TOP > 著書一覧 >研究史 日本語の起源 一覧 前項 次項 戻る  


研究史 日本語の起源

「邪馬台国畿内説」徹底批判

日本語の起源問題は解けている。

『万葉集』が朝鮮語、タミル語、レプチャ語で解読できる……。

あまたある俗流起源説を総覧、その誤謬を鋭く指摘し、

日本語の起源問題解明のための方法論を提示する。


     
本書「はじめに」より

■ 科学革命は進行する

いま、日本語の起源探究の分野で、なにが起きているか。

いっぽうでは、19世紀の比較言語学の水準にも達しない「こじつけ論」にすぎない、日本語と南インドのタミル語とを結びつける説などが、マスコミの分野でもてはやされている。

しかし、いっぽうでは、この分野でも、ある種の革命が、静かに進行しつつある。

その革命は、いわゆる「人文科学」といわれてきた分野で起きている革命の一環である。

それは、「人文科学」の対象となってきたようなテーマを、「自然科学」的な方法で探究を行なうという革命である。

この革命は、日本語の起源探究の分野で、もっとも先鋭に、その姿をあらわしている。

「自然科学」にくらべて、はるかに複雑といわれた「人文科学」の対象をあつかいうるような数学が進化してきた。探求に必要な厖大な計算なども、コンピュータの出現・普及によって、容易に処理可能となってきた。

日本語の起源探究問題をふりかえるこの本を、ていねいにお読み下さる方々、そして、以下のようなことを理解して下さる方々が、けっして少数とはいえない数で、いまの日本にはおられることを、私は信ずる。

(1) 日本語の起源問題を、どのようにして探求すればよいかという、方法に関する基本問題は、すでに解決をみていること。

(2) 日本語の起源問題は、この本で述べられているような方法によらなければ、解決することはできないこと。すなわち、きちんと観測データを集積し、「日本語と朝鮮語」「日本語とモンゴル語」「日本語とタミル語」……などの、二言語間の「距離」を量的に測定し、統計学や確率論などの数学も用いて、正確な推論を行なう必要があること。

(3) 日本語の起源問題については、細部はともかくとして、解答のあら筋、大きな骨組みは、すでに提出されていること。大略の見当として、山でいえば、八合目ぐらいまでは、征服されているとみられること。問題の八割ていどは、解決をみていると考えられること。


■ 理解を阻害しているもの

ただ、以上のような理解を、大きくさまたげているのは、『週刊朝日』や、岩波書店などの、日本を代表するといわれるマスコミや出版人などのレベルの低さである。日本の知性を代表するつもりで、間違っていることを、本気で宣伝するのであるから、ばかばかしくもあり、迷惑でもあり、大変困る。情報公害というべきである。

宇宙の出現について考えるのであれば、ビッグバンを考えるよりも、神による創造を考えたほうが、理解しやすく、イメージしやすいところがある。

雷現象を理解するのに、放電現象を考えるよりも、雲の上で雷様が太鼓をたたいている図のほうが、子どもにもわかりやすく、大人にも、イメージしやすいところがある。

太陽が、東から出て、西にしずむのをみれば、天動説のほうが、地動説よりも、朝ごと夕ごとの観察にあっている。  

人間の出現についても、進化論を考えるよりも、神によって、粘土細工のように工作的に創られたと考えた方が、話が簡単で、わかりやすい。

ときとして、わかりやすく、イメージしやすい説明というものが、科学の進歩にとっての大敵となることがある。

面倒なデータの収集や、観察や、論理などを、必要としないからである。子どもにでもわかるお話による説明だからである。

しかし、正確で厖大な観測事実は、たとえば天動説は、成立しえないことを示している。

科学者たちは、ときおり、世間の圧倒的無理解のまえに立ちすくむことがある。

それでも、科学者たちは、岩のあいだのすきまをたどるように、すこしずつすこしずつ、確実な観察をかさね、道をきりひらいてきた。

この本で述べられている方法を理解するためには、数学と同じように、一歩一歩の地道なつみかさねを必要とする。じじつ、若干の簡単な数学のでてくるところもある。

しかし、いまの日本では、このような本にも、一定数の支持者がみこまれ、そのゆえに、出版も可能となるのである。

ひとり曠野で叫ぶようなことにはならない状況といえる。

まして、ガリレオやコペルニクスのように、科学革命を説くことによって、迫害をうけたり、命をおとしたりするような時代ではない。

宗教裁判で有罪となったガリレオの地動説の本などは、百年以上も、出版禁止であった。それでも、地動説は、滅びなかった。 

私の書いたものが、本になるだけでもありかたい。本にできないばあいでも、インターネットで発信する方法もある。よい時代であるといえる。

同じ朝日新聞社の刊行物でも、『朝日新聞』は、すでに、1961年(じつに40年以上まえだ!!」の9月9日号(土)の朝刊で、私の20歳台のときの、『源氏物語』の文体の計量的研究を、まとめた文章を、あるていどのスペースをさいて載せてくれている(統計学者、増山元三郎氏の推薦で、原稿の依頼をうけた)。

『朝日新聞』は、1965年6月29日(土)夕刊でも、文学作品の、文体の統計学的方法による分類についての、私の原稿を掲載している。

1972年2月10日(木)の朝刊では、私たちの、日本語の起源についての研究を、かなり大きな記事で紹介してくれている。

『科学朝日』からは、日本語の起源問題についても、邪馬台国問題についても、原稿の執筆の依頼をうけた(1965年11月号、および、1988年2月号)。

私の主要な研究のポイントは、朝日新聞社の刊行物で紹介されているといえる。

このような点では、朝日新聞社に感謝している。

ただ、『週刊朝日』は、レベルが低かった。大野晋の「日本語=タミル語起源説」を支持し、私たちの説を支持する『週刊文春』と、ほとんどナンセンスな論争を、数回にわたってくりかえした。

朝日新聞社には、レベルの高い記者や編集者もいるが、また、トンデモ本と学術本との区別がつかず、自信だけが強い記者や編集者もいるのだと、つくづく感じた。

あとに来る人々にために、すこしでも道をきりひらいておく必要があるであろう。

あきらめずに声をあげ、ことの次第を説明する必要があるのであろう。

中国の文学者、魯迅も、述べている。

「初めに道はない。人が歩くから道になるのだ。」 と。

このような本に、またまた刊行の機会を与えられた勉誠出版の池嶋洋次社長と、岡田林太郎氏、和久幹夫氏をはじめとするお世話になった編集部の方々に、深い謝意を表する。

2009年3月1日   安 本 美 典  


  TOP > 著書一覧 >「研究史 日本語の起源 一覧 前項 次項 戻る