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大崩壊「邪馬台国畿内説」 土器と鏡の編年・不都合な真実 |
本書 はじめに |
最近の「邪馬台国=畿内説」の本 最近、「邪馬台国=畿内説」を主張する論著が、あいついで刊行されている。 たとえば、つぎのようなものである。 ○白石太一郎「箸墓古墳と大市墓」(『天皇陵古墳を考える』学生社、2012年刊所収) ○大塚初重「東国の出現期古墳と大和政権」(『大美和』、2012年、第122号) ○大塚初重『邪馬台国をとらえなおす』(講談社現代新書、2012年刊) ○東潮(あずまうしお)著『邪馬台国の考古学』(角川学芸出版刊、2012年刊) 現代の考古学界のリーダーとされる人々の論著である。とくに、大塚初重氏は、日本考古学協会の会長も、された方である。 これらの論著を読んで、現代の考古学は、これら一群のリーダー諸氏にみちびかれて、誤った道を歩きつつあると、強く感じた。これらの論著に書かれている主要な論点は、あるいは、考古学界のリーダー諸氏の住む世界の多数意見とは、合致しているのかも知れない。しかし「事実」とは、合致していない。 この四つの論著は、いずれも、国立歴史民俗博物館グループ(以下、「歴博研究グループ」と略す)の炭素14年代測定法の結果を、みずからの「邪馬台国=畿内説」の論拠または、補強材料としてとりあげている。 つぎのとおりである。 ○[白石太一郎氏] 「最近、国立歴史民俗博物館の研究グループが実施した、箸墓古墳周辺の出土土器の付着物(おコゲや煤)の炭素年代測定の結果が報告されています[春成ほか、2011]。それによると、箸墓古墳の造営期にあたる布留0式土器の年代は、西暦240〜260年代という数値がえられたということです。この年代は、さきに紹介した最近の大型前方後円墳の出現年代に関する多くの考古学研究者の想定と一致しており、こうした考古学的な年代想定が、自然科学的な年代決定法によっても支持されるものであることを示すものとして、私などはきわめて重要視しています。」 ○「大塚初重氏」 「最近、佐倉市の歴史民俗博物館では放射性炭素14の年代決定によって240年から260年という年代を出しておりまして、それは図らずも『魏志倭人伝』の東夷伝の倭人条に出てくる正始8年前後に邪馬台国の女王卑弥呼が死んだという247年か248年という年代を想定すれば、奈良県桜井市の箸墓古墳は卑弥呼のお墓の可能性有りと、白石太一郎先生のこれまでのお考えと歴史民俗博物館の皆さんのお考えが一致していることになります。」(「東国の出現期古墳と大和政権」) 「ホケノ山古墳の築造年代が三世紀前半、箸墓が240年から260年で認められるとすれば、黒塚古墳は三世紀後半から四世紀初頭頃の年代が与えられると筆者は考えている。」(『邪馬台国をとらえなおす』) 「何よりも問題とすべき点は、箸墓古墳に先行する石塚古墳やホケノ山古墳の纏向型前方後円墳の築造時期が三世紀前葉となり、箸墓古墳の登場が三世紀中葉前後の可能性が強くなったことである。つまり考古学的には古墳時代の開始年代が三世紀前半代までさかのぼることが確実となり、邪馬台国の時代が弥生時代ではなく、古墳時代のくくりに入ってきたことになる。この意義は大きい。」(『邪馬台国をとらえなおす』) ○「東潮氏」 「箸墓古墳は、特殊器台から特殊器台形埴輪への変遷過程をみても、初期の前方後円墳といえる。倭王墓として仮定して、箸墓古墳を卑弥呼墓にあて、年代を三世紀中葉と推定する。箸墓古墳の木材の炭素14年代測定法の資料も補強する。箸墓古墳は33面の三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳の前段階に位置づけられる。正始元年(240)鏡があらたにみつかった桜井茶臼山古墳より築造開始年代は先行する。」 三氏が三氏とも歴博研究グループの放射性炭素14年代測定についての発表を肯定的にとりあげている。 「歴博研究グループ」の発表が、三氏のもつ先入観に、いたく合致したものであったからであろう。 このような文章を読むと、あきれやいきどおりを通りこして、いささか、徒労感をおぼえる。 それはつぎのような理由にもとづく。 (1)「邪馬台国=九州説」を説く人は、いっぱんに、「邪馬台国=畿内説」の人の書いた本もよく読み、検討する傾向がある。これに対し、「邪馬台国=畿内説」の人は、はじめから自説は正しいと、きめてかかってしまう傾向がある。「邪馬台国=九州説」の本を、まったく読もうとしない姿勢や、反証については、無視する姿勢がめだつ。 「歴博研究グループ」の炭素14年代測定法の報告なるものは、日本考古学協会の会員であれば、だれでもが発表できる十五分ほどの発表と、マスコミへの事前リークを行ったものにすぎない。そして日本考古学協会での発表のさいも紛糾したものである。当時の『毎日新聞』も、「会場からはデータの信頼度に関し、質問が続出した」と報じている(2009年6月1日付)。