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邪馬台国は、どこにあったと「思うか」
−「第5の権力」の台頭−

(季刊邪馬台国111号 巻頭言)                      安本美典



季刊邪馬台国111号
      −1−
  邪馬台国は、どこにあったのか。
  それは、外部世界における客観的事実に関するもので、現代人の多数決などによって動いたり、きまったりするものではない。
1たす1が、多数決によって、4になったり5になつたりすることは、ありえない。中世の教会が、その権威によって、多数の人々の心を「天動説」で洗脳したとしても、それとは別に、地球は、動きつづける。
  このばあい、少数の、科学的根拠をもった発言のほうが、正しかったのである。政治の問題ではないから、邪馬台国の位置について決(けつ)をとるのは、ナンセンスである。科学的論証こそが意味をもつ。論証に興味のない人の、付和雷同的な一票、いいかげんな回答、マスコミで報じられていることなどのオウム返しの回答などは、価値をもたない。
  ただ、邪馬台国問題のように、ポピュラーな問題になると、それぞれの説が、どのていど支持されているのかは、一般の人にとって興味のある問題ではありうる。
  しかし、邪馬台国についての諸説の支持率についての、確実な調査結果はすくない。そもそも、調査対象者の母集団(本来調査したい全体の集団)が何なのかを、定義することがむずかしい。
  今年(2011年)の7月16日(土)に、早稲田大学で『邪馬台国研究大会』(全国歴史研究会主催)が開かれた。
  会に参加した人は、約330名ということである。
  会のはじめに、大会実行委員長の菊池秀夫氏が、「邪馬台国九州説に賛同の方、手をあげて下さい」「畿内説に賛同の方、手をあげて下さい」と、挙手を求められた。
  菊池秀夫氏の判断では、九州説に賛同の人が6割ていど、畿内説に賛同の人が、4割弱ていどであったという。
  ただし、この研究大会は、「邪馬台国の会」(九州説支持の会員が多い)が共催している。「邪馬台国の会」 の会員も、100名ていど参加していたとみられるので、その影響もあるかもしれない。
  また、『研究最前線 邪馬台国』 (朝日新聞出版、2011年刊)のなかで、九州歴史資料館長の西谷正(にしたにただし)氏が、つぎのような文を記しておられる。
  「福岡県教育委員会が中心となって 『福岡歴史ロマン発信事業』 が3年間おこなわれてきました。平成22年3月に3回目を行い、『邪馬台国の候補地はどこでしょう?』と全国にアンケート調査をしたところ、インターネットやはがきなどで約1000人から回答がありました。集計結果は、第1位が北部九州の福岡県甘木(あまぎ)・朝倉地方(131票)、第2位は福岡県の博多湾沿岸(102票)、そして第3位が佐賀県の吉野ケ里遺跡(86票)、第4位が福岡県の筑後三井(ちくこみい)郡地域(84票) と、上位4位までが北部九州に集中しました。
  そのほか候補地は九州各県から全国に及んでいます。」
  これは、調査主体が、福岡県教育委員会である。広報が、福岡県在住の人に行きとどきやすく、福岡県在住の人の回答が多いという調査対象の回答者のバイアスがはいっている可能性がある。
  すこし古い調査であるが、2007年3月17日(水) に放映されたNHKのテレビ番組「その時歴史は動いた」で、「邪馬台国国はどこか〜近畿説VS九州説〜」を放映した。
  このとき、番組放映中の、中ほどと、終りの方との2回にわたり、視聴者が近畿説と九州説とのどちらを支持するかを調査していた。
  そのときも、全国で60パーセント強の人たちが、九州説を支持していた (第1回、66.7パーセント。第2回、62.4パーセント)。
  今年の、東京での 『邪馬台国研究大会』 での挙手の結果と、ほとんど変わりがない。
  2007年と、今年の2011年の、2回の調査のあいだに、炭素14年代測定法による「箸墓古墳=卑弥呼の墓説」 の報道、
纏向遺跡(まきむくいせき)における卑弥呼の宮殿らしい大型建物の発見の報道などが行なわれた。しかし、九州説・畿内説の支持率などに、それほど大きな影響を与えていないようにみえる。

