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講談社
邪馬台国ハンドブック

邪馬台国ハンドブック 古代史上最大の謎に迫る!
邪馬台国の位置は?
卑弥呼とは何者?
邪馬台国と大和政権の関係は?
この本一冊に邪馬台国研究の基本データを満載



 本書「はじめに」より

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最近、京都府福知山市の古墳から、中国の三国時代魏の年号である「景初」の「四年」の銘文 の刻まれている青銅鏡が出土した。

『魏志倭人伝』によると、その前年の景初三年に、邪馬台国の女王卑弥呼の使者が魏におもむき、 魏の皇帝は、「銅鏡百枚を下賜した」という。魏の年号「景初」「正始」の刻まれている銅鏡は、 これまでに、全国で五例出土しているが、「景初四年」というのは、初めてであるため、話題を呼 んでいる。

小林行雄(京都大学名誉教授)、樋口隆康(京都大学名誉教授)、田中琢(奈良国立文化財研究 所埋蔵文化財センター長)の諸氏は、この鏡は、魏でつくられた鏡であるとし、このタイプの鏡 が中国でつくられていたことを裏付けるもので、卑弥呼が魏からもらった鏡と関係があるであろ う、とされた(『朝日新聞』一九八六年十月九日号、『読売新聞』十月十二日号、『毎日新聞』十一 月一日号)。

これに対し、中国の王仲殊(中国社会科学院考古研究所長)、森浩一(同志社大学教授)、奥野 正男(筑紫古代文化研究会主幹)の諸氏は、景初という年号は、三年で終り、景初四年という年 号は、まったく存在しないこと、したがって、存在しない年号を、魏の官営工房で記すはずがな いこと、などから、この種の鏡は、日本でつくられたもの、とされた(『日本経済新聞』十月二十 七日号、『毎日新聞』十一月七日号)。

このような議論をみれば、一枚の鏡が発見されるというような事件ごとに、邪馬台国問題の結 論は、ゆれ動いているようにみえる。

しかし、ほんとうにそうなのであろうか。

『魏志倭人伝』には、鏡のことだけが記されているわけではない。倭人は、兵器に、「矛」を使っ ていたという。鉄の鏃も使っていたという。蚕をかい、絹織物もつくっていた。

「矛」「鉄」「絹」など、『魏志倭人伝』に記されている事物の遺物のほとんどは、今日、九州から 出土している。

「鏡」も、邪馬台国時代にあたる弥生時代の遺物として出土しているものにかぎれば、ほとんど が、九州から出土している。

魏の年号の記されている鏡や、そのような鏡とつながる「三角縁神獣鏡」といわれる鏡は、弥 生時代のつぎの、古墳時代になって出土している。

今回の、「景初四年鏡」も、古墳から出土しており、弥生時代の遺跡から出土したものではない。 このような全体的な状況をみれば、今回の「景初四年鏡」は、やはり、古墳時代になって、わ が国で製作されたものと判断せざるをえない。

私は、かねがね、邪馬台国問題についての基礎的なことがらの、ほぼすべてがわかるような本 を書きたいと思っていた。

私は、邪馬台国問題を考えるにあたって、基礎的な事実を、きちんとつかんでおくことは、大 変大切なことであると思う。

私は、月に一回、古代史の愛好者のつどいである「邪馬台国の会」を開いている。そこでの意 見発表などに耳をかたむけていると、「事実」について判断する力は、年齢や研究年数には、あま り関係がないようである。中学生、高校生の発言が、意外にすなおで、正鵠を射ており、年配の 方の発言が、その方独自の、特定の強い思いこみにもとづいていると思われる場面にも、案外し ばしばであう。

基礎的な確実な事実をふまえ、「初心を忘れないこと」は、古代史の迷路におちいらないための、 必要な条件であると思う。

議論の混乱は、しばしば、「基礎的な事実」よりも、論者独自の「解釈」や立場を優先するとこ ろから起きている。人文科学において、「解釈」することは大切であるが、「解釈」を優先しすぎ ると、結局は、「主観」になってしまう。

邪馬台国問題において、基礎的なデータを整理しながらつみ重ねてみるとき、いくつかの基本 的な問題は、すでに、解決に近いところにまで来ていると思う。

邪馬台国問題について、現在までに得られている諸事実を、集成・総合しておくことは、さま ざまな説を判断するさいの、基準を提供するであろう。新たな考古学的発見などの意味を理解す るための枠ぐみとなるであろう。さらに、研究をすすめ、個々の方が、みずからの古代史像を描 くさいの出発点にもなりうるであろう。

邪馬台国研究を行なうさい、最初にひもとくべき一冊となりうるような本を書きたい、現在の 邪馬台国研究が到達している水準が、この一冊の本でわかりうるような本を書いてみたい、それ も、単なる事実の羅列ではなく、あるていどのストーリィ性をもつ、読みやすい本を書いてみた い、それが、この本を書くさいの願いであった。

幸いにして、講談社出版研究所の斎藤稔、滝山和男氏のおすすめがあり、私の願いは、このよ うな形での、実現の機会をえた。この本が、私の願いをどのていどみたしているか、今は、読者 の判断をまつばかりである。

面倒な図表などの多い、このような本に刊行の機会が与えられたことを、心から感謝している

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