TOP>活動記録>講演会>第250回 一覧 次回 前回 戻る  


第250回 特別講演会 
天武天皇と壬申の乱 関裕二先生

 

1.邪馬台国時代の鏡と土器 安本先生

『魏志倭人伝』が邪馬台国問題の出発点である。魏志倭人伝に記載されているもので、考古学的に出土する可能性のあるものは、ほとんどすべて北九州を中心に分布しており、奈良県からは出土しない。

にもかかわらず、多くの考古学者は邪馬台国は畿内にあったとする。まったく不思議なことである。

表1 福岡県と奈良県の比較
 諸遺物福岡県奈良県
『魏志倭人伝』記載の遺物

大略西暦300年以前
弥生時代の遺物
弥生時代の鉄鏃398個4個
鉄刀17本0本
素環頭大刀・素環頭鉄剣16本0本
鉄剣46本1本
鉄矛7本0本
鉄戈16本0本
素環頭刀子・刀子210個0個
絹製品出土地15地点2地点
10種の魏晋鏡37面2面
古墳時代の遺物

大略<西暦300年以後
三角縁神獣鏡49面100面
前方後円墳(80m以上)23基88基
前方後円墳<100m以上)6基72基

たとえば、佐原眞氏は次のように述べる。

弥生時代の暦年代に関する鍵は北九州が握っている。北九州地方の中国・朝鮮関連遺物・遺跡によって暦年代をきめるのが常道である。(「銅鐸と武器型青銅器」『三世紀の考古学』中巻 学生社)

このとおり実行したら邪馬台国は北九州にしかならないはずなのに、佐原氏は邪馬台国畿内説である。 
北九州地方の中国・朝鮮関連遺物の例として鏡を見てみよう。

■ 位至三公鏡

中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者の徐苹芳氏は、つぎのようにのべる。

「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡・鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。

従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。

位至三公鏡は、魏の時代に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代に大層流行しましたが、呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。

日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸出できなかったものと考えられます。
(『三角縁神獣鏡の謎』角川書店 1985年刊)

徐苹芳氏の挙げた魏の時代の鏡の日本での出土状況を下図に示す。 福岡県37枚に対し、奈良県は2枚しか出土しない。 これは、魏の時代に中国と深い交流があったのは、畿内ではなく、北九州であることを示している。 

徐苹芳氏は、位至三公鏡は魏の時代に中国北方で新しく生まれ、西晋時代に流行した鏡である、と述べる。位至三公鏡はまさに邪馬台国時代に生まれた鏡なのである。

中国で晋代に流行した位至三公鏡は、わが国では北九州を中心に分布する。鏡の出土分布から見ると、魏の後の晋の時代まで、倭国の政治権力の中心は北九州にあったと見られるので、3世紀前半に魏と交渉を持った邪馬台国は、北九州にあったと考えるのが妥当である。「邪馬台国=畿内説」はとうてい成立しえない。



■ 蝙蝠(こうもり)鈕座内行花文鏡

魏の時代の鏡について、徐苹芳氏は次のようにも述べている。

「三国の魏が成立しますと、尚方が再建され、このうち『右尚方』が銅鏡製作の任を負いました。かくて銅鏡の鋳造は回復されたのですが、それほど大きな進展があったわけではありません。この時代に鋳造された銅鏡、例えば方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡・鳳鏡・盤竜鏡・鳥文鏡・双頭竜文鏡などは、すべて後漢以来の「旧式鏡」に属します。

もっとも、後漢のものと比べてみますと、方格規矩鏡の文様は、簡略化の傾向をたどっておりますし、内行花文鏡の鈕座が、多く蝙蝠(こうもり)の形になり、獣首鏡の獣首文様にも変化が生じました。河南省の洛陽で、後漢末期と三国魏の時代の墓が数多く発掘されましたが、そこから出土した銅鏡は、内行花文鏡・獣首鏡・方格規矩鏡・盤竜鏡などでして、最も数多いのが内行花文鏡と変形獣首鏡でした。」

「方格規矩鏡・内行花文鏡・鳳鏡・獣首鏡、これらはすべて後漢の鏡ですが、魏晋の時代に入ってもそのまま中国の北方で流行していました。ただ、様式的にはいくつかの変化が現れます。たとえば方格規矩鏡の文様はより簡略化され、内行花文鏡の鈕座は多く蝙蝠の形をとるようになり、また獣首鏡の文様も全く獣首らしくなくなりました。」