      −2−
  別の面からみてみよう。
  インターネットで、古代史研究者の氏名をワードとして、検索し、その検索数をみてみる (2011年9月3日調査)。
すると、表1・表2のようになる。検索は、最大手のグーグルによった。ヤフーなどによれば、また別の順位がえられる。
  表1は、現存する諸氏についてのもの、表2は物故者についてのものである。
表1は、検索数1万件以上の主な研究者のものである。
  表1、表2の検索数は、その「氏名」がインターネット上に、どれぐらいあらわれているのかを示していると、一応いえよう。
  これらの表では、氏名をワードとして検索しているので、ばあいによっては、同名の異人も、いっしょにカウントされうる。(田中太郎のような、ありふれた氏名であれば、何人もの別の人の分も、カウントされる。)
一人の人が、古代史以外の小説や、仏教の本や、心理学の本を書いていたとすれば、それによっても検索数はあがる。
  そのような問題点もあり、表1・表2をみると、たしかに理解に苦しむところもある。
  たとえば、表2のばあい、なぜ、内藤湖南のほうが、白鳥庫吉よりも、はるかに多いのか。
  表1でも、安本美典の件数が、かなり多くなつているが、それは、この表作成時期のやや前に、安本が本を2冊つづけて出していることが、影響している可能性がある。
「邪馬台国の会」などで、安本が講演するときの参加者は100名をすこしこえるていど、森浩一氏が講演されるときの参加者は、300名をこえるほどである。また、アマゾンの「考古学」の分野の、ベストセラーの調査結果をインターネットでみると、森浩一氏の著書は、著書のでるたびに上位にはいっている。
安本の本などは、たまに上位にはいることがあるというていどである。このように、表1、表2は、実感や他の調査結果と、かなり一致しないところがある。
  そして、表1、表2の数字は、わずか半月ほどのあいだに、2倍、3倍になつたりすることがあるなど、理由のわからぬ不安定さも、もっている。

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  また、考古学者のなかの、寺沢薫氏の諸論者などは、よく検討された信頼できるデータが数多くあげられている。「畿内説」の人にとっても、「九州説」の人にとっても、参考になるところが多いと思う。寺沢氏などは、順位がずっと上にきてよいように思える。しかし、一万件にやや足らず、この表のなかにはいっていない。表1、表2は、編集子の主観的な重要研究者の順位とは、かなり異なる。「素人(しろうと)ごのみ」と「玄人(くろうと)ごのみ」とで判断がかなり違うばあいがあるといえようか。
  そもそも、表1、表2では、ガリレイのように、真実をあきらかにするために文を書いている人も、司馬遷のように、やむにやまれず書いている人も、名声を得るために書いている人も、職業として生活のために書いている人も、いっしょになっている。
  ただ、いろいろな問題があるとはいえ、表1、表2をみれば、つぎのような傾向は、うかがえる。
(1)文筆家系統の人は、上位にくる傾向がある。
(2)文献学系の人は、考古学系の人よりも、上位にくる傾向がある。表1、表2の上位十位までのばあい文献史家が多くをしめる。森浩一氏は、考古学者であるが、文献にも、 非常にくわしい方である。
(3)「邪馬台国九州説」の人は、順位の高いところで、大量得票し(かりに、件数を、票にたとえれば)、「邪馬台国畿内説」の人は、順位のやや低いところ、とくに考古学分野で、広く得票しているような傾向がみとめられる。
(4)松本清張をのぞけば、物故研究者は生存研究者よりも検索数がすくなくなる傾向がみとめられる。
  表1の武光誠氏は九州説の方、井沢元彦氏と森浩一氏とは、「明確に邪馬台国九州鋭の立場の方」とはいえないかもしれないが、「邪馬台国東遷説の立場の方」とはいえるであろう。
  表1の武光誠氏、表2の松本清張、本居宣長など上位をみれば、九州説のほうが、押しぎみであるが、考古学の分野だけをとれば、その逆の傾向がみとめられるといえようか。考古学の世界のなかだけでの多数意見は、かならずしも全体の多数意見とはいえない。そしてまた、多数意見が正しい意見とはかぎらない。なお、「邪馬台国九州説」と「邪馬台国畿内説」だけをワードとして検索すれば、つぎのようになる。
「邪馬台国九州説」・・・168000件(70パーセント)
「邪馬台国畿内説」・・・・72200件(30パーセント)
  これは、2倍以上のひらきがみられる。

