■炭素14年代法
藤尾慎一郎(ふじおしんいちろう)氏は1959年福岡県生まれで、広島大学文学部史学科卒業、九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、国立歴史民俗博物館副館長・総合研究・大学院大学教授である。
専門は日本考古学。著書に『縄文論争』(講談社選書メチエ)、『弥生変革期の考古学』(同成社)、『(新〉弥生時代五〇〇年早かった水田稲作)『弥生文化像の新構築』(ともに吉川弘文館)が、共著書に『弥生文化の輪郭』『弥生文化誕生』(ともに同成社)がある。AMS炭素1年代測定に基づいて弥生時代の開始を500年遡らせて大きな話題となった国立歴史民俗博物館の研究において、主導的な役割を担った。
この藤尾慎一郎氏が書いた『縄文論争』(講談社、2002年刊)で、インターネットにみえる見解がある。
「オビに書かれた『新書初の「弥生時代」の通史』というフレーズに興味を惹かれ購入したが、最初の数ページを読んだところで科学的に不正確な記述が複数あることが分かりがっかりした。
具体的には、6ページで炭素の同位体について説明するところで、「化学的な性質を異にする三つの炭素」とあるが同位体は電子状態が同じなので化学的性質は同等である。
また三つの同位体は「電子の数が異なっており順に六・七・八個の電子をもっている。」とあるがいうまでもなく同位体で数がことなるのは中性子である。
また、8ページで炭素年と通常の年数の違いを説明するところで、「太陽が地球の周りを~まわった時間」とあり単純な記述ミスではあると思うがあまりにレベルが低く問題が大きい。
というのは、これらはいずれも著者のグループが主張している弥生時代の年代観の基礎となる炭素14年代測定法を説明するところで書かれており、測定法の科学的妥当性等にも大きな疑問を与えてしまうためである。
更に、著者らの提唱する年代観を批判する人は「日本考古学や朝鮮考古学を専門とする研究者に多く、支持しているのは「一部の中国考古学を専門とする研究者」である(15~16ページ)と書かれると、彼らの主張する年代観を信じるのはかなり難しくなってしまう。
本文の内容については、最近の考古学的な成果も取り入れ、弥生時代の代表的な遺跡の説明が分かりやすく書かれているし、ところどころに挟んであるコラムも興味深いものが多かった。従って(年代についての疑問を一先ず置けば)中々面白く読めただけに、いきなりの間違いは残念であった。」
藤尾慎一郎氏は、文章力はある人であるが、電子と中性子を、ゴッチャにしている。
中性子と陽子の質量は、ほぼ等しい。中性子や陽子の質量は電子の質量の約1840倍。
中性子は陽子とともに、原子核を構成する。電荷をもたないから、「中性子」である。電子とは、イメージが異なる。ふつうは電子と中性子とは混同しない。
宮田佳樹氏の示しているデータ
国立歴史民俗博物館研究員の宮田佳樹氏は、『弥生農耕のはじまりとその年代』(「新弥生時代のはじまり」第4巻。雄山閣、2009年刊)のなかに、「遺物にみられる海洋リサーバー効果」という文章を発表している。
そのなかで、表、図のようなデータを示している。
この表と図とを、よくみてみよう。すると、つぎのようなことがわかる。
(1)クルミは、「土器付着炭化物」コゲよりも、年代が、数百年の単位で新しくでている。
(2)イノシシは、クルミと、はとんどかわらない。海洋リサーバー効果をうけていないとみるべきであろう。
(3)土器付着炭化物は、シジミ、アサリなどの貝や、スズキなどの魚などよりも、さらに古い年代を示している。魚や貝を煮た?
