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新説 日本人の起源 JICC出版

新説 日本人の起源 計量言語学の成果を用い、
「言語」「人種」の二つの要素から
日本人のルーツの秘密を解く!        

日本人は南方から来たのか
北方から来たのか、あるいは・・・・?



プロローグ   キーワードは「言語」と「人種」

日本人を定義すると、「日本語を用い、日本人 的な身体的特徴をもった人たち」となる。日 本人の起源という総合的なテーマを解くには 右の二つの条件を、うまく説明できる仮説を たてなければならない。
■ 日本人のルーツ捜しが、いま、なぜブームか

日本は、経済的に豊かになってきた。それとともに、日本人が日本 人であることの意味を知りたいという願望が、しだいに強くなってき ているように思える。一種のアイデンティティー(自己確認)欲求と いえようか。

これまで、日本人や日本語の起源に関するはなばなしい論争が、何 度かくりかえされてきた。また、日本古代史関係の本が、さかんに刊 行されつづけている。古代史ブームといってもよかろう。このような ことは、単に好奇心だけではかたずけられず、日本人の、アイデンテ ィティー欲求と結びついているといえよう。

「三つ子の魂百までも」という。ある個人の特徴は、しばしば、もっと も素朴・純粋な形で、幼な子のさいに出現する。個人の特徴の本質は、 幼な子のすがたのばあいの方が、とらえやすいことも多い。それと同 様に、民族の特質も、その始源の姿のなかに胚胎している。

日本人の起源を探究する学問には、自然人類学、文化人類学、考古 学、言語学、民俗学、民族学、文献史学、神話学などがある。これら の最新のおもな成果を整理し、日本人の起源について考えてみよう。

■ 「ことば」と「からだ」

この本は、二つの特徴をもっている。

まず、第一の特徴についてのべよう。

最近、大都市の電車内や街なかなどで、つぎのような光景に、よく 出あう。
  1. みたところ日本人と変わらない容貌、服装をした人たちが、日本 人にはまったく理解できない言語で、大声で話している。このような 人たちは、中国か東南アジアなどから来た人たちであろう。
  2. 金髪碧眼、長身の、一見して白人とわかる人が、日本人と区別が つかないほどの、流暢な日本語で話している。
このどちらのばあいも、私たちは、「日本人」とは、異質のものを感じ とる。

つまり、私たちが、「日本人」なるものを考えるとき、おもに、「こと ば」という文化的側面と、「からだ」という遺伝的側面との二つを考え ていることが多い。「言語」と「人種」の二つといってもよい。

このうち、人種のほうは、皮膚の色、頭髪・身長・頭の形・血液型 などの生物学的特徴を考える。

これまでの日本人起源論は、ことばか、からだの、どちらかを主に しているものが、ほとんどであった。

しかし、日本人の起源を考えるばあいは、ことばに関する諸事実も、 からだに関する諸事実も、ともにうまく説明できる仮説を考えなけれ ばならない。ことばに関する諸事実とからだに関する諸事実とを、総 合的に考えようとしたこと、それが本書の第一の特徴である。

■ 純血種とはみなしがたいのは、いまでは常識

この本の第二の特徴として、日本人の起源についての諸説や諸事実 を、整理し、把握するさいの、切り口の新しさを、あげさせていただ いてもよいであろう。

従来は、日本人の起源論を把握するさいの代表的な切り口として、 「混血説」と「変形説」にわけて考えるという方法がとられてきた。

1988年夏に、東京上野の国立科学博物館で開かれた「国立科学博 物館110周年記念日本人の起源展」も、日本人の起源論を大きく混血 説と変形説とにわけるという立場から企画されていた。(国立科学博物 館編集『日本人の起源展』読売新聞社)

日本の石器時代人と、現代人とでは、骨などの身体的特徴が、かな りちがう。このちがいを、「混血説」では、大陸などから人がわたってき たことによる「混血」にもとづくと考える。いっぽう、「変形説」では、こ のちがいを「混血」よりも、むしろ、日本列島内部での進化にもとづく 「変形」に起因すると考える。

