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| 「邪馬台国畿内説」の虚構 |
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旧石器捏造事件ふたたび 科学性・学問性を失う考古学ファースト主義! 新興の科学・データサイエンスが解く千年の謎。 NHKスペシャル放映・日本考古学協会でまかり通る暴論を徹底批判! |
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| 本書「はじめに」より |
旧石器ねつ造事件
二〇〇〇年の十一月に『毎日新聞』のスクープにより、旧石器ねつ造事件が明らかになった。衝撃的なスクープであった。 記事には、調査団長の藤村新一氏が、石器を埋めているところを、ビデオ撮影した写真が載せられていた。 二〇一八年のノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑(ほんじょたすく)氏は、NHKのインタビューで、受賞に結びついた信念として、次のようなことを述べられた。 「教科書がすべて正しかったら科学の進歩はないわけで、教科書に書いてあることが間違っていることはたくさんある。人が言っていることや教科書に書いてあることすべてを信じてはいけない。」 『毎日新聞』のスクープにより、高校の日本史の教科書に記載されていた、七〇万年以上前の前期旧石器文化の存在、などの根拠が、根底から崩れることとなった。 ここで注目すべきことは、毎日新聞のスクープ内容は、スクープの時点まで、学界においても、マスコミの世界においても、圧倒的少数者の意見によるものであったことである。その少数者の見解が正しかった。 私たちが、この事件から学ばなければならないことは、つぎのようなことである。 「科学や学問上の真実は、単純な多数決によっては、もたらされない。確実な事実にもとづく立証によってもたらされる。」 このような大事件により、この種の事件がふたたびみたび、起きないような対策は、十分にとられたであろうか。 旧石器ねつ造事件の告発者、竹岡俊樹氏は二〇〇〇年から十数年たって刊行された著書『考古学崩壊』(勉誠出版、二〇一四年刊)のなかで、述べている。 「この十数年間待っていたが何も変わらなかった。」 つまり、考古学界では、なんらの対策もとられなかった、と述べているのである。 毎週木曜日にイギリスで発行される国際的な科学ジャーナル『ネイチャー(Nature)』は『毎日新聞』のスクープのあった二〇〇〇年の十一月五日(日)のつぎのつぎの木曜日の十一月十六日号に早速この事件をとりあげて論じている。 「この(旧石器ねつ造事件の)話は、藤村新一がねつ造作業をつづけるのを許した科学文化についての疑問をひき起こした。」 「日本では、人々を直接批判することは、むずかしい。なぜなら、批判は、個人攻撃とうけとられるからである。」 「直観が、ときおり、事実をこえて評価される。」 さらに、東京大学名誉教授の医学者、黒木登志夫氏は、その著書『研究不正』(中公新書、中央公論新社、二〇一六年刊)で、二〇一二年に発覚した、ある麻酔科医の起こした一連の論文ねつ造事件についてつぎのように記す。 「学会とジャーナルは積極的に自浄能力を発揮した。特に、日本麻酔科学会の報告書は、今後のお手本になるだろう。」 そして、旧石器ねつ造事件については、つぎのように記す。 「日本考古学協会は、検証委員会を立ち上げたが、ねつ造を指摘した竹岡(俊樹)と角張(かくばり)[淳一(じゅんいち)]は、検証委員会に呼ばれなかった。ねつ造発見の一〇日前に発行された岡村道雄の『縄文の生活誌』は、激しい批判にさらされ回収された。しかし、岡村は、責任をとることなく、奈良文化財研究所を経て二〇〇八年退官した。」 「SF(藤村新一)のねつ造を許したのは、学界の長老と官僚の権威であった。その権威のもとに、相互批判もなく、閉鎖的で透明性に欠けたコミュニティが形成された。」 さきに紹介した『ネイチャー』誌も記している。 「日本では、人を直接批判することはむずかしい。とくに、エスタブリッシュメント(支配階級、既得権益派、社会的に確立した体制がわにある人々)の地位にある人々を直接批判することはむずかしい(In Japan it is hard to criticize people directly.especially those in established positions)。」 つまり、日本の考古学界(会)では十分な自浄作用が働いていないことが指摘されているのである。