「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡・鳳鏡・盤竜鏡・双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。 従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いまあげた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。」
(『三角縁神獣鏡の謎』角川書店 1985年刊)

ここで留意するのは、鈕座の文様が蝙蝠の形に変形した「蝙蝠鈕座内行花文鏡(連弧文鏡)」が、魏の時代にはじめて出現したことである。 (注:内行花文鏡のことを連弧文鏡とも言う)


 
下表は、大阪府立弥生文化博物館の小山田宏一氏による論文「3世紀の鏡」(『倭人と鏡(その2)』埋蔵文化財研究会発行所載)の中の「弥生時代終末期〜古墳時代初めごろの漢鏡7期の鏡」という表から作成したものである。(段階と年代の欄は安本先生が加えたもの。年代は仮に与えたおよその年代である。)

この表は、土器の様式と、鏡の出土地や型式の関係について整理されている。 この表で、上に述べたことと関連して注目するのは、庄内式土器の時代の三雲遺跡寺口の石棺墓から、蝙蝠鈕座内行花文鏡(連弧文鏡)が出土していることである。

蝙蝠鈕座内行花文鏡は魏の時代に出現した鏡なので、九州の地域では、庄内式土器は、明らかに魏の時代、すなわち、邪馬台国の時代に行われていたことを示すものといえる。

表2 弥生時代終末期〜古墳時代初めごろの鏡

土器様式墳墓・古墳所在地鏡名鏡数およその
年代
庄内式三雲遺跡寺口U-17 2号石棺墓福岡県連弧文鏡(蝙蝠△1200年

260年
汐井掛遺跡4号箱式石棺墓福岡県方格規矩渦文鏡●1
汐井掛遺跡6号箱式石棺墓福岡県連弧文鏡△1
汐井掛遺跡28木棺墓福岡県飛禽鏡△1
汐井掛遺跡203土壙墓福岡県連弧文鏡△1
平原遺跡福岡県方格規矩四神鏡●32
連弧文鏡●2
キ竜文鏡●1
連弧文八葉鏡●5
鋳物谷1号墳墓岡山県キ竜文鏡●1
西条52号墳墓兵庫県連弧文鏡●1
荻原1号墳墓徳島県画文帯同向式神獣鏡鏡●1
高部32号墳墓千葉県「上方作」系獣帯鏡△1
庄内式

布留式
郷屋遺跡2号石棺墓福岡県四禽鏡△1230年

290年
徳永川の上遺跡福岡県方格規矩鏡△1
盤竜鏡△1
画像鏡△1
成山2号墳墓京都府飛禽鏡○1
宮山墳墓岡山県飛禽鏡○1
布留0式寄居ST01古墳佐賀県方格規矩四神鏡●1260年

320年
野方中原遺跡1号石棺墓福岡県「上方作」系獣帯鏡△1
野方中原遺跡3号石棺墓福岡県連弧文鏡(蝙蝠☆1
中出勝負峠8号墳墓広島県連弧文「昭明」鏡●1
朝日谷2号墳愛媛県画像鏡●1
斜縁二神二獣鏡●1
丸井古墳香川県画文帯環状乳式神獣鏡○1
鶴尾神社4号古墳香川県方格規矩四神鏡
薗部黒田古墳京都府双頭竜文鏡●1
寺ノ段2号古墳京都府方格規矩鏡▲1
連弧文鏡△1
宿東山古墳石川県方格規矩四神鏡
弘法山古墳長野県「上方作」系獣帯鏡○1
高部30号墳千葉県画像鏡●1
布留0式

布留1式
祇園山古墳1号甕棺墓福岡県半円方格帯獣文鏡△1290年

350年
津古生掛古墳福岡県方格規矩鳥文鏡○1
外隈T区1号木棺墓福岡県画文帯環状乳式神獣鏡△1
外隈U区2号木棺墓福岡県飛禽鏡△1
赤塚古墳西1号方形周溝墓大分県飛禽鏡○1
国森古墳山口県連弧文「昭明」鏡○1
浦間茶臼山古墳岡山県細線式獣帯鏡
権現山51号墳兵庫県三角縁神獣鏡
妙見山古墳愛媛県「上方作」系獣帯鏡●1
天王山4号古墳兵庫県八禽鏡○1
東山古墳三重県斜縁四獣鏡
中山36号古墳長野県「上方作」系獣帯鏡○1
布留1式