海洋リサーバー効果だけでは、説明しにくいようにもみえる。
(4)宮田氏は、オニグルミを、海洋リサーバー効果をはかるための基準として用いている。つまり、オニグルミが、海洋リサーバー効果をうけにくい試料であることをみとめていることになる。
宮田佳樹氏のさきの文章には、表のようなデータも示されている。
表 をみると、土器付着炭化物は、総体的に、貝よりも古い年代を示している。やはり、海洋リサーバー効果によっては、説明しにくいようにみえる。
海洋リサーバー効果がみとめられなければ、土器付着炭化物の年代は信用できるということにはならない。
イノシシやオニグルミは新しくでるが、ヤマトシジミやアサリなどは古くでる。
数理考古学者の新井宏氏によれば、「(土器付着炭化物は、年代が、)古く出ているか否か」の問題は卒業して「なぜ古く出るのか」の問題に、関心が集中する段階であるという。
新井宏氏は、・・・土器付着炭化物の年代が古くでる理由として、炭化物が、活性炭のような性質をもち、土壌に含まれるフミン酸やフルボ酸などの腐植酸を吸着しやすい傾向をもつことをのべておられる。
新井宏氏は、さきの『季刊邪馬台国』105号掲載の論文のなかでのべている。
「振り返ってみれば、歴愽が炭素14年を利用して、弥生時代遡上論を展開し始めたころには、すでに、本川遺跡や朝日・八王子遺跡で土器付着物が著しく古く出ている現象が報告されていた。それなのに学会での十分な討論も経ずに、新聞発表を行ない、さらには西田氏の貴重な指摘があったにもかかわらずそれを無視して今日を迎えてしまった。」
客観的に確実な年代によるチェックのないまま、日本国内の炭素14年代測定値だけによって、年代を定めるのには、限界があるのではないか。
中国やエジプトなど、古い文献資料などをもつ国もある。
新井宏氏はその著『理系の視点からみた「考古学」の論争点』(大和書房、2007年刊)のなかで、遺跡推定年のほぼわかる中国の墳墓出土土器について、炭素14年代値がどのていど古くでるかを、まとめておられる。
次の図のとおりである。
(下図はクリックすると大きくなります)
これは、安本が集めた現在公開されている全てと思われる土器付着物炭化物とクルミ・桃核が一緒に出土した遺跡7箇所の49データの例からも分かる。
■縄文時代のはじまりの計算
『縄文はいつから』(小林謙一、工藤雄一郎編、新潮社 2011年刊)でも、「大平山元Ⅰ遺跡(おおだいやまもといちいせき)から出土した土器から微量ですが炭化したものが付着していました。この炭化物の炭素14年代測定が1998年に行われました。
・・・ここで結論じみたことを言うと、現時点でもっとも妥当性がある土器の出現年代は、16500年前~15000年前の間とするのがよいだろう」と言って、「さらに改定された最新の較正曲線を用いると、大平山元Ⅰ遺跡の無文土器は15500年前よりは古く、17000年前の間の一時点と考えられるになった。(工藤2012)」と言っている
これもまた、土器付着炭化物を資料とした年代である。土器付着炭化物は年代が古くでる。
大平山元Ⅰ遺跡(おおだいやまもといちいせき)の較正年代と「1万3000年問題」
IntCal09の較正曲線を使うと、大平山元Ⅰ遺跡の年代はどうなるか見てみよう。
大平山元I遺跡の較正年代と較正曲線との関係を示したのが右図である。1万6500~1万5000年前の間はIntCal09の較正曲線が平らになっておりIntCal04で較正するよりも、IntCal09の較正年代の確率分布が全体的に古いほうヘシフトしている。
大平山元I遺跡の場合には、一個体と推定される土器の複数の破片に付着した炭化物の測定結果であり、五点の土器付着炭化物のうち、どれがもっとも確からしい年代測定値と考えるかによって、年代観も変わってくる。
中村俊夫と辻誠一郎は平均値である13,100 14CBPからもっとも古い13,780 14CBPの間の可能性を考えた〔中村・辻1999〕。
小林謙一は平均値を採用して、それの較正年代を1万5500年前より古いと推定し、1万5700年前頃と推定した〔小林2006〕。