じつは、旧石器ねつ造事件に類した事件は、日本の考古学の世界では、すでに何度も起きている。 永仁の壺事件 一九五九年に、「永仁の壺事件」が起きている。 「永仁の壺」は、愛知県志段味村(しだみむら)[現、名古屋市守山区]の「出土品」として紹介された。考古学の専門誌の『考古学雑誌』の一九四三年七月号にも紹介された。 「永仁の壺」は鎌倉時代の「永仁二年」(一二九四)に作られた古瀬戸の傑作として、重要文化財にもなった。 しかし、これは、結局、重要無形文化財(人間国宝)であった加藤唐九郎(かとうとうくろう)氏の起こした贋作事件であったことで落着する。 この壺の、重要文化財への指定には、陶芸家・美術史家の、小山富士夫(こやまふじお)氏の強力な推薦があった。小山富士夫氏は、文部技官で、文化財専門審議会委員であった。当時、陶磁研究の第一人者とされていた。 小山富士夫氏は、加藤唐九郎氏の技に心酔する。ひたすら唐九郎氏を信じこむ。 文化財専門審議会は、この分野の権威者によって構成されている。その委員である小山富士夫氏が、判断を誤っていた。贋作であることを指摘したのは、滝本知二氏、菊田清年氏、小野田五風氏などの地元古陶器研究家たちであった。滝本知二氏は、元瀬戸市史編纂委員、菊田清年氏は瀬戸市の古陶器研究家、小野田五風氏は、古陶器研究家で陶芸器修理業の人であった。 勾玉事件 また、梅原末治氏の「勾玉事件」がある。 梅原末治氏は、大正から昭和時代にかけての大考古学者であった。京都帝国大学の教授であった。梅原末治氏は、多くの発掘出土品の精密な記録を残した人であった。 梅原末治氏が伝橿原市出土、大和鳥屋千塚(とりやせんづか)[橿原市]出土などのように記して、古代の勾玉として紹介したものの八割以上が、現代技法によって作られたものであるとして、ガラス工芸の専門家の由水常雄(ゆみずつねお)氏から、徹底的な批判をあびた[『芸術新潮』一九七二年一月号、『週刊新潮』 一九七二年一月二十三日号、由水常雄著『火の贈り物』(せりか書房、一九七七年刊)]。 鉛ガラスでなく、ソーダガラスであること、ビール瓶を溶かして作られた独特の色をしているもののあることなどが指摘された。 この場合も、考古学界の権威者が、判断を誤り、その誤りを指摘したのはガラス工芸の専門家であった。 旧石器ねつ造事件に関係した岡村道雄氏は、文化庁文化財調査官、永仁の壺事件に関係した小山富士夫氏は文部技官、勾玉事件に関係した梅原末治氏は京都帝国大学教授、いずれも国費によって生計をたて、研究を行なってきた人たちである。エスタブリッシュメントの地位にある人々であった。 この種の事件は、まだまだあり、まとめれば一冊の本ができるほどである。 考古学がしっかりしていなければ、誤った判断をそのまま報ずるマスコミも、当然でてくる。 考古学の専門家の責任は大きい。が、また、同じような事件が、進行しつつあるようにみえる。それで、この本をまとめた。 教科書にのっていることが正しいとはかぎらないとすれば、とうぜん、私の書いたこの本などは、大いに疑いながらお目通しいただくべきである。 ただ、この本では、なにが正しく、なにを疑うべきであるか、その基準自体を検討している。したがって、なにを信じ、なにを疑うべきか、それ自体を考える材料にはなるであろうと思う。 おもな留意点をまとめれば、つぎのようになる。 (1)推論を行なう出発点となるデータ自体は、事実として確かなものなのか。 (2)そのデータ以外に、考慮すべき重要なデータや事実は存在しないのか。 (3)部分的真実は、全体的真実と、かならずしも合致しない。 朝早く、みんなで屋上にのぼる。太陽が東の山の端からのぼるのをみる。太陽は動いている。みなでたしかめた。だからといって「天動説」が正しいとはかぎらない。望遠鏡で、太陽系全体を観察すれば、地球のほうが動いていると考えるほうが妥当といえる。 共産中国の建設者、毛沢東は、かつて述べた。 「揚子江は、あるところでは北に流れ、あるところで南に流れ、あるところでは西にすら流れている。しかし、大きくみると、かならず西から東へ流れている。」 得られたデータなどは、特定の岸辺に立って得られた観察結果ではないのか。別の岸辺に立てば、別の観察結果が得られるのではないか。 (4)データから結論をみちびく推論、論証の方法は正しいのか。 (5)推論の結果えられた結論は、他の重要な事実との矛盾はみられないのか。 このようなことを検討しておくことは、日常生活でも、「オレオレ詐欺」などにひっかからないような練習になると思う。 |
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