布留2式
石塚山古墳福岡県細線式獣帯鏡320年

380年
三角縁神獣鏡
竹島古墳山口県画像鏡
三角縁同向式神獣鏡
三角縁神獣鏡
神原神社古墳島根県三角縁同向式神獣鏡
石州府29号墳鳥取県「上方作」系獣帯鏡○1
桂見2号墳鳥取県連弧文鏡●1
「上方作」系獣帯鏡●1
備前車塚古墳岡山県連弧文鏡
画文帯同向式神獣鏡
三角縁同向式神獣鏡
三角縁神獣鏡10
西求塚古墳兵庫県獣帯鏡
画像鏡
「上方作」系獣帯鏡
画文帯環状乳式神獣鏡
三角縁神獣鏡
吉島古墳兵庫県連弧文鏡
尚方作半肉彫式獣帯鏡
三角縁神獣鏡
古枝古墳香川県方格規矩鳥文鏡
「上方作」系獣帯鏡
奥3号古墳香川県三角縁神獣鏡
奥13号古墳香川県画文帯環状乳式神獣鏡
高松茶臼山古墳香川県画文帯同向式神獣鏡
椿井大塚山古墳京都府連弧文鏡
連弧文鏡?1
方格規矩四神鏡
画文帯対置式神獣鏡
三角縁同向式神獣鏡
三角縁神獣鏡32
桜井茶臼山古墳奈良県方格規矩四神鏡
半肉彫四神鏡
単キ鏡
画文帯環状乳式神獣鏡
画文帯同向式神獣鏡
画文帯球心式神獣鏡
画文帯神獣鏡
斜縁神獣鏡
三角縁同向式神獣鏡
三角縁神獣鏡
 注: ○完形鏡  ●破砕鏡  △破片鏡  ▲破砕した破片鏡

■ 土器様式と鏡の出土地

上の表2から土器様式と鏡の関係を県別、地方別に分析すると次のようになる。

完全な庄内期(表2の「A段階」)の鏡の県別分布
県名遺跡の数鏡の数
福岡県45
岡山県
兵庫県
徳島県
千葉県
合計1049
前項で、庄内式土器の時代が、邪馬台国の時代であることを示したが、左表によれば、この時代の鏡は、九州地方から圧倒的な数が出土していることがわかる。

すなわち、邪馬台国時代の魏との交流は九州地方の勢力が行っていたと判断できるであろう。

邪馬台国は九州にあったと考えるべきである。

庄内期〜布留1式期(「A段階」〜「D段階」)の鏡の
県別分布
県名遺跡の数鏡の数
福岡県1455
兵庫県
京都府
岡山県
愛媛県
香川県
長野県
千葉県
佐賀県
大分県
山口県
広島県
徳島県
三重県
石川県
合計3885
庄内期〜布留1式期(「A段階」〜「D段階」)の鏡の
地方別分布
地方名遺跡の数鏡の数
九州地方1657
近畿地方12
四国地方
中国地方
中部地方
関東地方
合計3885

集計の範囲を庄内式期から布留1式期まで拡大してもこの傾向は変わらず、福岡県から55面もの鏡が出土するのに対して、奈良県からは1面の出土もない。

布留1式期までは、北九州勢力が中国との交流の中心であったことは明らかであり、邪馬台国畿内説が成立する余地はない。  

布留1式期〜布留2式期(表2の「E段階」)の鏡の
県別分布
県名遺跡の数鏡の数
京都府38
兵庫県18
奈良県18
岡山県
香川県
鳥取県
山口県
島根県
合計13108
布留1式期〜布留2式期(表2の「E段階」)の鏡の
地方別分布
地方名遺跡の数鏡の数
近畿地方74
中国地方20
四国地方
九州地方
合計13108

布留1式から布留2式の段階になって、はじめて、九州と近畿が逆転する。しかし、近畿地方を県別に見ると、この時期でも奈良県からの出土は京都よりも少ない状況である。

この時代(表2の「E段階」)の遺跡に、三角縁神獣鏡を大量に出土した椿井大塚山古墳がある。椿井大塚山古墳は、崇神天皇の時代に反乱を企てた武埴安彦と関係するという説があり、この古墳は崇神・垂仁天皇の時代のものと思われる。このころになると、三角縁神獣鏡が奈良県でも多数出土するようになる。
 
