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「邪馬台国畿内説」徹底批判

「邪馬台国畿内説」徹底批判

「邪馬台国畿内説」は、科学的方法によっているだろうか。
あまりにも事実を無視し、推論が恣意的である。
関係のない考古学的事実を、「畿内説」に結びつけ、マスコミ報道にもちこめば成功、という方法をくりかえしている。「検証」がぬけている。
この方法は「旧石器捏造事件」で懲りたはずではなかったか。
事実を、冷厳に直視すれば、邪馬台国時代の畿内は、なお「扁平鈕式銅鐸」の時代である。
「邪馬台国畿内説」は「はじめに畿内説ありき」の思いこみにもとづく共同幻想である。



本書「はじめに」より

■ NHKの放映

表1 第1回目調査
九州説支持20236票 (66.7%)
近畿説支持 10106票 (33.3%)
30342票 (100%)
2007年3月14日(水)の夜、NHKのテレビ番組「その時歴史は動いた」(松平定知、上田早苗司会進行)で、「邪馬台国はどこか−近畿説vs九州説−」を放映していた。

この番組は、「双方向企画・歴史の選択」と題し、番組放映中に視聴者が、近畿説と九州説とのどちらを支持するかを、調査していた。

表2 第2回目調査
九州説支持35087票 (62.4%)
近畿説支持 21102票 (37.5%)
56189票 (100%)
番組の中ほどと、終りの方との二回調査を行なっていた。 

その結果は、つぎの表1〜表4のとおりであった。 

もちろん、学問上の真実は、多数決によってきまるものではない。 

表3 第2回目調査 ・ 九州在住の人の支持率
九州説支持7506票 (93.4%)
近畿説支持 527票 (6.6%)
8033票 (100%)
たとえば、ガリレイの時代、地動説は圧倒的な少数意見であった。しかし、現在、ガリレイの支持した地動説のほうが妥当とみとめられている。

しかし、表1〜表4の結果をみて、私は意外に思った。 

それは、九州説の根づよい人気である。近畿を中心とする考古学者はこれまで、なにか大きな発掘があると、ほとんど邪馬台国と結びつくとは思えないことまで、「邪馬台国近畿説」と結びつけて発表する傾向があるように思えた。また、新聞をはじめとする報道機関も、それを大報道する傾向があるように、九州説の私は思ってきた。
表4 第2回目調査 ・ 近畿在住の人の支持率
九州説支持4028票 (34.9%)
近畿説支持 7499票 (65.1%)
11527票 (100%)


それは、ほとんど近畿説プロパガンダの一種のようにさえ思えた。やや忿懣をおぼえるところであった。

とくに、九州では、近畿説の伝統のある京都大学で学んだ九州大学教授の考古学者、岡崎敬氏、西谷正氏などが、長年にわたり、邪馬台国近畿説を説いてこられた。

それにもかかわらず、九州においては、93パーセントという圧倒的多数の人々が、九州説を支持しているのである。

近畿在住の人の近畿説支持率(65.1パーセント)でさえ、全国平均の九州説支持率(66.7パーセント、および、62.4パーセント)ほどでしかない。

これはなぜか。

思うに、邪馬台国問題は、『魏志倭人伝』という中国文献に発する歴史上の問題である。

本来、文献学、考古学、民俗学、神社についての研究、地名学、神話伝承研究など、きわめて広汎な情報を総合する必要のある古代歴史に関する問題である。

考古学分野だけからの情報にもとづく説得には一定の限界があるのではないか。

たとえば、卑弥呼のことは、たとえ伝説的な形であるにしても、『古事記』『日本書紀』に記されているのか、いないのか。

記されているとすれば、何天皇のところに、どのような形で記されているのか。記されていないとすれば、それはなぜなのか。

たとえば、このようなことが、一般の人々をかなり納得させる形で、総合的に説明されなければ、近畿説の支持が、九州説の支持を大きく上まわることは、おそらくないであろう。

