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「卑弥呼の鏡」が解く邪馬台国 |
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北部九州説はゆるがない 半世紀以上におよぶ研究の集大成 1700年以上前、魏の皇帝が卑弥呼に与えたという100面の銅鏡。丹後地方の古社に伝世している鏡こそ、そのうちの2面ではないか。新興の科学・データサイエンスが照らし出す、新邪馬台国象。 |
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本書「はじめに」より |
はじめに 笠井新也氏は、徳島県の旧制脇町中学校(現・県立脇町高等学校)の国漢地歴の教諭であった。 笠井新也氏は、邪馬台国研史上に残る大きな業績をあげた方である。 笠井新也氏は、卑弥呼を「わが古代史上のスフィンクス」とよび、およそつぎのようにのべる。 「邪馬台国と卑弥呼とは、『魏志倭人伝』中のもっとも重要な二つの名で、しかも、もっとも密接な関係をもつものである。そのいずれか一方さえ解決を得れば、他はおのずから帰着点を見出すべきものである。すなわち、邪馬台国はどこであるかという問題さえ解決すれば、卑弥呼が九州の女酋であるか、あるいは、大和朝廷に関係のある女性であるかの問題は、おのずから解決する。また卑弥呼が何者であるかという問題さえ解決すれば、邪馬台国が畿内にあるか九州にあるかは、おのずから決するのである。したがって、私は、この二つのうち、解決の容易なものから手をつけて、これを究明し、そののちに他に考えおよぶのが、怜悧な研究法であろうと思う。」(「邪馬台国は大和である」〔『考古学雑誌』第十二巻第七号、1922年3月〕) 「思うに、『魏志倭人伝』における邪馬台国と卑弥呼との関係は、たがいに密接不離の関係にあり、これが研究は両々あいまち、あい援(たす)けて、初めて完全な解決に到達するものである。 その一方が解決されたかに見えても、他方が解決しない以上、それは真の解決とは言いがたいのである。たとえば錠と鍵との関係のごとく、両者相契合(あいけいごう)[割符(わりふ)の合うように合うこと]して始めてそれぞれ正しい錠であり、正しい鍵であることが決定されるのである。」(「卑弥呼の冢墓と箸墓」〔『考古学雑誌』第三二巻第匕号、1942年7月]) この笠井新也氏の提言は、「邪馬台国九州説」「邪馬台国畿内説」のどちらの立場に立つにせよ、守られていることが望ましい基本的なテーゼのように思える。 邪馬台国九州説において、おもに東大系の文献史家によって、根づよく支持されてきた説に、「邪馬台国東遷説」がある。この説では、卑弥呼のことが、神話化し、伝説化したものが、天照大御神であり、天照大御神のいた「高天の原(たかまのはら)」は、北部九州にあった邪馬台国の伝承化した姿で、のち、西暦300年前後に、邪馬台国の後継勢力が東に移動して、大和朝廷をたてた、と考える。 「邪馬台国東遷説」は、はじめ、東大の東洋史の教授であった白鳥庫吉氏によって示唆され、哲学の教授であった和辻哲郎氏によって体系的にととのえられ、日本史の井上光貞氏、東洋史の和田清(せい)氏、上代文学の専門家の金子武雄氏などの東大教授によって支持されてきた。(拙著「研究史 邪馬台国の東遷」〔新人物往来社、1981年刊〕参照)。 「邪馬台国東遷説」は、笠井新也氏の求める基本的なテーゼに合致する仮説のようにみえる。 卑弥呼はだれか、という問題と、邪馬台国はどこかという問題とに、ともに答えている。そして、さらに、大和朝廷の成立事情についても説明する。 私は『邪馬台国への道』(筑摩書房、新書、1967年刊)、『卑弥呼の謎』(講談社現代新書、1972年刊)などをあらわし、数理統計学的年代論の立場から、「邪馬台国東遷説」を支持できることを示した。 すなわち、日本の天皇、中国の皇帝・王、西洋の皇帝・王などの「在位年数」を統計的にしらべると、つぎのようになることを示した。 (1)天皇、皇帝、王などの「在位年数」は統計的にみると、日本、中国、西洋の三者で、ほとんど同じような傾向を示す。すなわち、「在位年数」は古代へさかのぼるにつれ、平均して短くなる傾向がはっきりとみとめられる。 (2)存在と在位年数とが確実な天皇、皇帝、王のデータによるとき、日本のばあいも、中国のばあいも、西洋のばあいも、「十七世紀〜二十世紀」の400年間の「平均在位年数」は、23年ていどである。いっぽう、二世紀〜八世紀」の800年間の「平均在位年教」は十年前後である。日本のばあい、たとえば「奈良七代七十年」といわれるように、八世紀の奈良時代の七天皇の平均在位年数は、10.57年である。 (3)このようなデータにより、代の数をもとに、天皇などの在位時期を推定して行けば、卑弥呼と天照大御神とは、活躍年代が重なる。神武天皇の活躍年代は西暦300年前後となる。すなわち、大和朝廷のはじまりは、すべての天皇の実在をみとめても、邪馬台国時代よりもあとのこととなる。 