■ 樋口隆康氏、奥野正男氏のデータ

庄内式土器の時代の鏡について、表2の小山田宏一氏以外にも、樋口隆康氏、奥野正男氏などがデータを発表している。

樋口隆康氏は『三角縁神獣鏡と邪馬台国』(梓書院 1997年)のなかで、「古墳発生期の鏡」としてリストを提示している。樋口氏は、弥生X様式後半、庄内式、布留0式の時代を3世紀としており、リスト中の庄内式段階の鏡を抜き出すと次の通り。

樋口隆康氏のデータによる庄内式段階の鏡
出土遺跡鏡名
佐賀県神埼郡東背振村西一本杉飛禽鏡片
福岡県鞍手郡若宮町汐井掛遺跡4号箱式石棺 方格渦文鏡
福岡県鞍手郡若宮町汐井掛遺跡6号箱式石棺 内行花文鏡片
福岡県鞍手郡若宮町汐井掛遺跡28号木棺墓 飛禽文鏡片
福岡県鞍手郡若宮町汐井掛遺跡175号木棺墓 内行花文鏡片
福岡県鞍手郡若宮町汐井掛遺跡203号土壙墓 内行花文鏡片
大分県宇佐市赤塚方形周溝墓 飛禽鏡
大分県宇佐市高森本丸土壙墓 内行花文鏡片
広島県山県郡千代田町中出勝負峠8号墳 連弧文銘帯鏡(昭明)
岡山県都窪郡清音村鋳物師谷1号墳 爬龍文鏡
香川県高松市鶴尾神社4号墳 四神鏡
徳島県鳴門市大麻町萩原1号墳 画文帯同向式神獣鏡
兵庫県龍野市白鷺山1号石棺 内行花文鏡(蝙蝠座)
兵庫県龍野市白鷺山2号石棺 八禽鏡
兵庫県神戸市西区井川町天王山4号墳 八禽鏡
兵庫県揖保郡養久山1号墳第1石室 四獣形鏡
大阪府八尾市矢作遺跡SD13 四獣形鏡
長野県松本市中山弘法山古墳 斜縁一神三獣鏡(上方作)

 
奥野正男氏は『東アジアの古代文化』96号所収の「三角縁神獣鏡と初期ヤマト政権(上)」のなかに、庄内併行期の墳丘墓の副葬鏡として、次のような表を示している。

墳丘墓(庄内併行期)の副葬鏡(奥野正男氏による)
墳丘墓鏡名後漢鏡の編年
福岡・祇園山古墳画文帯神獣鏡片
福岡・津古生掛古墳方格規矩鳥文鏡漢鏡7期(踏み返し)
福岡・徳永川の上墳墓群盤竜鏡、画像鏡片
方格規矩鏡片、内行花文鏡
漢鏡7期
大分・宇佐赤塚1号墓斜縁禽文鏡
香川・鶴尾神社4号墳方格規矩鏡
徳島・荻原墳墓群画文帯同向式神獣鏡漢鏡7期
愛媛・朝日谷2号墳斜縁二禽二獣鏡漢鏡7期
愛媛・相の谷9号墳細線獣帯鏡漢鏡5期
岡山・宮山墳丘墓飛禽文鏡漢鏡7期
岡山・鋳物師谷1号墳キ竜文鏡漢鏡4期
兵庫・西条52号墳内行花文鏡漢鏡5期
兵庫・石見北山1号墳内行花文鏡漢鏡5期
大阪・加美2号方形周溝墓内行花文鏡漢鏡6期
長野・弘法山古墳半肉彫獣帯鏡漢鏡7期
岐阜・観音山古墳方格規矩鏡漢鏡5期

 
小山田氏、樋口氏、奥野氏のデータを地域別にまとめて比較すると次のようになる。

庄内期(併行期をふくむ)の副葬鏡の地域別分布
小山田宏一氏の調査による
表2の「A段階」と「B段階」
樋口隆康氏の調査による奥野正男氏の調査による
北九州地方49
近畿地方
中国地方
四国地方
その他


見方の違いなどで数値は異なるものの、三人のデータでは、いずれも、北九州地方の出土数が最も多い。にもかかわらず、小山田氏と樋口氏が畿内説、奥野氏が九州説と意見が分かれるのは理解しがたい現象である。

■ 九州と畿内の庄内式土器

庄内式土器は、北九州でも近畿地方でも出土する。邪馬台国畿内説の学者は、近畿地方にも邪馬台国時代の庄内式土器があるとして、畿内に邪馬台国があったことの根拠としている。

