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邪馬台国の会事務局 |
対馬旅行・古代史探訪『魏志倭人伝の旅』(2017.3.5-7) |
1日目 |
前年の秋の企画は台風のため中止となり、再度チャレンジとなる今回の春の旅行は楽しみにしてる方が多かったと思います。 羽田を出発し、まずは福岡近辺の見学で、1日目はハードスケジュールであるため、昼はバスの中の弁当となった。しかしこの弁当、入れ物が凝っていて良かった。 砥上(とがみ)神社(中津屋神社) 最初の見学地は砥上神社で、この神社は砥上岳の南麓にあり、近くには縄文晩期の大木遺跡や弥生末期のヒルハタ遺跡がある。神社の境内に砥上岳登山道のご案内として古い案内図の看板が立っていた。神功皇后の伝承で兵器を研ぎ磨かせたから、「砥上」の名が起こったとのこと。 次の栗田八幡宮は神功皇后の行宮とのこと。しかし栗田八幡宮はバスが入れず、歩くのには少し遠かったので、遠くに居て説明だけで終わった。 大己貴(おおなむち)神社 旧夜洲郡十四ヵ村の惣社で、『日本書紀』の記事と一致する極めて貴重な神社である。『日本書紀』には「大三輪社(おおみわのやしろ)」、『延喜式』神名帳には「於保奈牟智神社」と記されている。 初代の神官は神功皇后に随行して九州に下った大三輪大友主君(おおみわのおおとものぬしのきみ)とされ、代々の神官はその末裔といわれている大神氏である。 大己貴神社の周辺には神功皇后伝承が密集している。 神社背後にある山は神功皇后が四方を眺めたとされる目配山(めくばりやま)がある。 |
![]() 福岡空港からバスへ ![]() 砥上神社 ![]() 大己貴神社 |
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![]() 恵蘇八幡宮 ![]() 若宮八幡神社(月岡古墳など) ![]() 吉井歴史民俗資料館 ![]() 平塚川添遺跡での説明 |
恵蘇八幡(えそはちまん)宮 昔、上座郡の中、三十三ヵ村の総社として栄え、現在は朝倉町の総社である。 斉明天皇七年(661)、百済を支援するため、斉明天皇は中大兄皇子以下を率いて九州に下向し、 国家安泰と戦勝を祈願のため、宇佐神宮に奉幣使を遣わしたところ、天上から白幡が降り、幡に八幡大神の文字が浮かび出たことから、天降八幡なる宮社が創建されたのが始まりとのこと。その後恵蘇八幡宮に名を改めた。 神社の奥には斉明帝藁葬地(さいめいていこうそうち)の塔石がある。 若宮八幡神社(月岡古墳など) うきは市吉井町にある若宮八幡神社境内に月岡古墳など5世紀中頃とする古墳がある。月岡古墳は全長80mの前方後円墳である。鉄製の甲(よろい)・冑(かぶと)・刀・剣・鏃・馬具などが出土している。 吉井歴史民俗資料館 あまり広くない資料館で、月岡古墳の出土物などを展示してあった。重要文化財の金銅装眉庇付鉄冑(こんどうそうまびさしつきてっちゅう)、金銅装臑当形鉄製品(こんどうそうすねあてがたてつせいひん)などに興味をそそられた。 あいにく写真撮影禁止で写真をお見せできない。 うきは市は装飾古墳で有名で、日岡古墳をはじめ珍敷塚(めずらしづか)古墳など多くの古墳がある。そちらの方もゆっくり見たいものだと感じた。 平塚川添遺跡-Wikipedia この日の最後の見学地は、平塚川添遺跡でした。 小石川の中流域低地に弥生時代後期を中心とする拠点的集落遺跡で、地域の教育委員の方に丁寧な説明をして頂き、大変満足した。 夕方で少し暗くなりはじめたが、みんなで最初の記念写真を撮った。 |
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![]() 平塚川添遺跡で全員写真(クリックすると拡大します) |
2日目
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3日目
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