに耐え、最後の土俵ぎわで、形勢を逆転させる方法は、ないも のであろうか。
頽勢を挽回する方法は、あるであろうか。

この本は、細い細い、一本の蜘蛛の糸である。その蜘蛛の糸は、悲しみと 闘いの泥沼から、天上の理想にむかって懸かっている。その蜘蛛の糸に、可 能性を賭けてみようと思う。

著者二人 いまや私たち母子の記憶にのみ残された母の歌の、たとえ一つでもが、読 者のあなたの心に響くところがあれば、小さな奇跡が、一つずつ起きている ことになる。

その奇跡を、一本の蜘蛛の糸に託している。

お母さん
あなたの本が
できますよ
実りの秋は
これからですよ



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