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原子力村の論理と畿内説村の論理

(季刊邪馬台国110号 巻頭言)                      安本美典



季刊邪馬台国109号
 なんだか、「邪馬台国=畿内説村」の論理は、「原子力村」の論理に似てきているように思える。あなたは、自説の根拠をほんとうに自分の眼や耳で、確かめてみましたか?
規格化された考え方にすがっているだけではないですか? 助成金や研究費の獲得や、地域振興に都合がいいということで発せられている情報に、いつのまにか乗っているということは、ありませんか?
官や、学や、マスコミなど、一見巨大ともみえる組織がつくりだした蜃気楼のような、夢のような不確実な情報に、乗ってしまっていることはありませんか?
  警鐘は、すでに、たびたび発せられているのに、都合の悪い情報には、耳をふさいでしまっていることはありませんか?
「必勝神話」や「安全神話」にたよって、一時の心の安奉をうることは、結果的には、敗戦とか、今回の原発事故とかの、巨大な被害をもたらすことにつながるものであったことを考えましょう。
  その被害は、振りこみ詐欺の被害どころではないですよ。「兆」の単位での被害ですよ。心ないATMでさえ、たえず警告を発しているのです。
  本誌の発している警告が、あなたに聞こえますか?
  本誌は、警告を発するだけではなく、考える材料を、事実を検討するデータを、提供しつづけて行こうと思う。
  あなたにも、できることがあります。あなたが、自分でしらべ確認した情報を、インターネットででも、発しつづけましょう。



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