石器時代人と現代人との身体的な特徴のちがいは、環境の要因、と くに、生活様式(たべものや労働)あるいは文化の変化によってもた らされたと考える。

しかし、混血説と変形説とにわけて考えるという切り口は、現在で は、あきらかに、時代遅れのものとなっている。

今日では、日本人の形成にあたって、混血も変形も、ともにあった ことは、多くの学者が、ほとんど共通にみとめるところとなっている。

今日では、むしろ、つぎの二説の対立のほうが、表面にでてきている。
  1. 北方人基層-南方人上層説この立場では、だいたい、縄文時代 人は、北方の大陸からやって来た人々で、弥生時代人は、中国南部を ふくむ南方からやって来たと考える。
  2. 南方人基層-北方人上層説この立場では、だいたい、縄文時代 人は、南方からやって来た人々で、弥生時代人は、北方からやって来 た人々であると考える。
簡略化して、1を、「北方人基層説」、2を、「南方人基層説」と呼ぶこ とにしよう。最新の科学的方法をもちい、コンピュータを駆使して、 大量のデータを処理しながら、日本人の起源に関する学者たちの見解 は北方人基層説と南方人基層説とで、まっこうから対立している。

この本では、その対立の情況をまずお話し、さらに、私じしんの考 え(「新北方人基層説」)をのべてみよう。


エピローグ   日本語祖語の大膨張

私たちの祖先は、どこから来たか。民族の揺藍 の時代を求めて、多くの学者たちが、時間とエ ネルギーをついやすのは、民族的な「ロマン」 とも名づけるべき、古代への憧憬にもとづくと 思われる。
■ 強い願望は、しばしば錯覚を生む

日本人は、いつごろから、この日本の島に住むようになったのだろ うか。私たちが、いま話している日本語の、祖先となることばを話し ていた人々はどこからやって来たのか。

このような問いに対して、最近の学問の、もっとも新しい諸成果は、 どのように答えているのか。それを、この本で紹介してみた。 そして、多くのデータに矛盾しないような形で、私なりの日本人起 源論を考えてみた。

私たちは、なにごとによらず、ものごとの起源を知りたいと願う。 私たちが日本の古代の姿を明らかにしたいと強く願うのは、日本人が、 日本人であることの意味を知りたいという強い願望によってささえら れているとみられる。それは、ふるさとを遠くはなれた人が、ふるさ とをなつかしがる気持ちにも似ている。

私は、旧満州(現在の中華人民共和国の東北地方)に生まれて、育 った。第二次世界大戦後に、日本に引きあげて来た。

そのため、新聞で、中国残留孤児の記事をみるたびに、胸が痛む。 運命が少し幸いしなかったならば、私も、残留孤児になっていた可能 性があったと思うからである。

戦乱の中で、親と子は、はなればなれになった。しかし、生活がお ちつくと、自分の出自を知りたいと、痛切に願う。その痛切さは、父 母のもとで、しあわせに育った人々の想像をこえる。

人間は、生活に、いくらかでもゆとりができると、自分が自分であ ることの意味を知りたいと願う。

しかし、注意しなければならないことがある。強い願望は、しばし ば錯覚を生む。

中国残留孤児の場合でも、ときおり、とうてい本当の親もととは思 われないところに、引きとられている例があるという。

身もとを確認するためには、血液型の検査など、科学的な方法にう ったえる必要がある。

日本人の起源のばあいも、同じである。 日本人の起源の問題は、ロマンあふれる問題であるが、まだまだ解 けていないところが多い。

この本がきっかけになって、一人でも多くの若い人たちが、日本人 の起源の問題に、興味をもっていただければ幸いである。

■ 故郷を知りたがるのは、古代への憧憬

人間の存在は、その根底において不安定である。「かつ消え、かつ結 ぶ」泡のように、はかない存在であるともいえる。

これだけ深く喜び、悲しみ、悩むことのできる人間存在が、歴史の 人河のなかでは、ひとつの泡沫にすぎない……。

この存在の不安定さから、自分が自分であることの意味を知りたい、 と願う衝動が生まれる。

「われら、いずこより来たりて、いずこへ行くか。」

歴史の大河のなかに生起した無数の泡沫は、そのすべてが、この問 いを、うちに蔵して流れ浮かんでいる。

この衝動から、みずからが帰属する集団の淵源を知りたいという願 いが発生する。

大河の源と、行くすえを知りたいという願いが生まれる。

私たちの祖先は、どこから来たのか。

私たちの意識は、その記憶をまったく失ってしまっている。しかし、 私たちの体内の遺伝子や、私たちが無意識に使う言語は、その記憶を、 なお、たしかに伝えている。

考えてみれば、ふしぎなことである。

科学は、その無意識の暗闇に光を投じ、数千年、数万年にまたがる記 憶を、意識の世界に呼びもどすべく苦闘している。

豊かになった日本の経済力を背景に、民族の揺藍の時代を求めて、 学者たちが、時間とエネルギーとをついやすのは、なぜか。

探究をおしすすめている根源の衝動力は、生の不安定さから発生し た、民族的な「ロマン」とも名づけるべき、古代への憧憬であろう。 最近の日本人起源論をみれば、10年、あるいは、20年まえの日本 人論とは、大きく様がわりしていることに気がつく。