しかし、同じ庄内式の土器であっても、北九州と近畿地方で同じ時代に使われていたといえるのだろうか。

庄内式土器とともに出土した鏡を見ると、北九州では、蝙蝠鈕座内行花文鏡など魏の時代の古い鏡が出土するのに対して、近畿地方では、少し後の時代の画文帯神獣鏡などが出土する。近畿地方では庄内式土器とともに出土する鏡に、確実に魏の時代とされるものはない。

これは、同じ庄内式土器であっても、近畿地方のものよりも、北九州の庄内式土器のほうが古いと思われ、九州の庄内式土器が邪馬台国時代の土器であり、近畿地方の庄内式土器は、それより若干のちの時代に行われたと考えられるのである。

また、庄内式土器の分布を見ると、北九州ではかなり広い地域に分布するのに対して、近畿地方では、大阪と奈良の限られた範囲でしか出土しない。

これらのことから考えると、庄内式土器は、饒速日命に率いられた物部氏などによって、北九州から近畿地方の持ち込まれた土器である可能性が強い。

■ 鉛同位体比による分析

韓国国立慶尚大学招聘教授の新井宏氏は、「鉛同位対比から見た三角縁神獣鏡神獣鏡の製作地」(『情報考古学』Vol11、No2、2005)という論文の中で、日本出土の漢鏡6期7期(岡村分類)の鏡51枚について、鉛同位体の分析をしている。

日本出土の漢鏡6期7期(岡村分類)の鉛同位体比
分類鏡の名称岡村分類流行地域出土地など鉛分類
内行蝙蝠鈕座内行花文鏡漢6華北島根県岡田山古墳
内行蝙蝠鈕座内行花文鏡漢6華北福岡県潜塚古墳
内行蝙蝠鈕座内行花文鏡漢6華北福岡県野方中原遺跡3号
龍文双頭龍文鏡漢6華北福岡県馬場山遺跡41号墳
龍文双頭龍文鏡漢6華北福岡県北九州市若松区岩屋3B
龍文双頭龍文鏡漢6華北福岡県北九州市若松区岩屋A
キ鳳キ鳳鏡漢7華北佐賀県十三塚箱式石棺
キ鳳キ鳳鏡漢7華北福岡県春日市須玖岡本D地点
キ鳳キ鳳鏡漢7華北福岡県春日市須玖岡本D地点
斜縁四獣鏡漢7楽浪熊本県国越古墳
斜縁二神二獣鏡漢7楽浪長野県兼清塚古墳
斜縁二神二獣鏡漢7楽浪島根県造山三号墳
斜縁二神二獣鏡漢7楽浪福岡県福岡市五島山古墳
斜縁二神二獣鏡漢7楽浪福岡県福岡市五島山古墳
斜縁二神二獣鏡漢7楽浪兵庫県松田山古墳
獣帯上方作浮彫式鏡漢7楽浪島根県松本一号墳
獣帯上方作浮彫式鏡漢7楽浪佐賀県熊本山古墳
獣帯上方作浮彫式鏡漢7楽浪福岡県野方中原遺跡一号
獣帯上方作浮彫式鏡漢7楽浪広島県中小田一号墳
獣帯六乳仙人獣帯鏡漢7楽浪岡山県吉原六号墳
獣帯半肉彫獣帯鏡漢7楽浪福岡県糸島郡前原町泊一区
獣帯青盖作四獣鏡漢7楽浪兵庫県城の山古墳
獣帯獣帯鏡漢7楽浪奈良県大和柳本天神山古墳
獣帯浮彫獣帯鏡漢7華南熊本県国越古墳
獣帯浮彫獣帯鏡漢7華南広島県四十貫9号墳
獣帯浮彫獣帯鏡漢7華南福岡県野方塚原遺跡
画文景初三年鏡漢7楽浪大阪府黄金塚古墳
画文黄武元年鏡漢7華南五島美術館所蔵
画文環状乳神獣鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文五神五獣鏡漢7華南愛媛県天山一号墳
画文四獣鏡漢7華南久留米市御井祇園山古墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南熊本県迎平6号墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南熊本県国越号墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南広島県宇那木山2号墳
画文赤鳥元年鏡漢7華南山梨県鳥居原狐塚古墳
画文環状乳神獣鏡漢7華南朝倉郡朝倉町外之隈1号
画文神獣鏡(?)破片漢7華南長野県兼清塚古墳
画文四仏四神獣鏡漢7華南長野県御猿堂古墳
画文対置式神獣鏡漢7華南京都府椿井大塚37
画文赤鳥七年鏡漢7華南兵庫県安倉高塚古墳
画文画像鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文劉氏作鏡漢7華南奈良県大和柳本天神山古墳
画文禽獣画像鏡漢7華南愛知県相の谷1号墳
画文四乳鳥獣鏡漢7華南岡山県用木1号墳
画文劉氏作鏡漢7華南山口県御家老屋敷古墳
画文画像鏡漢7華南糸島郡志摩町権現古墳
画文神人搗薬龍虎鏡漢7華南福岡県潜塚古墳
神獣黄武二年鏡漢7華南個人蔵