[安本]:グラフに「六点」のデータがしめされているのに、文章中に「五点」とある。これは最初、「五点」のデータであったためである。グラフの上から二番目の「1380±70」が、あとからの測定値の追加である。ここに示されている平均値「13100」は五点のデータの「単純平均値(正確には13084)」と合致する。私は六点すべてのデータを用い、カウント数による「加重平均値」を求めれば「13263」となる。計算のプロセスは以下に示す。
以下、私が妥当と思う方法で、「縄文時代のはじまり」の年代を計算してみる。
いま、かりに、炭素14年代測定法により、同じような二つの試料を同じような条件で測定した結果、炭素14年代BPとして、1710±20(年)と、1730±30(年)との、二つの値が得られたものとしよう。
この二つをまとめて表現したいときにはどうしたらよいであろうか。
単純に考えれば、1710と←1730との平均をとって1720そして20と30との平均をとって、25よって、1720±25
としたいところである。
しかし、じつは二つをまとめれば、計測数が多くなったことになり±α(アルファ)などの誤差は、もとの±20と±30のいずれよりも小さくなる。
また、1710と1730も、測定を行なったときの計測数(計数、カウント数。測定装置を一定時間稼動させて、炭素14の原子の数を計った値)が異なっており、そのカウント数を考慮したうえで、カウント数による重みをつけて、加重平均を求めたほうがよい。
そしてカウント数がどれだけであったかは±α(アルファ)の誤差の大きさにより、求めることができる。
誤差の絶対値のαは、カウント数が大きくなれば小さくなり、カウント数が小さくなれば、大きくなる。
たとえば、名古屋大学年代測定資料研究センターの中村俊夫氏の文章「放射線炭素法」(長友恒人編『考古学のための年代測定法入門』〔古今書院刊〕、所収)のなかにつぎのような表がのっている。
表 の下の[安本註]に記したように誤差の絶対値をα、カウント数をnとすれば、つぎの式がなりたつ。
n=(11367/α)↑2
α=11367/√n
次のようなモデルケースのばあい、カウント数を考慮すれば全体の平均値1710年につく誤差は、プラスマイナス22年となる。
kを求めると、kの値は11367でコンスタトとなり、定数であることが分かる。
この結果を表にすると、下記となる。
加重平均の結果のBP年代は
クルミ・桃核補正=13263×0.906
=12016(±50)年である。何と誤差は50年である。
注:0.906は最小二乗法で補正された値(y=0.906x)
これらをまとめると下記となる。
基本BP年代値(測定値加重平均)=13263年
これは歴博の結果の平均値のBP年代値13100年より古くなる。
ここで、補正をかけたBP年代はクルミ・桃核補正年代(13263年×0.906)=12016年となる。
推定西暦年代のための較正は次のグラフの読みとり、
縄文時代のはじまりの年代(推定西暦年代)
13900年+700年-400年前となり、
期間で表すと、13500年~14600年前となる。
古い年代をうちだすほど、騒がれやすいが、あぶない。
16000年前には、とどかないとみられるが、従来の12000年前よりは年代が古くなるとみられる。
可能性がとくに大きいのは、14000年まえ前後(13900)年ごろが、中心か)。
同じように歴博は弥生時代のはじまりの年代も古くしている。
弥生時代のはじまりの年代(推定西暦年代)
水田稲作をともなう最古の土器による年代
2501年±200年前
2300年~2700年前
基本BP年代値(測定値)=2760年
クルミ・桃核補正年代(2760×0.906)=2501年
推定西暦年代のための較正はグラフでの読みとり。
最古の土器以前の水田稲作の期間をどのていどに見積もる
・年代がふるくなることは確かである。しかし歴博研究グループの主張ほどは、古くならない。(将来あらたなデータの出現によって、年代が、古くなることはありうる)
年代は古きがゆえに貴っとからず。妥当な推定であるゆえに、貴っとしとす。
考えられるもっとも古い年代を発表するのではなく、もっとも可能性が大きい年代を求めるようにすべき。