しかも、ほんとうに、考古学的にみて、畿内説は有利といえるのか、という問題がある。

たとえば、鉄の武器などは、畿内よりも北九州から、圧倒的に多く出土している(これについては、本文中でふれる)。

■ 畿内説は、共同幻想
確実に邪馬台国時代のものといえる奈良県の遺跡・遺物は、あまりにも乏しい。

奈良県は、大和朝廷の成立ののち、数百年にわたって王城の地であった。のちの時代の遺跡・遺物は、豊富である。

大学の師や先輩のことばを、そのままうけつぎ、「はじめに大和説ありき」で物を見ることによって大和説は成立している。

のちの時代の遺跡・遺物を古い時代に位置づけ、年代をくりあげ、マスコミでの大宣伝をくりかえすことによって邪馬台国論争に決着がつくと思いこんでいる。

しかし、事実は、頑固である。まちがいだらけのマスコミ報道。畿内説は、旧石器摸造と同じ種類の共同幻想である。事実を見ていない。

このやり方は、いつかは破綻がくる。

■ 考古学偏重の誤り
新聞社の文化部や学芸部なども、考古学を専攻した記者を採用していることが多い。

そのため、全体的な視野から把握されなければならない日本古代史の報道が、とかく、考古学者の意見の代弁・発表にかたむきがちになっている。

ここで、「考古学者の意見」と「考古学的データそのもの」とを区別する必要がある。

「考古学的データ」は「事実」に近いものであるのに対し、「考古学者の意見」には、しばしば、「解釈」がはいっている。

そのデータからでは、その「解釈」はとうてい無理と思えるのに、あたかもその「解釈」が高い確率で成立しうるかのように発表する考古学者が、あまりにも多い。

邪馬台国問題は、『魏志倭人伝』という文献から発生した。すぐれて文献学的な問題である。ところが、マスコミ報道では、考古学関係の方の意見ばかりが偏重されているようにみえる。

その結果、邪馬台国問題についてのマスコミ報道の過半は、誤りか、さもなければ、きわめて不確実な事実にもとづいている。

考古学者とマスコミの人々との協同作業による、不確実な椎論にもとづくプロパガンダは、なにをもたらすか。付和雷同的な多数意見の形成が、どのような結果をもたらすか。この道は、いつかきた道。旧石器捏造事件は、それに似たような道をたどっておきた事件ではなかったか、

「邪馬台国畿内説」も、なにやら、捏造された旧石器にもとづく、空中楼閣的古代史像に近づいて行きつつあるようにみえる。
  • 考古学者の方々の「解釈」が、どうも、あまりに非論理的にみえることが多い。論理的でないのに、マスコミ的プロパガンダによって多数意見を形成しようとする傾向が強すぎる。科学の共通基盤のうえにたっていない。

    考古学では、大量の鏡や銅鐸など、これというものを掘りだせば、発掘者は、たちまち、マスコミを通じ、時代の寵児となりうる。そのために、一発の発掘と、マスコミ的プロパガンダをねらう傾向が強くなりすぎている。検証や、論証が、他の学問分野にくらべ、きわめて弱くなる傾向があるのではないか。

    「なにがなんでも、畿内説は正しい。そのうちに、畿内説を支持する決定的証拠がでてくるはずだ。どんな議論も、決定的証拠がでてくれば、終りになる。」現在出土している諸事実を無視するこのような傾向に、あまりひきずられてはならない。

    科学や学問上の真理は、「検証」によってもたらされるのである。「宣伝」によってもたらされるものではない。

  • 文献的事実や、論証を無視または軽視する傾向が強い。そのため、考古学的な事実は、ばらばらのままで、歴史の流れ、あるいは、ストーリーのなかに、うまくおさまらないものとなりがちである。

    たとえば、明治維新のような改革でも、かりに、文字資料を無視し、考古学的な事実のみで考えようとするとどうなるか。一般の人々の服装も、軍隊の装備も、明治維新をさかいに、急激に欧米化している。そのため、日本は、欧米によって征服されたのであろうとする仮説も成立しうるであろう。

    他をかえりみずに、また、合理的推論によらず、考古学的資料と想像だけによって、古代史を復元しようとするのはあぶない。思いこみや刷りこみにもとづく誤った古代史像を形成しがちになる。

    古代史の中心に考古学をおく考えや、考古学の主流的な考えに、私たちは、そろそろ厳重な抗議の声をあげるべきときにきている。

  • 考古学者の方々の「解釈」の、空想の幅が大きすぎるため、考古学者の方々の相互の意見が矛盾撞着し、こちらをたてれば、あちらがたたずになっていることが多い。
この本では、できるだけくわしく、具体的に、このような問題点を、検討して行こうと思う。