その後、2010年3月27日(土)に、大阪大学で開かれた日本情報考古学会というこの分野の専門の学会での公式のシンポジウムでは、歴博研究グループの発表は、方法も結論も誤りであると、ほとんど全面的に否定されている。また、確実な反証が示されている。このシンポジウムの内容は、日本情報考古学会の機関誌『情報考古学』のvol.16 No.2(2010年刊)以下に、連載で掲載されている。 日本情報考古学会は、統計学者で同志社大学教授の村上征勝(むらかみまさかつ)氏(もと、文部省統計数理研究所・総合研究大学院大学教授)が会長で、理系の人の発表や、コンピュータによる考古学的データ処理などの発表も多く行なわれている。炭素14年代測定法などの検討には、もっともふさわしい学会といえる。 日本考古学協会の会員で、この方面の専門家である山岸良二氏は、2010年4月27日(火)付けの『東京新聞』朝刊のコラムのなかで、「(歴博研究グループの炭素14年代測定について)学界では七対三の割合で測定結果に否定的」と、意見をのべている。このコラムは、インターネットで、容易にみることができる。 畿内説を説くにしても関係学界ですら賛同者は、少数意見とみられるような「歴博研究グループ」の発表に、考古学のリーダー諸氏が、簡単にとびついて、ほんとうによいのであろうか。 「はじめに畿内説ありき」で、その結論にあうと思えば、内容をよく検討もしないで、自説のサポート材料にとりいれているとしか思えない。 旧石器捏造事件は、考古学の分野の人々に、注意深さを求めるものではなかったのか。 「歴博研究グループ」の発表への反証などは、つぎの私の二つの著書でも、くわしく紹介している。 O『「邪馬台国=畿内説」「箸墓=卑弥呼の墓説」の虚妄を衝く!』(宝島社新書、2009年刊) O『卑弥呼の墓・宮殿を捏造するな!』(勉誠出版、2011年刊) とくに『卑弥呼の墓・宮殿を捏造するな!』のほうは、大塚初重氏にも、お送りしてあるはずである。 歴博研究グループのえた結果は、大塚初重氏ののべるように、「図らずも」えた結果ではない。はじめに結論があって、意図的にそうなるように読みとったものである。考古学についての発言もしておられる自然科学者の山口昌美氏のことばをかりれば「予備知識に基づく予定調和的なデータ解釈」とみられるものである。そのことも、私の本のなかに、くわしく書いておいたのであるが。 「歴博研究グループ」のなかの考古学者の見解にもとづき、もとの炭素14年代測定の結果そのものからは、読みとれないものを読みとったとみられるものである。それを、マスコミ発表をする。悪質な世論操作というべきものである。 また、「歴博研究グループ」が、2011年刊の『国立歴史民俗博物館研究報告』第163集に掲載した報告「古墳出現期の炭素14年代測定」については、私の編集している『季刊邪馬台国』111号(梓書院、2011年刊)を、参考にしていただきたい。 そこでは、数理考古学者の新井宏氏により、「歴博研究グループ」による資料の改変、隠蔽などが、具体的にくわしく指摘されている。また、土器付着物の炭素14年代は、年代が古めに出るという「土器付着物問題」の無視が、とりあつかわれている。 (2)白石太一郎氏は、かつて、国立歴史民俗博物館の副館長をしておられた。 「歴博研究グループ」は、白石太一郎氏の「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」の影響をうけているとしか思えない。 炭素14年代測定法の結果(事実)は、箸墓古墳の築造年代は「四世紀」である確率が、高いことを示している。「歴博グループ」の「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」は、確率論的・統計学的には、十分な安全さで、否定できるものである。(1パーセント以下の危険率で棄却できる。これについても、前著『卑弥呼の墓・宮殿を捏造するな!』で、くわしく根拠をのべた。「歴博研究グループ」の説を支持するのならば、そのまえに、まず拙著であげた根拠などに対する具体的な反証を、示していただきたい)。 「歴博研究グループ」は、ほとんど滅裂な論理で、白石太一郎氏の説にあうように箸著古墳の年代をくりあげ、西暦240〜260年とする。すると、白石太一郎氏は、これで、自然科学的な年代決定法によっても、自説は、支持されたと考える。しかし、それは、自然科学的な方法によってえられた客観的事実をみているのではない。みずからの影をみているにすぎない。 旧石器捏造事件のさい、捏造発覚以前に、石器から、「ナウマン象」の脂肪酸が見出された、との鑑定結果を発見した学者がいた。「ナウマン象」の脂肪酸が発見されたのなら、その石器は、まちがいなく旧石器である。しかし、旧石器捏造事件発覚後は、「ナウマン象」の脂肪酸にみえたものは、捏造者・藤村新一氏の手のアブラであろうといわれている。「自然科学的な方法」によるばあい、考古学者たちの見解に追随し、それにあうように結果を解釈し発表する学者たちがいるので、注意を要する。 以下続く・・・省略 |
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