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梓書院
虚妄の九州王朝

虚妄の九州王朝

古田武彦さん。「偽書」を本物と信じて 本を書いたのでは、学者失格ですよ

「古田史学」の本質は、牽強付会にもとづく史学、空想史学というべきものである。強い信念にもと づく情熱と、それによって燃えあがった文章力とがあって、およそ、論理性がない。
この本では、古田武彦氏のセンセーショナリズムが、いかに多くの「事実無視」の上になりたって いるかを、一つ一つ明らかにしようと思う。
私たちは、放置すべきではない。
古田武彦氏が、無根拠の事実の上にたって放った数々の批判の矢を、事実の声も、真実の叫ひも、 聞こえなくしてしまう、あの喧騒を。      


本書「はしがき」より

『新約聖書』の「マタイによる福音書」に、「木の良否は、その実でわかる」ということばがある。 『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という本がある。新発見の「古文書」という形で提供され、豪華本で刊行されるにいたっている。

この本の資料提供者は、青森県五所川原市の飯詰に住む和田喜八郎氏である。

そして、この本は、資料提供者、和田喜八郎氏自身の製作した「偽書」である。

今日、ほとんど詐欺事件といってよい『東日流外三郡誌』にまつわる数々のインチキとペテンとが 明らかにされている。(拙著『虚妄の東北王朝ー歴史を贋造する人たちー』[毎日新聞社刊]、安本 美典編『東日流外三郡誌「偽書」の証明』[廣済堂出版刊]、および『季刊邪馬台国』51、52、53、54、55号 の特集記事参照。)

偽の古文書、『東日流外三郡誌』を、本物だと信じこんで、その内容に感激し、『真実の東北王朝』な る本を書いた人がいた。昭和薬科大学教授の、古田武彦氏である。

この程度の、三流、五流の偽書が、偽書とわからぬようでは、学者失格というほかはない。「偽書」をもとにして書いた本を、『真実の東北王朝』と名づける。「真実」が泣く。

そして、これだけ証拠がつみかさねられた今でも、古田武彦氏は、『東日流外三郡誌』が本物である と主張してやまない。「偽」の歴史を、「真実」であると主張するなら、それは、歴史の贋造である。

日本が、第二次世界大戦でまけたあと、ブラジルで、「日本は戦争に勝ったのだ」と主張してやまな い日系の人々がいた。いわゆるブラジルの「勝ち組」とよばれた人々である。 「勝ち組」の人々は、「日本は、戦争にまけたのだ」という人々に、執拗な攻撃を加えてやまなかった。

今日、古田氏らの主張は、その妄想性において、ブラジルの「勝ち組」とほとんど変らないものと なっている。

学問的には、もう決着がついているといってよい。
しかし、「東日流外三郡誌事件」以後でも、古田氏が講演会をひらけば、ときに、百人、二百人の人 が集まるという。

これまで、古田氏を支持してきた人々のなかにも、「古田ばなれ」をした人たちもすくなくない。
しかし、外部の情報を遮断し、ひたすら、古田氏の述べることのみを信ずる人々によってささえら れている「古田武彦と古代史を研究する会」「『多元的古代』研究会」「古田史学の会」などは、活動を つづけている。『東日流外三郡誌』口偽書説に対する批判攻撃がおこなわれつづけている。

古田教という宗教的ドグマにもとづく、狂信者の集団というほかはない。

古田武彦氏のような誤った結論、結実をもたらしたのは、古田武彦氏の「学問の方法」という「も との木」そのものが良くなかったからである。

私たちは、『東日流外三郡誌』事件以前にも、たびたび、古田氏が、事実に関するあまりにも明白な 誤りを、あまりにも強引にくりかえしおし通そうとすることが多いことを指摘してきた。

古田武彦説の本質は、「事実」や、「真実」ではなく、コピーライター顔まけの「名文」による「セ ンセーショナリズム」である。マス・コミは、「センセーショナリズム」に弱いという体質をもってい る。センセーショナルであれば、本は、売れるからである。

マス・コミが、信念的発言やセンセーショナリズムに弱いことは、戦時中の報道をみれば、よくわ かる。マス・コミ報道に対しては、よほど用心しないと、とんでもないところにひっぱりこまれてし まう。

「この道は、いつか来た道」という歌詞がある。
自信ある態度、高圧的言辞、まくしたてる弁舌、くりかえされるシュプレヒコール。 かつて、私たちは、このようなプロパガンダの方法にであったことはなかったか。

むかし、こんな人がいた。
その人はポーランドにみずから侵入しながら、ドイツ住民に対するポーランドの残虐行為を発表しつづけた。はじめから破る予定であったとしか思えない独ソ協定を結んだ。 その行動は、たえず矛盾していても、語ることばは、迫真力をもっていた。

小ヒットラーは、いつの時代でも、どの世界にもいる。 警鐘は、ならしつづけられなければならない。「科学」というものは、その歴史上、古田武彦氏のような、ものすごいドグマと、戦いつづけてきた のである。

私がこの本を書いたのは、つぎのような意図にもとづく。
  1. 古代史の研究にたずさわる以上、古代史についての科学的な研究とは、どのようなものである かを、ねばり強く説く必要があると思われること。つまり、科学的な研究を顕現させ、普及させ るよう努力することは、研究にたずさわるものの義務と思えること。

  2. 地道な雑誌などに発表された三木太郎、奥野正男、白崎昭一郎、その他諸氏の、すぐれた研究 を、一般の読者にもわかりやすい形で、まとめて紹介する必要があるように思われること。

  3. 論争を通じて、古代史についての、多くの事実が、あきらかになるように思われること。 科学というものは、多くの先人たちの、粒々たる、そして時には、結果的にむなしい努力の末に、し だいに顕現してきたものである。
私のこの本は、あらぬ非難を、他へ投げかけるためにあらわしたものではない。誤った知識は、世 にひろめられるべきではない。私は、この本を、心をつくして、古代史研究における「科学」の顕現 をめざして書いた。意のあるところを、おくみとりいただければ幸いである。


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