要するに、日本古代史の探究は、総合的な観点から行なわれる必要性がある。学の純粋性を目ざすと称して、考古学偏重になりすぎてはいけないということである。

かなりな行きすぎが見られるように思えるので、強く警鐘をならすつもりで、この本を書いた。

検証性、実証性を重んじたつもりではあるが、書き方が、あるいは、乱暴・非礼にわたる部分もあるかと思う。また、読者の方々に、事のしだいをはっきりと訴えようとするあまり、言いすぎ、書きすぎになっている点も多々あるであろう。関係する方々に、あらかじめお詫びしておきたい。

ただ、おとなしい書き方をしていたのでは、固定観念、刷りこみ、既存の体制の打破は、困難と思うのである。 この本は、その意図が達成されるか否かは別にして、本質的に、古代史の分野に、科学革命をもたらすことをめざした本である。従来の方法に、戦いをいどんだ本である。戦争の本なのである。

このような本を書くためには、あるていどのエネルギーを必要とする。意のあるところをおくみとりいただき、寛恕いただければ幸いである。

■ 用いている言語と方法の違い
読者は、この本のなかでとりあげられる石野博信氏(考古学、「邪馬台国畿内説」)や私(計量歴史学、「邪馬台国北九州説」)と、白石太一郎氏(考古学、「邪馬台国畿内説」)などとの、議論の「構造」の違いに、注意をはらっていただきたい。

石野博信氏や私は、「邪馬台国畿内説」あるいは「邪馬台国北九州説」という「仮説」を確かめる(検証する)ために、たとえば、「後漢式鏡」の出土は現在、畿内と北九州とでどちらが多いか、という労力さえはらえば、だれでもが客観的に検証することのできる方法によろうとしている。その土俵のもとで、議論を戦わせようとしている。

仮説が成立するか否かを、客観世界に問いかけ、そこから得られる観測データにもとづいて、真偽を決定しようとしている。

これは、「地動説」という仮説が正しいか、「天動説」という仮説が正しいかを決定するために、「天体観測」にもとづこうとしたガリレオ・ガリレイなどの方法にならうものである。そこには、たとえ、素朴ではあっても、「科学」の萌芽がありうると考える。

これに対し、白石太一郎氏の方法では、「邪馬台国畿内説」という仮説を説明するために、「箸墓古墳は、卑弥呼の墓である」というあらたな「仮説」をもってくる。

それは、「解釈論」であって、西欧中世の神学と同じで、説明体系にはなっていても、客観世界に問いかけて、真か偽かを決定しようとする姿勢が、いちじるしく乏しい。「水かけ論」になるのは当然であって、結局は、「邪馬台国畿内説」を信じますという信仰告白にしかならない。

神の存在を前提として、宇宙を説明しようとしているのと同じく、「邪馬台国畿内説」を前提として、すべてを説明しようとしているのである。

「屋上屋を架す」ということばがあるが、結果は、仮説の屋上に仮説の屋を架しているのであって、見た目は壮麗な建築にみえても、客観世界の地上に立っているという保証がない。

「仮説」の数をふやしていけば、「天動説」でも「上杉謙信は女性である」でも、どのような説でも成立しうる。

この方法は、主観や信念、あるいは「思いこみ」にもとづく説明体系を可能にするもので、客観世界を反映し、説明する体系にはなりえない。

また、この本では、「数字」が多くでてくる。

西洋史学者の会田雄次は、著書『合理主義』(講談社現代新書)のなかで、つぎのようにのべている。

「合理主義的なものの考え方をつきつめると、いっさいを量の変化において考え抜こうとする精神です。」  

ガリレオ・ガリレイも、「数字は、科学のことばである。」とのべている。「科学の原点、ガリレイに帰れ」が、この本で主張したいことでもある。

この本でのべていることは、おそらく、科字書を読みなれている人たちには、比較的容易にうけいれられるであろう。

しかし、従来の歴史学や考古学の本を読みなれている人々は、強い抵抗感をもたれることがあるであろう。

住みなれている世界の思考様式のなかでの言語や方法と大きく異なるとき、私たちは、強い抵抗感をもつものである。

しかし、かつて存在した「邪馬台女王国」は、九州にあったにせよ、近畿にあったにせよ、客観的存在である。そこにたどりつくためには、主観をできるだけ排した合理的推論を必要とする。

私たちが強く共感しうるような人物を、歴史上に求める問題とは、問題の性質が異なる。

この本が、「科学とはなにか」を考える材料になればと思う。

あるいはご迷惑をおかけすることになるかもしれないこのような本に、刊行の機会を与えられた勉誠出版の池嶋洋次社長と、お世話になった編集部の方々に、深甚の謝意を表する。



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