      −3−
  いっぽう、マスコミは、どうも畿内説に、肩入れしているようにみえる。
  考古学の方が、なにかを畿内説と結びつけて発表すると、それほど根拠があると思えないことも、マスコミにデカデカとのる傾向がみとめられるようにみえる。これは、新聞記者の人も、考古学系の人が多いためかもしれない。
  しかし、一般の邪馬台国愛好者は、案外冷静で、マスコミにそれほど大きく影響されるわけではないようにみえる。文献史家の意見にも耳をかたむけ、報道の根拠を考え、全体的な判断を下しているようにみえる。
  もともと、邪馬台国問題というのは、『魂志倭人伝』という文献から出発している。本来文献学的な問題である。
  文献学系の人は、たんに筆が達者だから支持を得ているだけでも、なさそうである。
  もちろん、文筆家系、文献学系の人が、正しい意見をのべているともかぎらない。ただ、すくなくとも、みずからの考えを、それぞれ、わかりやすい言葉でのべている傾向は、あるのではないか。
  率直にいえば、考古学者の論考は、一般の人にもわかるきちんとした形で、根拠の説明が行なわれていることがすくない。
  ふつうの言葉で説明すれば、十分説明できる内容のはずなのに、疑問点を説明せず、結論だけを、マスコミなどを通じておしつけ、わからないのは、わからないのが悪いのだという傾向が強いように思える。
  結果を新聞、テレビで発表、PRするだけで信じなさい、というのは、すこし無理なところがある。また文献学的に不都合な点については、考古学者も、みずからなりの説明をきちんとする必要がある。
  九州説の人も、畿内説の人も、文献史家も、考古学者も、みずからの説の長所だけを強く主張し、宣伝・PRするだけでは、多くの人の賛同は、えられないと思う。
  司法、立法、行政の三権のほかに、マスコミは「第四の権力」といわれる。
  そして、インターネットを、「第五の権力」という人もいる。
  そこでは、ひとにぎりの記者や編集者ではなく、ふつうの市民が発信カをもつようになっている。マスコミが情報を独占できなくなりつつある。知の世界、情報の世界の独裁者では、なくなりつつある。だれでも発信できる・・・。知の民主化は、進行しつつある。
  インターネットが、新しい世論形成の場となりつつある。広く浅く型のマスコミ人とはタイプが異なり、特定の分野についての高く深い知識をもつ市民は、現代の日本では、案外多く存在している。ばあいによっては、マスコミ情報を正したり、批判するカを、もちあわせている。
  中東で、民衆革命が進行しっつあるように、知識や情報の世界でも、革命が、しずかに進行しつつあるのではないか。
  インターネット世論は、なお、はなはだたよりなくみえる。しかし、邪馬台国問題のばあい、どうも、マスコミ世論と、インターネット世論とのあいだに、ややズレが生じてきているようにみえる。そして、インターネット世論が、すこしずつカをたくわえつつあるようにもみえる。
  栄枯盛衰、「花の色は、うつりにけりな」は、世のならいである。
  いつのまにか、世のなかの風景が変わってしまうことは、よくあることである。
  邪馬台国問題のばあい、専門家の集まりである「学界」「学会」もまた、一つの権威、権力でありうる。思いちがいや、思わぬミスは、だれにもある。相互チェックと、情報の質の向上のためには、多くの 「権力」がきそいあうのは、望ましいことのようにみえる。



[追記】 森浩一氏の新書『天皇陵古墳への招待』(筑摩書房刊)が、アマゾンのベストセラー調査で上位に位置しつづけている。また、古田武彦氏の新著が刊行された。この稿の校了まぎわの2011年9月22日に、もう一度グーグルの検索数をしらべてみると、森浩一氏は、644000件、古田武彦氏は、402000件になつていた。検索数は、時々刻々と変化する。


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