最近になり、以上のような「邪馬台国東遷説」を支持するような重要な二つの事実に気がついた。 その二つの事実について、少しくわしくお話するのが、本書の眼目である。 この二つの事実は、やや奇跡的で、結論だけを聞けば、ちょっと、容易には信じられないような事実である。しかし、この本を読み終えていただけば、なっとくしていただけると思う。 第Tの事実 「魏志倭人伝」によれば、魏の皇帝は、倭王卑弥呼に「銅鏡百枚」を与えた。その「百枚」の鏡のうちの二枚の鏡で、卑弥呼の手にしたものが、尾張(おわり)氏、海部(あまべ)氏の家で、代々伝えられ、1700年以上の時をへて、その写真をいまこの本でみることができるという事実である(巻頭写真A・B参照)。 この二枚の鏡は、京都府の元伊勢籠(もといせこの)神社の宮司家に、国宝海部氏系図とともに、うけつぎ伝えられてきたもの(伝世品)である。 伝承によれば、この二枚の鏡は、天照大御神から尾張氏の祖先の天の火の明の命(あめのほのあかりのみこと)(たんに、「火の明の命」とも「火明の命(ほあかりのみこと)」ともいう)に与えられたものであるという。 そして、この二枚の鏡は、あきらかに中国で作られた鏡で、同種の鏡が、魏の国の都洛陽(らくよう)に存在していたとみられる鏡である。 天照大御神が、中国と外交関係をもっていた? 神話の中から、ぬっと現実の中国鏡が出現する。この事実は、天照大御神こそが、史的事実である卑弥呼と重なりあう存在と考えることによって説明できる事実であるようにみえる。 元伊勢籠神社の宮司家の海部氏は、尾張氏の別名か、または、尾張氏の子孫とみられる。 第Uの事実 数理統計学的年代論によって、卑弥呼と天照大御神の年代がほぼ重なりあうことが示された。 ところが、数理統計学的年代論とは異なる「パラレル年代推定法」と名づけられるものを考えると、ほとんどピンポイントで、正確に、卑弥呼と天照大御神との時代が重なる。 日本の天皇も、中国の皇帝・王も、古代にさかのぼるにつれて、在位年数が、平均して短くなる傾向がみとめられる。 確実な歴史時代のデータにもとづくとき、その傾向の類似性は顕著である。 そこで、つぎのような「パラレル年代推定法」を考える。 わが国は、魏の国、そして、魏の国のつぎの西晋の国、そのつぎの東晋の国、そしてそのつぎの南朝宋の国と外交関係をもった。 日本の第21代雄略天皇は、西暦478年に、南朝宋の国と外交関係をもった倭王武のこととみられる。このときの南朝宋の国の皇帝は、第8代皇帝の順帝準(在位477年〜479年)である。 中国の皇帝の在位時期は、史書により明確である。 そこで、中国の皇帝の在位時期を手すりとして古代への階段をのぼる。天皇の代を、一代さかのぼるごとに、中国の皇帝の代も、一代さかのぼらせる。すると、雄略天皇から、二十五代前の天照大御神の時代は、中国の皇帝では、ちょうど魏の斉王芳(さいおうほう)(在位239年〜254年)の時代にあたる。そして、この斉王芳の時代の239年(景初三年)、243年(正始四年)に、卑弥呼は、魏に使いをつかわしている。 つまり、天照大御神と卑弥呼の時代が、重なりあう。そして、天照大御神も、卑弥呼も、ともに、女性とされている。 もし、天照大御神が、のちの時代に創作された神ならば、なぜ、ちょうど卑弥呼と時代があうのか。また女性の神であるのか。 わが国最初の女帝は第33代の推古天皇(在位593〜628)である。 中国の長い歴史上、唯一の女性皇帝は、唐の則天武后(高祖の皇后、在位689〜705)である。 推古天皇も、則天武后も、ともに、中国の唐の国(618〜907)のころの人である。「物語の祖(おや)」といわれる『竹取物語』が成立するのが、平安時代の初期である。それ以前の日本人が、天照大御神を中心とする長大な神話を創作する力をもちえたであろうか。 以上の、第T、第Uの二つの、かなり特異な事実は、「邪馬台国東遷説」の成立の可能性、邪馬台国北部九州説成立の可能性を大きくするものとみられる。また、わが国の古代史を考えるにあたっての、年代論にもとづく、基本的な骨格をもたらすものとみられる。 以上が本書をまとめる理由である。 なお、古代の天皇、皇帝、王などの「平均在位年数」は、当時の「平均寿命」と関係しているとみられる。 わが国が、外交関係をもった中国の、魏・西晋・東晋の三王朝の、皇帝になった人の「平均寿命(没年時平均年齢)」は、しらべて計算してみると、三十六歳である。わが国の古代の天皇などの「平均寿命」も、中国と、それほど変らなかったとみられる。 卑弥呼のあとつぎの宗女(同族のむすめ)、台与(とよ)は、年十三歳で、女王となっている。中国の魏、西晋、東晋のいずれの王朝でも、十代で皇帝になっている例がみられる。 「平均寿命」や、天皇、皇帝、王などの「平均在位年数」は、大きくみれば、その国や社会の、文化・文明の発展のていどと関係しているようにみえる。 |
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