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最新 邪馬台国への道 |
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安本史学のエッセンス 「邪馬台国」は北九州にあった 日本神話の天照大神は、 邪馬台国の女王・卑弥呼のことを語ったものだ! |
1967年(昭和42年)に、私は、『邪馬台国への道』(筑摩書房刊)を出した。 この本は、当時の邪馬台国ブームの波にものり、ベストセラーの仲間いりをした。 たとえば、1967年12月28日号の『図書新聞』では、『邪馬台国への道』は、銀座の近藤書店、 新橋の美松書房などで、ベストセラーの第四位に位置づけられている。 その後、一九七七年に、改訂版の『新考邪馬台国への道』(筑摩書房刊)が出ている。 最近でも、「『邪馬台国への道』を入手したいのですが、……。」というお話をうけることがよくある。 この本は、初版の『邪馬台国への道』の、内容・文章を尊重し、初版の雰囲気をできるだけ残すようにしながら、その後の発見などにもとづく、加筆・訂正を加えたものである。 古代史研究には、さまざまな流れがある。現在、大きな流れのようにみえる古代史研究のある流派も. その源までさかのぼれば、素朴な形をしていることが多い。 そして、その流派の、基本的な特徴が、端的につかまえられるような特徴をしていることが多い。 『邪馬台国への道』も、現在の眼からみれば、素朴な形をしているようにみえる。 それだけに、かえって、私の考えの基本的な骨格が、はっきりとわかる形をしているようにも思えるのである。 初版の『邪馬台国への道』の刊行以後、およそ三十年にわたり、私は、一貫して、邪馬台岡東遷説をとなえてきた。 福岡県の甘木市付近に、卑弥呼の都や墓があったであろうとする説を主張してきた。 卑弥呼の、神話化し、伝承化した姿が、日本神話の伝える天照大神であろう、ということをのべてきた。 そして、1967年の初版刊行以後に、このような考えをうらづけるとくに大きな発見が、二つあったと思う。 それは、つぎの二つである。 |
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この二つの発見は、とくに重要とみられるので、「序章」をあらたにもうけ、説明を加えておくこととした。 |
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まず、邪馬台国の探究にあたって私がこの本でとつた立場についてのべておきたい。 それは、ひとくちでのべるならば、文献批判(テキスト・クリティーク)の立場というよりは、内容分析(コンテント・アナリスト)や数理文献学の立場である。 内容分析の定義としては、シカゴ大学杜会科学教授のB・ベレルソンのつぎの定義が適切であろう。 「内容分析とは、伝達内容を分析するための、客観的、体系的、数量的な方法である。」 内容分析は、おもに二つの源をもっていたといってよい。 ひとつは、文学作品や古文献などの文体や用語の統計的な研究である(これをふつう、数理文献学あるいは、計量文献学という)。 詩や散文のいろいろな文体的特徴(たとえば・文の長さ、ある単語の使用頻度、構文の形式など) を統計的にしらべるというこころみは、かなり古くからみられる。 すでに1867年に、スコットランドのキャムペルは、彼のいわゆる「統計的方法」により、プラトンの著作の執筆順序の推定を行なっている。 また、イギリスの統計学者G・U・ユールが、1944年にあらわした研究も、数理文献学の歴 史上、みおとすことができない。 ユールは、著者不明の古典『キリストにならいて』の名詞の出現頻度などについて大規模な調査をおこない、その著者がトマス.ア.ケンピスであることを推定している。 このような研究については、以前『数理歴史学』(筑摩書房刊)のなかで、まとめて紹介したこと があるし、最近では、統計数理研究所の村上征勝氏の、『真贋の科学-計量文献学入門-』(朝倉書店刊)というよい本が出ている。 内容分析のいま一つの源としては、コミュニケーションについての研究があげられる。 これは、はじめアメリカの新聞の内容を研究するために、ジャーナリズム研究者によって用いられた。 のちには、主として社会学者、社会心理学者の手によって発展をとげた。 第二次大戦中には、アメリカでは、国会図書館に、戦時コミュニケーション実験研究部 (Experimental Division for the Study of Wartime Communications)が設置され、とくに、敵国 の出版物の研究が行なわれ、数理文献学的方法との統合による、内容分析学の確立をみた。 欧米においては、内容分析学が、解釈学に新しい刺激を与えつつある。 文献学も内容分析学の発展にともない、新らしい脱皮をとげつつある。 内容分析学には、さまざまな定義が行なわれていが、内容分析学の特徴として共通的にあげ られているのは、数量的な記述を行なうという点である。 私は、質的な思考様式と、量的な思考様式とは、たがいにおぎないあうべきものであり、研究目 的に応じて、それぞれ正当な権利をもっているものだと考えている。 質的な直観によって、量的な分析をおこなうための前提となる仮説がたてられる。 そしてまた、量的な内容分析によって得られた知識が、新たな直観的な仮説をたてるのに役立つ。 しかしながらわが国ではこのような分野においては、質的な思考様式にくらべ、量的な思考様 式は、かならずしも十分な伝統をもっていない。 数量化の手続きをへることにより、主観的な判断の余地は小さくなる。 本質的なものがうきぼりにされ、法則はみいだされやすくなる。 そして得られた知識は、もっとも集約して記述されるようになる。 『魏志倭人伝』『古事記』『日本書紀』などについてのこれまでの方法による研究は、ほとんど行な われつくしたといってもよいだろう。 新らしい方法なくしては、飛躍的な知識の増大はもはや望めない段階にきている。 とくに邪馬台国の位置についての問題などは、系統的、組織的な方法によら ないかぎり、解決不可能なところまできているといえる。 私はこの本のなかで、『古事記』『日本書紀』などを通じて行なわれた、過去の世代から現代の世 代へのコミュニケーションの内容を、内容分析学、情報科学の立場から分析整理した。 夾雑物をのぞき、法則をみいだし、矛盾は尖鋭な形でとりだそうとした。 そして矛盾を止揚して議論を発展させ、結論をみちびこうとした。 このよう操作を意識的にくりかえして行なった。すなわち、自然科学にきわめて近い立場をとったといってもよいだろう。 私は、内容分析学が、邪馬台国問題を、すくなくとも文献学的に解決するための、きわめて有カ な方法であると考えているものである。 邪馬台国問題は内容分析学がわが国に根をおろすための好個の試金石となると思われる。 内容分析の立場からみるかぎり、「邪馬台国=九州説」は、「邪馬台国=大和説」にくらべ、決定 的に有利である。 だれが行なったとしても、」内容分析の立場からするかぎり、この結論は動かない であろう。 |
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