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大炎上「三角縁神獣鏡=魏鏡説」

大炎上「三角縁神獣鏡=魏鏡説」

『三角縁神獣鏡』といわれる鏡を、卑弥呼が魏から与えられて鏡だと主張する人たちがいる。

しかし、この鏡は、四世紀中ごろの崇神天皇の時代前後に、わが国の鏡作り氏たちが作った鏡とみられる。
これはメイド・イン・ジャパン鏡だ!


本書「はじめに」より
 『魏志倭人伝』は、魏の皇帝が、倭王卑弥呼に、多くの織物や、金八両や、五尺刀二口その他とともに、「銅鏡百枚」を与えたことを記している。
 魏が、卑弥呼に与えた鏡については、それを、「三角縁神獣鏡」とよばれる鏡であるとする説がある。しかし、その説には、つぎの二つの大きな欠陥がめだつように、私は思う。
 その第一は、わが国で出土する「三角縁神獣鏡」の分析だけをくわしくとりあげて、そこに過度の重点をおいて、探究しようとする傾向である。これは、どこまでいっても、あくまで、わが国で出土する鏡についての分析である。
 与えたがわの、中国での出土鏡の、全体的状況から探究しようとする観点が、ぬけている。
 たとえば、三世紀当時、中国の洛陽では、どのような鏡が、おもに行なわれていたのか。これについての、正しい認識は、えられているのか。
 中国の黄河流域(おもに、魏の支配領域)と、揚子江(長江)流域(おもに、呉の支配領域)では、使用されていた鏡に、大きな傾向的違いがあった。その違いは、正しく認識されているのか。
 中国の代表的考古学者の王仲殊氏などが、このような傾向の違いを指摘しても、それに、耳をかたむけようとしない。このような、中国のがわに立って、鏡をみようとしないことが、第一の欠陥である。
 第二に、わが国の、「三角縁神獣鏡」についての研究は、しばしば、独得の論理を発展させている。
 中国でも、わが国でも、鏡の出土数は、そうとうの量に達している。にもかかわらず、統計学や確率論などの、諸科学に共通の、客観的な方法や論理にもとづいて探究していない。
 「はじめに、『三角縁神獣鏡=魏鏡説』ありき」で、その結論にあわせるために発展させた独自の論理にもとづいている。そのため、統計的な「観測事実」などに合致していないことが多い。事実と照らしあわせての矛盾は、きわめて大きくなっているともいえる。
 以上をまとめれば、わが国の「三角縁神獣鏡」についての研究は、しばしば国際性や、学際性を、見失っているようにみえる。独得の内むきの論理にしたがって展開されているようにみえる。
 自分の家のなかだけの観察にもとづいて、世界や宇宙を論じてはならない。
 学問とか科学とかよばれるものは、特定の分野だけで孤立してしまうと、みずからの科学性を、喪失してくるものである。
 主観的判断や独断、あるいは、たんなる空想に近づいて行く。
 わが国出土の「三角縁神獣鏡」だけにもとづいて、卑弥呼の鏡を考えようとしてはならない。卑弥呼は、三世紀の人で、「三角縁神獣鏡」は、主として、四世紀の古墳から出土している。使用された時代が、違うようにみえる。また、「三角縁神獣鏡」のデザインは、魏と敵対した呉の鏡の系統のものである。揚子江流域系の鏡である。
 さらに、特に重要なことは、「三角縁神獣鏡」は、肝心の中国からは、これまでに、一面も出土していない。そのため、使用された年代を、中国資料で、確定することができない。いっぽう、わが国からは、五百面以上の「三角縁神獣鏡」が出土している。しかし、それらは、布留式土器の時代の遺跡から出土している。卑弥呼の時代ともいわれる庄内式土器の時代の遺跡から出土したと、確実にいえるものは、一面もない。
 これらの不自然さを、独自に発展させた論理と、「またも、卑弥呼の鏡出土!!」式のマスコミ大発表をくりかえすことによっておぎなおうとする。そして、独自に発展させた論理だけを尊重して、他の、検証可能な科学的論理を、かえりみようとしない。
 「画文帯神獣鏡」や「位至三公鏡」などといわれる鏡は、中国からも、日本からも出土している。したがって、これらの鏡の、中国鏡については、その出土年代を、大略知りうる。そして、中国出土鏡の年代をもとに、日本出土鏡の年代を、あるていど求めうる。
 さらに、「画文帯神獣鏡」や「位至三公鏡」の年代をもとに、「三角縁神獣鏡」の年代を、考えることができる。
 この本では、そのような方法によって、「三角縁神獣鏡」の年代を考えようとした。
 「三角縁神獣鏡=魏鏡説」にしても、「三角縁神獣鏡=メイド・イン・ジャパン説」にしても、これらは、いずれも証明を必要とする「仮説」である。
 証明のためには、データなり、根拠を、示さなければならない。
 ところが、「三角縁神獣鏡=魏鏡説」のばあい、データや根拠の提出はない。
 あるのは、「三角縁神獣鏡=魏鏡説」は正しいという「前提」にたつ「解釈論」ばかりである。「三角縁神獣鏡=魏鏡説」は、証明すべき「仮説」ではなく、解釈を進めるための既与の「前提」になってしまっている。したがって、「三角縁神獣鏡=魏鏡説」は、証明によって得られた「結果」ではない。「三角縁神獣鏡=魏鏡説」は、その説にとって、不利な事実や、データについてはほとんど沈黙する。その仮説に、賛成するにしても、反対するにしても、その根拠となるデータを、つみ重ねて行くという形をしていない。
  この本は、このような傾向に警鐘をならす意図をもって書かれたものである。
 「この道は、いつか来た道」のメロディが、たびたびくりかえされるようであってはならない。
 この本では、かなり自由に筆をふるわせていただいた。  このような本に、刊行の機会を与えられた勉誠出版の池嶋洋次会長、また、とくにお世話になった編集部の岡田林太郎氏をはじめ、お力ぞえいただいた方々に、厚く御礼を申しあげる。
   2012年11月20日       安本美典




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