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邪馬台国の会事務局

宗像大社と豊の国探訪『魏志倭人伝の旅』

  (2019.3.9~11)


1日目            

 添乗員の島田さんは朝早くから羽田空港で待っていました。予定の全員集合でいざ出発。
初日はすばらしい天気で、飛行機からの景色も最高でした。
福岡では待っていた観光バスに乗り、九州のツアーの開始です。


新原・奴山古墳群

 最初の見学地は新原・奴山古墳群で、沖ノ島祭祀を担った古代豪族の宗像(むなかた)氏が築いた古墳群である。馬車も走っていて、観光スポットとして整備されて来ていた。左の山のようなものがその古墳群で、写真では見えないが宗像地域では珍しい7号墳の方墳もある。全体に設備が新しく、観光スポットとして、売り込んでいこうという地元の意気込みが感じられた。

この見晴らしの良い展望台で、今回の旅行で唯一の集合写真と撮る。
観光バス
観光バス

新原・奴山古墳群
新原・奴山古墳群
新原・奴山古墳群で全員写真
新原・奴山古墳群で全員写真(クリックすると拡大します)
宗像大社の入り口の駐車場
宗像大社の入り口の駐車場

宗像大社・神宝館へ向かう
宗像大社・神宝館へ向かう

神武天皇社
神武天皇社

宗像大社
 まず、宗像大社の駐車場隣接の「潮の里」で豪華な和食の昼食をとった。お酒が欲しくなり、ビールを頼んだ人もちらほら見かけた。
宗像三女神を祭る宗像大社は沖津宮(沖ノ島)と中津宮(大島)と辺津宮(宗像市田島)からなる。今回は辺津宮の見学、参拝で、この辺津宮は 広大な神域があり、大い堪能した。特に神宝館では沖ノ島のことがよくわかるように展示されており参考になった。なにしろ宗像大社は広く、すべて見るには時間が足りないようだ。

神宝館へ向かう方々の先頭は河村先生で、皆さんを誘導。

神武天皇社

 神武天皇の東遷に書かれている「岡田宮」にあったとされている神武天皇社。太平洋戦争の戦災で焼失したが、再建された。
遠賀川の河口付近ということで、神武東遷時に神武天皇が立ち寄った地域として、感慨深く眺めた。近くに記念碑もある。

芦屋歴史の里
 縄文時代の遺跡の展示物から現代までの展示物がある。3月11日少し前だったので、東日本大震災特集の展示があった。津波でアメリカまで流れ着いた漁船の展示もあり、震災の爪痕を感じた。

居酒屋での懇親会
 宿泊は小倉のホテルで夕食は自由という企画。そこで希望者による懇親会を居酒屋で行った。大勢の方が集まり、お酒が入り、古代史の話題に花が咲いた。
芦屋歴史の里
芦屋歴史の里
居酒屋での懇親会1
居酒屋での懇親会1
居酒屋での懇親会2
居酒屋での懇親会2

2日目

 2日目は朝から雨模様、しかも最初の見学地の飯塚市歴史資料館で参加者1名が体調をこわし救急車で病院へ、そして添乗員の島田さんに付き添われ小倉駅へ行き、新幹線で帰宅した。そのため2日目は添乗員が付き添わず旅行を続けた。


飯塚市歴史資料館(立岩遺跡)
 資料館では嶋田光一館長から、立岩遺跡のジオラマ模型の前で懇切丁寧な解説をして頂いた。
  遺跡からは43基の甕棺が発掘され、その多くが館内に展示されている。
  副葬品の銅鏡もずらりと並んでいる。鏡の銘文には「長く相忘るなからんことを」とあるものがある。
  死者が自分のことを忘れないでと願う気持ちが書かれている。
  鏡は葬式用の明器であることがこれからも解る。
  ゴホウラ貝の腕輪をしている死者もいる。腕輪をジャラジャラ鳴らして、みんなを驚かしていたらしい。
  石剣が刺さった人骨、矛に残っている平絹、塞杆状(さいかんじょう)ガラス器、四葉座金具、琥珀製棗玉(こはくせいなつめだま)などなど 一日見ていても飽きないほどの逸品が揃っている。展示内容がすばらしい。

宇佐神宮
 宇佐神宮は雨の中。応神天皇、比売大神、神功皇后の三神の並ぶ本殿に向って一つづずつ順番に二礼四拍手一礼でお参りをする。この本殿の建つ場所を亀山という。
  人によっては、亀山は前方後円墳と言い、中から石棺が出ているともいう。
  本殿を横から見ると、なるほど石垣で横を固め、盛り上げている。
  宇佐の地を邪馬台国とする研究者もいる。その上、亀山古墳を卑弥呼の墓という人もいる。
  宇佐神宮は謎の多い神社でもある。
飯塚市歴史資料館1
飯塚市歴史資料館1

