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毎日新聞社 | ||||
吉野ヶ里「楼観」からの報告 |
吉野ヶ里の楼観からは、筑後川が見えた。
有明海が見えた。 そして、 古代の空が見えた。さらに見えてくる。 古代の歴史と生活が。 筑後川流域にあった邪馬台国は、 三世紀後半に東遷して、大和朝廷になった。 吉野ヶ里の楼観からは、そのことさえも見えた。 |
本書「はじめに」より 1 |
楼観(物見やぐら)の上にいた兵士たちはおどろいた。
女王卑弥呼の霊力により、時間旅行し、千七百年後のふるさとに来てみれば、連日、押すな押すな の人波である。はじめは、敵が攻めてきたのかと思ったが、そうではないらしい。 楼観の上まで、人いきれが立ちのぼってくる。かつて、夏の日に、草いきれで、かるい目まいを覚 えたことがあるが、今は、むっとするような人いきれに目まいを覚える。 楼観からは、人々の様子が見えるが、人々からは、楼観は、見えないらしい。 人々の服装は、千七百年まえとは、大きく様がわりしている。しかし、遠くに見える山々や、丘陵 の形などは、むかしのふるさとの面影を、なおとどめている。 なんということだろう。兵士たちの時代に、三百年ほどまえの国王の墓といわれていた墳丘が掘ら れている。棺や剣が掘りだされている。甕棺は、タイム・カプセルだ。剣は、折れてさびてはいるが、 形は、失われていない。二千年という気の遠くなるような歳月も、甕棺や剣に、それほど強く影響し たとは思えない。甕棺や剣にとっては、二千年も、昨日のようなものだ。 が、人々よ。甕棺や剣は、古代の遺物だ。姿をあらわした以上、語ることを望んでいる。しかし、 沈黙を守っている。 兵士たちはいう。−−私たちは、語りたい。古代の物語を。楼観の上で見た日々のことを。楼観の 上で語った日々のことを。楼観を吹きぬけた風のことを。楼観の夏の涼しかったことを。楼観の冬の ぎびしかったことを。そして、あなたがたが、二千年後の今日、ここ吉野ケ里でみている遺物が、か って、古代の物語のなかで、どのように躍動していたかを。 |
2 |
私は、楼観上の兵士たちに代わって、どのていど、「古代の物語」を、語ることができるであろう
か。 吉野ケ里は、三年間で、延べで、すくなくとも、四万五千人の人が、発掘にたずさわったことにな るという。そして、一九八九年の二月末に大きく報道され、二月二十五日から、五月七日に現地見学 が打ちきられるまでの七十二日間に、見学者は、延べで百五万五千人に達したという。ゴールデン・ ウィークの五月四日には、一日に十万三千人の見学者が押し寄せたという。 空前ともいえる古代史フィーバー、邪馬台国フィーバーである。 事実についての報道のあとに、多くの論議が起きている。吉野ケ里遺跡の発掘によって、なにが明 らかになったのか。 大きな論点だけをひろっても、たとえば、つぎのようなものがある。
この本では、吉野ケ遺跡によって提出されている諸問題のひとつひとつについて、事実を整理し、 やや掘りさげて考え、私なりの解答を、提出してみよう。 この本はまた、吉野ケ里遺跡の意味を考えてみようとする本でもある。 あるひとつの、文献学的事実、あるいは、考古学的事物があるとする。そのひとつの事実や事物だ けをとりあげて見つめていても、その事実や事物の意味は、よくわからないことが多い。 それとよく似た事実や事物、あるいは、ほかの事実や事物と、結びつけ、比較対照して考えることによって、は じめて、意味がわかってくる。全体のつながりのなかに位置づけることによって、はじめて、なるほ ど、そういうことなのかと、合点のゆくことが多い。 この本では、吉野ケ里遺跡によって知られた諸事実を、他の文献的、考古学的資料や事実と結びつ け、比較し、対照させて、吉野ケ里遺跡の意味を考えてみた。遺跡・遺物を、物語のなかに位置づけ ようとした。 楼観上の兵士たちが、報告しようとしていることに、力をつくして声を与えてみようとした。 |
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