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第251回
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1.聖徳太子と『隋書』「倭国伝」 |
■ 『隋書』「倭国伝」の記述
『隋書』「倭国伝」の隋の開皇20年(600年)に、次のような記述がある。開皇20年は推古天皇6年にあたり、聖徳太子が活躍していたころの日本の状況が記されているのだが、その内容については問題がある。
開皇二十年、倭王の姓は阿毎(あめ)字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)号し
て阿輩弥(あほけみ)というもの、使を遣わして闕(けつ)に詣(いた)らしむ。
『隋書』「倭国伝」は、倭国の役人には12の官位があることを次のように記している。 内官に十二等有り、一を大徳と曰い、次は小徳、次は大仁、次は小仁、 次は大義、次は小義、次は大礼、次は小礼、次は大智、次は小智、 次は大信、次は小信、員に定数無し。 『日本書紀』の推古天皇皇紀11年(603年)条に聖徳太子が定めた冠位十二階のことが記してあるが、下表に示すように『隋書』と官職の順位が合わない。
冠位十二階については、これまで、聖徳太子の独創によるものとの見解が有力であったが、曽我部静雄・井上光貞らにより、中国や朝鮮半島の諸制度に倣ったもの、とくに、当時わが国と最も密接な関係にあった百済の官位制を中心とし、これに高句麗の制度を参照することによって成立したものとの見解が発表されている。 冠位十二階が呉音で記されている事実は、これを裏づけるものである。 漢字の読み方には、呉音と漢音がある。先に伝来したのは、百済経由で日本に来た呉音である。呉音は中国南朝の音の百済なまりと考えられる。漢音は、そのあとに遣隋使や遣唐使によってもたらされた。
『日本書紀』を見ると、仏教関係と律令関係の言葉は呉音で記されている。仏教は百済から伝わったとされているので、律令もまた、かなり早い時代に百済から伝わったと考えられる。 なお、はじめのころは、蘇我氏の大臣には、別に紫冠が与えられていたので、冠位十二階は蘇我氏以外の豪族に与えられてものらしい。また、被授者は畿内、および、その極く周辺に限られており、冠位の施行範囲がかなり限定されていたようである。 ■ 律令制度の郷戸と人口 『隋書』「倭国伝」は、国の構成について次のように記す。 軍尼(くに)一百二十人有り、猶中国の牧宰(ぼくさい)のごとし。八十戸ごとに 一伊尼翼(いなき)を置く。今の里長の如きなり。十の伊尼翼は一つの軍尼に属す。 戸十万可(ばか)りあり。 軍尼(くに)とは国造(くにのみやつこ)を、伊尼翼(いなき)は村長(むらおさ)を示すのであろう。『隋書』の内容を整理すると、下記のようになる。
律令制で里(郷)を構成した各戸(郷戸)の人数は奴婢なども含む20余人の大家族であった。国が異なるので単純に比較できないが、その後、人口が増えても「戸」を増やさなかったので、郡の郷戸の平均は下表のように増えている。
■ 倭国の国書 『隋書』「倭国伝」は、倭国の国書について次のように記す。
新羅・百済は、皆倭を以って大国にして、珍物多しと為し、並に之を敬仰して、恒に、使いを通じて往来す。
この文章は、日本が、隋に対して、従来の属国的状態からの独立を宣言したものといわれる。 『日本書紀』には、煬帝からの返書を携えて帰国の途についた小野妹子が、百済を通過する時に返書を盗まれた話が記されている。これは、小野妹子が煬帝の返書の内容をはばかり、途中で奪われたことにしたという説がある。 |
2.八咫の鏡はどんな鏡か |
■ 八咫の鏡
「八咫の鏡」は、天照大御神が天の岩屋に隠れた時に作られた鏡で、神武天皇の東遷の際に大和に移動して、代々の天皇の宮殿に祀られていた。 第10代崇神天皇のときに「八咫の鏡」のレプリカを作り、これを宮中に残して本物を宮殿の外に出し、大和の笠縫邑で祀った。さらにその後、近江、美濃を巡り、最後に伊勢の皇太神宮で祀られるようになった。 「八咫の鏡」はどのような鏡なのか。これについては次のような説がある。
■ 「桶代」と「船代」 「八咫の鏡」を探る手がかりとして、「桶代」や「船代」などの鏡の容器についての情報がある。
下表に示すように、鏡を収めた樋代の大きさや形状が時代によって異なっている。鏡が途中で変わってる可能性がある。
■ 火災の記録 記録を調べると、八咫の鏡は下記のように火災などで被害を受けている。火災によってダメージを受けた鏡が再作成された可能性がある。 そして、時代によって樋代の内径寸法が異なることから、再生された鏡は、元の鏡と大きさが異なっていた可能性がある。 伊勢の皇太神宮の火災
■ 八咫の鏡とする根拠 いくつかの鏡が八咫の鏡の候補とされているが、それぞれの鏡が八咫の鏡であるとする根拠について検討してみる。
以上のような検討をまとめると、「八咫の鏡」の変遷は、およそ下表のように示すことができる。 |
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