飯塚市歴史資料館2
飯塚市歴史資料館2

飯塚市歴史資料館3
飯塚市歴史資料館3
宇佐神宮1
宇佐神宮1

宇佐神宮2
宇佐神宮2

宇佐風土記の丘
 6基の前方後円墳と約120基の円墳やいくつかの方形周溝墓がある。
  墳丘の規模は78mから30mとさほど大きくはないが、西都原古墳群に次ぐ、九州第二の古墳群だそうだ。
  時間の許す限り、雨のなかを傘をさしながら、あっちへこっちへと歩き回った。皆さん、熱心!!

東九州道が濃霧のため通行止めとなり、ホテルに着くのが大幅に遅れた。


ホテル三泉閣
  雨に濡れた体を別府の温泉で温めてから夕食会場へ。
  内野会長。河村先生の挨拶で宴が始まり、そこかしこで、今日見た遺跡、遺物、神社のはなしで盛り上がる。
  自説、持論が飛び交い、別府の夜は更けていく。
風土記の丘1
風土記の丘1
風土記の丘2
風土記の丘2
ホテル三泉閣
ホテル三泉閣の宴会

3日目

車中のテレビ
昨日の雨はからりと晴れ上がりバスは別府から太宰府へ向かう。
  バスの中で、河村先生が出演したNHKの「日本人のおなまえっ!」を見る。
  マラソンの金栗四三の金栗は、金凝(かなこり)神社の名からきたらしい。
  金凝とは金属の塊のことで、製鉄を意味するという。興味深い話である。


大宰府天満宮

 太宰府天満宮は大賑わい。外国からのYOUたちも多くみられる。
  飛び梅の開花はまだだったが、満開の梅の木も見られた。
  天満宮は菅原道真の墓所であり、各自思い思いに参拝してバスに戻る。
  境内にある宝物殿の国宝・「翰苑」、近くにある九州国立博物館の国宝・金印(レプリカ)、今日は月曜日で共に休館日、見られなくて残念!
  車窓からは、太宰府政庁、水城、観音寺がちらりと見えた。
  途中、宇美町付近で「神武」と書いて「こうたけ」とフリガナのある看板を見た。
  宇美は、神武天皇が東征のときに立ち寄った場所で、その地で誕生した子孫が、 「じんむ」の呼び名をはばかって「こうたけ」と変えたという伝承があるらしい。へえッ?


宇美八幡宮
 この宮は、神功皇后が応神天皇を出産した地とされている。
  境内には大きな樟木が林立する。天然記念物・湯蓋の森がそれである。
  安産祈願に若いカップルがお参りに来ていた。
  河村先生は、この地が不弥国と説く。
  副官の卑奴母離(ひなもり)は夷守(ひなもり)で日守(ひのもり)となる?
  粕屋町の日守八幡社も神功皇后と応神天皇を祀る。
  九州北部にある神社は何かしら記紀の記述に関連がある。
大宰府天満宮
大宰府天満宮

宇美八幡宮1
宇美八幡宮1

宇美八幡宮2
宇美八幡宮2

香椎宮1
香椎宮1
香椎宮2
香椎宮2

志賀海神社
志賀海神社

志賀島
バスから見た志賀島
香椎宮
 
両側に楠木が植生された香椎宮の参道・勅使道をバスで進む。
  香椎宮の祭神は仲哀天皇と神功皇后である。
  本殿は入母屋造りに外陣両翼に切妻の屋根を連結した日本で唯一の「香椎造」という。
  宮司さんから詳しく話を聞いたが、正直よくわからない複雑な建物である。
  本殿の柱の装飾に白いゾウのような動物が見える。それはバクだそうだ。
  境内の中には、武内宿禰を祀る武内神社もある。
  神功皇后がらみの祭神はどんな基準で組み合わされているのだろうか?

志賀海神社
 最後の訪問地、志賀島へ向かう。
  志賀海神社は山の上というか、急な坂を登った上にある。
  社殿は思いのほか立派で、歴史の重さを感じる。
  ここには底津・仲津・表津の綿津見三神に祀られている。
  社殿横からは玄海灘が一望できる。なるほど、三神は、海上守護の神である。
  社務所でレプリカの金印を購入していた人がいた。
 次はその金印が見つかった?金印公園である。
  しかし、飛行機の時間がせまっている。
  残念!乗り遅れるわけにはいかないので、あきらめて飛行場へむかう


今回の旅行はいろいろとハプニングがありましたが、それを乗り越え、何とか終了しました。参加された皆様にはお疲れ様でした。


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