著書一覧 >新・朝鮮語で万葉集は解読できない 一覧 前項 次項 戻る


新・朝鮮語で万葉集は解読できない JICC出版局

新・朝鮮語で万葉集は解読できない

「三人虎を為す」(三人市虎を為す)ということわざがある。
三人がつぎつぎに「市場に虎がいる」といえばいつのまにか、いないはずの虎も、いるかのように信じられてくるという意味である。
ほとんど根拠のない見解でも、三度以上も別の人によって、別の出版社から出されれば、その結論を信ずる人もでてくるであろう。

朝鮮語と日本語の関係は今後も大いに研究される必要がある。
とはいえ、現在出版されている多くの本のような方法では、真実に到達する見込みはない。
むしろ、正しくない「思いこみ」や「先入観」を、人びとにうえつける危険性が多分にあるといえよう。      


プロローグ
エピローグにかえて
先日、勤務先の学校へ、突然、未知の人の訪問をうけた。「日本語と英語が、基本的に同じであるこ とを発見したので、ぜひ話を聞いて欲しい」とのことだった。その人は、
  • You are a boy.

  • 友 は 坊や。
という紙を私に示し、「これが、日本語と英語が同じである端的な証拠です」という。
私は、思わず失笑してしまった。

「『友』は、日本語ではなくて、中国語からの借用語ですよ。『坊』は中国語で、『へや』という意味で、それに『や』という呼びかけの助詞をつけたものでしょう。本来の日本語では、単語の頭が『ぼ』の ような濁音ではじまることはありませんでした」

「では先生、『友』や『坊』が、いつ、だれによって、日本にもって来られたか、確実にいえる人はい るのでしょうか。本来の日本語でないことは、どうやって証明できるのでしょうか」

自分の思いつきに熱中し、新発見と思い込むその人は、私の説明にも容易に納得しない。

「友は坊や」氏の議論の問題点は、
  1. そのような方法で行えば、日本語は、世界の任意の言語で、解読できてしまう。
  2. 学問的な研究成果をまったく無視して、自説をたて、そこから学問的研究成果を否定、批判する。
  3. その説が正しいことを証拠だてる客観的な根拠がない。
などである。文章や、説得のしかたのうまさを除けば、藤村由加氏や、李寧煕氏や、朴柄植氏の議 論も、本質的には、「友は坊や」氏の議論と、同じような問題点をもつ。

かつて、薬事法や広告倫理規定がなかったころ、根拠のない性病薬が、大だい的に宣伝販売された ことがあった。現在でも、水準以下の学問的知識で、ガンの新薬を発見したと信じこむ人は、すくな くない。薬は、命にかかわることなので、薬事法などによってとりしまられている。

しかし、「ことば」のばあいは、命にかかわることではないので、「うどん粉」でつくった特効薬の ような本が、大だい的に宣伝販売されている。

この本は、1990年の1月に、JICC出版局からブックレットの一冊として刊行された『朝鮮 語で「万葉集」は解読できない』に、筆を加えたものである。

ただ、PART3の「『日本書紀』のなかの朝鮮語」は、ブックレットにはなかったものである。『東 アジアの古代文化』(1990年秋・65号・大和書房)に掲載した同名の拙稿に若干手直しをして、こ こに加えた。

1991年8月




著書一覧 >新・朝鮮語で万葉集は解読できない 一覧 前項 次項 戻る