新しい方法と事実による、新しい成果がぞくぞくと出現している。

■ 日本、日本人、日本語

ここらで、一応の、交通整理をしてみることも必要であろう。交通 整理によって、新しい展望がえられる見こみもある。

この本では、「北方人基層ー南方人上層説」と、「南方人基層ー北方人 上層説」との、対立図式によって、日本人の起源についての最近の諸 氏の見解を整理し、その結果を検討摂取しながら、私なりの考えをま とめてみた。

私じしんが、固有にもっている方法とデータとは、おもに、言語学 的、文献学的なものである。

言語学的、文献学的な知識は、ここ5000年以内というような、比較 的現代に近い時代のことについては、かなり確実な情報を与えてくれ る。

言語学的、文献学的な知識と、他の分野、自然人類学や民俗学など の成果とを、どのように統一的に理解すべきかが、この本の大きなテーマでもあった。 日本人という大河の源は、けっしてひとつではない。源を異にする いくつかの支流が合流して、この大河となっている。

世界には、およそ、3000種の言語があるといわれている。そして、 日本語は、現在、中国語、英語、ロシア語、ヒンディー語、スペイン 語につぎ、世界で、第6番目に使用人口の多い言語である。

現在、英語の使用人口は、約2億5千万人。これに対し、日本語の 使用人口は、約1億2千万人。約半分である。

しかし、つい500年まえの西暦1500年ごろには、英語の使用人 口は、約500万、日本語の使用人口は、約1800万人と推定されてい る(角川小辞典『図説日本語』)。日本語の使用人口は、英語の使用人口 の3倍強であった。英語は、ここ500年ほどのあいだに、使用人口が、 50倍になった。英語の使用人口は、とくに、19世紀以後に爆発的 に大きくなった。

ロシア語も、スペイン語も、500年ほどまえには、日本語よりも使 用人口がすくなかった。500年ほどのあいだに、ロシア語は、15倍 以上、スペイン語は、14倍以上に使用人口が膨張した。日本人は決 して少数民族ではなく、大河と呼ぶにふさわしい。

英語やロシア語、スペイン語が、ここ500年ほどのあいだに、急激 に膨張したのは、政治的な事情による。

日本語も、その初源においては、縄文時代のすえ、あるいは、弥生 時代のはじめに、北九州および南朝鮮において、「北方語基層上南方語 上層」という形で成立した。比較的少数の人たちの言語であったであ ろう。

その意味では、日本語祖語の成立時期は二千数百年まえといえる。 その言語をつかう人々が、北九州に成立した邪馬台国の母体となっ た。

邪馬台国の後継勢力が東遷して、大和朝廷となり、大和朝廷の政治 的発展により、日本語は、大膨張をとげることとなる。

四世紀ころからはじまる大和朝廷の政治的な発展にともなって、日 本語を使用する人口が、急激に増大していった。

約二千年まえの弥生時代、北九州に存在した日本語祖語は、おそら く、数万ないし数十万ていどの人々が用いている言語にすぎなかった のであろう。

それが、大和朝廷の政治的発展によって、日本列島全体にひろがっ ていった。7世紀の奈良時代の日本の人口は、600万人〜700万人と いわれる。これは、西暦1500年ころの英語の使用人口よりも多い。 奈良時代には、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』なども成立し、「日 本人」という意識もそうとう明確になっていたとみられる。そして日 本語はついには、現在みられるように、一億をこえる人々によって用 いられる大言語になった。

これが、私の考える、「新北方人基層説」である。

以上の議論において、諸先輩への礼を失した言辞も、あるいはあっ たかと思うが、それは、日本人の起源についての論点を、できるだけ 明確にしようとつとめた結果である。それに免じてお許しいただきた い。

この稿に、事実に関する誤り、他の有力な事実の見落とし、知識の 不足、推論の誤りなどあれば、ぜひ、ご指摘・叱正していただきたい



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