このうち、鉛同位体の分析によって中国からの輸入鏡と判定された34枚(上の表の鉛分類AとB)について、出土地を調べると、次のようになる。

輸入鏡の県別分布
県名鏡の数
福岡県14
熊本県
奈良県
兵庫県
広島県
愛媛県
島根県
佐賀県
山口県
京都県
山梨県
合計34

輸入鏡の地方別分布
県名鏡の数
九州地方19
近畿地方
中国地方
四国地方
中部地方
合計34

漢鏡6期7期の輸入鏡の分布も、やはり、九州地方、特に福岡県が最も多い。

これまで見てきたのと同様に、中国との交流の拠点は九州にあったとする考えを支持するものである。 すなわち、邪馬台国は九州にあったとするのが妥当である。
 

2.天武天皇と壬申の乱の謎  関裕二先生

■ 七世紀の飛鳥の蘇我の王家と「トヨ」のつながり

・「トヨ」の登場する神話には、海とヒスイが関係する。
  • 海幸山幸伝承: 竜宮の豊玉姫   トヨと海、珠
  • 神功皇后伝承: 新羅征伐の勝利を、妹の豊姫が祈る  トヨと海
  • 天の羽衣伝承: 天女が水浴をした真名井=真渟名井(マヌナイ)のヌはヒスイをあらわす。
               天女=豊受大神 トヨと水とヒスイ
  • 奴奈川姫伝承: ヌ=ヒスイ
・蘇我王家とトヨ講演中の関裕二先生

台与の時代から数百年後、突如、蘇我王家にトヨが多数現れる。
  • 聖徳太子  豊聡耳皇子
  • 推古天皇  豊御食炊屋姫
  • 用明天皇  橘豊日天皇
  • 蘇我入鹿  豊浦大臣
  • 孝徳天皇  天万豊日天皇
  • 推古天皇の宮 豊浦の宮
・天武天皇の和風諡号

天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)の「ヌ」はヒスイ        

■ 蘇我氏こそ改革派

通説では、蘇我氏は聖徳太子の改革を妨害した旧守派。中大兄皇子は蘇我氏を討った改革派とされる。

実際はその逆ではないか。

蘇我氏主導で行われた孝徳天皇の難波宮では、すでに律令制を取り入れていたと思われ、改革が進行していたようにみえる。 中大兄皇子が諸官を引き連れて難波から大和に戻ってしまったのは、中大兄皇子が蘇我氏の改革をつぶしたと理解できる。

■ 天皇は権力者だったか

通説では、『日本書紀』は天武天皇の権威を高めるために編纂されたとされている。 

しかし、『日本書紀』は天智天皇の後裔の桓武天皇にも大事にされているし、天智天皇の代では藤原鎌足、天智の子の持統天皇の代では鎌足の子の不比等が活躍したことが記されていることから、天武天皇の意向による編纂ではなく、藤原氏が編纂したと考えられる。

当時の天皇は権力者ではなく、藤原氏のような豪族の力が大きかったのではないか。

■ 持統天皇

天武天皇が没した後、天智天皇の娘の持統天皇が即位できたのは、藤原不比等の画策と考えられる。 天武天皇には有力な子供がいたにもかかわらず、壬申の乱で敵対した天智天皇陣営の関係者が即位することは、普通では考えられない。

壬申の乱で没落した藤原氏は持統天皇と共に密かなるクーデターで政権を確立した。 持統天皇の天香具山の歌は権力の象徴の羽衣を手に入れた歌とも取れる。



  TOP>活動記録>講演会>第250回 一覧 上へ 次回 前回 戻る