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新・朝鮮語で万葉集は解読できない | JICC出版局 |
プロローグ |
エピローグにかえて |
先日、勤務先の学校へ、突然、未知の人の訪問をうけた。「日本語と英語が、基本的に同じであるこ
とを発見したので、ぜひ話を聞いて欲しい」とのことだった。その人は、
私は、思わず失笑してしまった。 「『友』は、日本語ではなくて、中国語からの借用語ですよ。『坊』は中国語で、『へや』という意味で、それに『や』という呼びかけの助詞をつけたものでしょう。本来の日本語では、単語の頭が『ぼ』の ような濁音ではじまることはありませんでした」 「では先生、『友』や『坊』が、いつ、だれによって、日本にもって来られたか、確実にいえる人はい るのでしょうか。本来の日本語でないことは、どうやって証明できるのでしょうか」 自分の思いつきに熱中し、新発見と思い込むその人は、私の説明にも容易に納得しない。 「友は坊や」氏の議論の問題点は、
かつて、薬事法や広告倫理規定がなかったころ、根拠のない性病薬が、大だい的に宣伝販売された ことがあった。現在でも、水準以下の学問的知識で、ガンの新薬を発見したと信じこむ人は、すくな くない。薬は、命にかかわることなので、薬事法などによってとりしまられている。 しかし、「ことば」のばあいは、命にかかわることではないので、「うどん粉」でつくった特効薬の ような本が、大だい的に宣伝販売されている。 この本は、1990年の1月に、JICC出版局からブックレットの一冊として刊行された『朝鮮 語で「万葉集」は解読できない』に、筆を加えたものである。 ただ、PART3の「『日本書紀』のなかの朝鮮語」は、ブックレットにはなかったものである。『東 アジアの古代文化』(1990年秋・65号・大和書房)に掲載した同名の拙稿に若干手直しをして、こ こに加えた。 1991年8月 |
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