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徳間文庫 | ||||
神武東遷 (文庫版) |
この本は、神武天皇の実在証明の本であ
る。 神武非実在説は、おもに『古事記』『日 本書紀』の分析による。 しかし、その方法 と結論のだしかたは、主観や先入観が、い ちじるしくはいりやすい方法によっている。 新しい、客観的な文献学によるとき、非実 在説は矛盾が大きく、逆の結論がみちびき だされる。 (本文より) 数理文献学的手法を駆使して、日本古代 史への新たなアプローチを確立した名著。 |
本書「プロローグ」より 1 |
第二次大戦後の日本史学界では、『古事記』『日本書紀』の伝える初代の神武天皇から、第九
代の開化天皇までの九代の天皇は、実在しなかったとする説がさかんである。この立場では、
『古事記』『日本書紀』の語る日本神話も、史実とは無縁であるとする。
このような説は、ほんとうなのであろうか。あるいは、確実な根拠を、もっているのであろ うか。 ひとつだけ、例をあげよう。 戦後の古代史学界では、第二代の綏靖天皇から、第九代の開化天皇までの名前が後世的であ るとし、そのゆえに、これらの諸天皇は、実在しなかったとする。 しかし、このような見解は、容易に反証をあげうる。 八代の天皇の名は、いちがいに、後世的なものであるとはいえない。 たとえば、第二代綏靖天皇の名、神沼河耳の命の「ミミ」は、3世紀に成立した『魏志倭人 伝』に記されている官名、「弥弥」や「弥弥那利」と、共通している。また、すでに、『古事 記』『日本書紀』の神話にあらわれる天の忍穂耳の命、須賀の八耳の神、布帝耳の神、鳥耳の 神などと共通である。 また、名前の頭に、「神」がつくのは、神武天皇と綏靖天皇の二人だけで、後世の天皇には、 例がない。「沼河」も、後世には、例がない。 第三代安寧天皇の師木津彦玉手見の命の、「タマ」は、『魏志倭人伝』に記されでいる「タ マ」と読まれうる官名「多模」と共通である。また、『古事記』『日本書紀』の神話にあらわれ る宇都志国玉の神、宇迦の御魂の神、布刀玉の神、玉依毘売の命などの「タマ」と共通である。 「手見」は、後世に例がない。かえって、『古事記』上巻(神話の巻)の、「穂穂手見の命」の 「手見」と共通である。 |
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以上のことを、いますこしだけくわしく述べておこう。
『魏志倭人伝』の「弥弥」の「弥」の字は、8世紀のわが国の万葉仮名でも、「み(甲類)」と 読まれている(8世紀のわが国では、「み」をあらわす音には、甲類と乙類の二種類があった)。 ここで、万葉仮名とは、漢字の音や訓を借りて、国語の音を表記した文字のことである。 8世紀のわが国において、「み(甲類)」をあらわすのに、もっともよく用いられた万葉仮名 のひとつが、「弥」の字であった(他に、「美」の字も、「み(甲類)」をあらわすのに、よく用い られている)。 そして、今日では、中国語の音の研究がすすみ、中国語の上古音(周・秦・漢代の音)や、 中古音(隋・唐代の音)の様子が、よくわかってきている。 そのような研究の結果、「弥」の字の音は、上古音「」、中古音「」で、ほとんど変 化していない(上古音、中古音は、藤堂明保編『学研漢和大字典』による)。 つまり、3世紀から、8世紀まで、ほとんど変化していないといえる。 このことから、3世紀の『魏志倭人伝』の「弥弥」は、当時の、「倭人語」の「みみ(いず れも甲類)」の音をうつしたとみられる。 そして、『古事記』『日本書紀』の神名や人名にあらわれる「耳」の音は、「みみ(いずれも 甲類)」で、正確に、『魏志倭人伝』の「弥弥」の音と一致する。 このことは、『古事記』『日本書紀』の神名や人名の、古代性を示している。 同様なことは、『魏志倭人伝』に記されている官名、「多模」についてもいえる。 「多模」の上古音は、「tag-mag」、中古音は、「ta-mo」である。上古音で読めば、「たま」、中 古音で読めば、「たも」である。 そして、3世紀のころの中国音は、上古音に近かったとみられるから、「多模」は、当時の 「倭人語」の「たま」の音をうつしたとみられる。 『古事記』『日本書紀』をみると、「玉の祖の命」「布刀玉の命」「宇迦の御魂の神」「宇都志国 玉の神」「前玉比売」など、「タマ」のつく神名、人名が、文字どおり頻出する。 『古事記』のばあい、これらの神名、人名のうち、『古事記』上巻(神話の巻〉にあらわれる もの、のべ34回、中巻にあらわれるもの、のべ7回、下巻にあらわれるもの、のべ3回で ある。 『古事記』上巻にあらわれることが、もっとも多く、中巻、下巻になるにつれ、すくなくなっ てゆく。 |
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すでに、昭和31年に、『魏志倭人伝』の訳を出した島谷良吉氏は、その『国訳魏志倭人
伝』の「前がき」のなかでのべている。
陳寿編纂『魏志巻三十』所載の東夷の一たる『倭人』の記述を見ると、まったく記紀神代 の巻の謎を解くかのように見える。 古代の諸天皇の名前が後世的であるがゆえに、諸天皇の実在が否定できるのであれば、諸天 皇の名前が、古代的であることが証明できれば、諸天皇の実在が、主張できることになる。 諸天皇の名前が古代的であることは、『魏志倭人伝』の官名との一致によって、ほぼ確実に 主張できる。これにたいし、諸天皇の名前が、後世的であるというのは、論理的に、確実な根拠をもって いない。ただたんに、古代の諸天皇の名と、後世の諸天皇の名とに、一致するものがあること を、指摘するにとどまる。 それでは、後世の諸天皇の名が、古代の諸天皇の名にちなんでつけられただけのことである 可能性を、排除しえない。 なんら、古代の諸天皇の名が、後世的であることの、証明になっていない。 |
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古代の諸天皇の実在否定説があげる根拠は、すべてが、以上のべてきた種類のものである。
事実においても、論理においても、ほぼ確実な反証のあげられるものばかりである(これにつ
いてくわしくは、拙稿「古代の諸天皇非実在説は成立するのか」〔『季刊邪馬台国』26号〕、「『倭人
伝』の官名・人名は、神代記事と一致するものが多い」(〔『季刊邪馬台国』33号〕など参照)。
『古事記』『日本書紀』の記す古代の帝記(天皇の系譜の記録)が、後世の造作ではないことは、 東大の古代史家、坂本太郎氏も、明確な根拠をあげて述べておられる(『季刊邪馬台国』26号、 古代の帝紀は後世の造作ではない」)。 戦後の古代史家の多くが依拠する津田左右吉博士の説では、帝紀は後世の造作とする。こ れにたいし、坂本太郎博士は、古来の伝承を筆録したものとする。 坂本氏は、多くの根拠をあげて、およそ、つぎのようにのべる。
古代の歴代の天皇の都の所在地は、後世の人が、頭のなかで考えて定めたとしては、不自
然である。古伝を伝えたものとみられる。
神武天皇否実在説は、おもに、『古事記』『日本書紀』という文献の分析によってみちびぎ だされている、しかし、その分析と結論のみちびきだしかたは、主観とか、先入観とかが、いちじるしくはいりやすい方法によっている。 あたらしい、客観的な文献学の方法によるとき、神武天皇否実在説は、矛盾が大きく、それとは、まったく逆の結論が、導きだされるのである。 |
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