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古代史論争最前線 日本古代史上の超難問に挑む! |
弥生時代の開始年代論争から、金印真贋論争、邪馬台国論争、神武天皇をはじめとする古代諸天皇の実在・非実在論争、日本への仏教伝来時期論争まで、未だに誰も明解な答えを導き出せていない問題へと果敢に切り込む! |
本書 はじめに |
●古代史を楽しむために● 「史癖は、佳癖なり」ということばがあります。 「歴史をたのしむのは、よい趣味である」というほどの意味でしょうか。 とくに古代史については、しらべて得られた証拠をもとにして、推理をしていく楽しみがあります。手がかりをもとに、さらにしらべ、あれこれ推理していくと、あらたなことがわかり、推理小説の主人公の、探偵になったような気分が味わえるわけです。 努力しだいでつぎつぎと新しい証拠を得ることができます。 推理においては、つぎの二つのことが大切です。 (1) 得られた証拠は、確実なものか。 (2) 証拠から、結論にいたる推理の道すじはたしかか。 古代史の推理において、あまりよくないと思われるものには、つぎのようなものがあります。これらは「悪癖」というべきものです。 (1) 推理というよりも、想像や連想を大幅にかさね、トンデモ本とかわりがなくなっているもの。 (2) たとえば、「邪馬台国の九州説」、あるいは「邪馬台国の近畿説」などの、前提、思いこみ、先入観をもっていて、得られた材料を、すべてその前提にあうように「解釈」していくもの。つまり「我田引水」の理論のもの。 (3) 多くの材料のなかから、自説に有利なものだけを証拠として取りあげ、自説に不利なものは、すべて無視するもの。 (4) 「自説」がある特定の「学説」であって、その特定の「学説」を信じこんで、すべてその学説によって説明できるとするもの。深入りはカルトに近い。 (5) 自分できちんとしらべ、確かめ、考えようとせず、だれかが述べていることを、適宜組みあわせてストーリーをつくり、それでよしとするもの。この場合、付和雷同的な多数意見に左右されがちになります。そして、権威者の意見にしたがうようになりがちです。 (6) きちんとした証明よりも、とにかくマスコミなどをつうじた宣伝に腐心しているもの。 私は『季刊邪馬台国』という雑誌を編集していて思うのですが、研究者にとって自説を世にみとめさせたいという欲求は、食欲などの他の欲求と同じていどに、強烈なばあいがあるようです。それはそれでよいのですが、きちんとした証明法をまなび、それを実行することのほうが先決だと思います。 基本的に、科学や学問は、宣伝によって多数の賛同を得ることじたいを目的とするものではありません。なにが、客観的事実に近いかを考えるものです。 ガリレオを弾圧して天動説が多数意見になったからといって、地球が止まり、太陽がほんとうに地球のまわりをまわるようにはなりません。 古代史探求のばあい、残されたもろもろの証拠によって、客観的事実をあきらかにしようとしているのだ、という意識と覚悟が必要だと思われます。 百人いれば、百人の考え方があるからといって、百人の探偵がいれば、真犯人が百人になったりすることはありません。 (7) 観測された事実についての、ある「解釈」において、有力な反論がすでにでていることを見落としているもの。 朝早く、ビデオカメラをもって、太陽が山の端をはなれるところをうつして、「百聞は一見にしかず。太陽は動いている。」という。 この議論の方法のいけないところは、観測されたその事実は、地動説によってでも説明できるという観点を落としていることです。 以上のような注意すべき諸点がたくさんあるため、古代史の諸論点を考えるのは、ほんとうに頭の体操になります。 もろもろの留意点に十分注意をはらったうえで、さらに、復元された古代史像の全体的良否を判断すべき、基準があります。 それは、「統一理論の必要性」ともいうべきもので、以下に述べるような基準です。 大正時代から昭和のはじめごろにかけて活躍した古代史家の笠井新也は、邪馬台国問題に関連して、卑弥呼を「わが古代史上のスフィンクス」と呼び、およそつぎのように述べています。 邪馬台国と卑弥呼とは、『魏志倭人伝』の中のもっとも重要な二つの名で、しかも、もっとも密接な関係をもつものである。そのいずれか一方さえ解決を得れば、他はおのずから帰着点を見出すべきものである。すなわち、邪馬台国はどこであるかという問題さえ解決すれば、卑弥呼が九州の女酋であるか、あるいは、大和朝廷に関係のある女性であるかの問題は、おのずから解決する。 また、卑弥呼が何者であるかという問題さえ解決すれば、邪馬台国が畿内にあるか九州にあるかは、おのずから決するのである。したがって、私は、この二つのうち、解決の容易なものから手をつけて、これを究明し、その他、考えおよぶのが、怜悧な研究法であろうと思う。 (「邪馬台国は大和である」〔『考古学雑誌』第12巻第7号、1922年3月〕)。 つまり、「邪馬台国問題」については、つぎの二つが、同時に解決されなければ真 の解決とはいえない、というのです。 (1) 邪馬台国はどこか。 (2) 卑弥呼はだれか。 より統一理論を求めよ、ということです。 立方体を理解するためには、正面図も、平面図も、側面図も必要です。 ある面だけをとらえて、「これが真実です」といったのでは、不十分だということ です。 部分的真実は、かならずしも全体的真実ではありません。部分的真実にこだわると 「群盲象を撫でる」というようなことになりかねません。 上質の古代史像は、古代史のある一面だけを説明しうるものでは、ないはずです。 たとえば、邪馬台国問題のばあいであれば、『魏志倭人伝』などの外国文献に記されていることも、『古事記』『日本書紀』をはじめとする日本文献に記されていることも、考古学的な事実も、あるいは、民俗学的な事実や、言語学的な事実や、神社の縁起のことなども、総合的・統一的に説明できる理論が、よりよい説明体系なので す。 たとえば、「邪馬台国問題については、考古学的には、これが正しいのです」といって、他の文献的諸事実などを軽視しているような理論があるとすれば、一面的な理論でないかどうかを、よく吟味してみる必要があります。 本書では、邪馬台国問題や、志賀島出土の「漢委奴国王」の金印の真贋問題、弥生時代の開始年代は従来よりもさかのぼるかどうかなど、古代史の重要な諸論争点を取りあげ、根拠となる諸事実を示し、古代史像の復元につとめました。 私のこの本が、さきに述べたような「悪癖」におちいっていないか、よく検討していただければ幸いです。また、さきに述べた「悪癖」におちいらないようにするための警鐘にもなれば幸いです。 |
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