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日本誕生記1、2

日本誕生記 日本誕生記 
未知なる彼方、古代の空へ・・・

言語、人口、遺物・・・
あらゆる角度から、日本人の起源と、縄文・弥生時代の姿を浮き彫りにする、全く新しい、科学的手法による本格的古代通史。


エピローグより
あなたに、聞こえてきただろうか。古代人たちの足音が。

耳をよくすませば、聞こえてくる。ひたひたと歩む、古代人たちの足音が。ささやく声が。 ため息が。歌声が。数千年の歳月をこえて。

あなたに、伝えることができただろうか。私の胸のなかの、思いを。
日本の古典によせる思いを。

日本の古典は、今日なお、不当な評価をうけている。しかし、日本の古典を除外して、古代 の解明はない。

外国文献と考古学とだけでは、さまざまな「解釈」の成立する余地が残される。日本の古典 のもたらす情報によって、はじめて、古代についての筋のとおった理解がもたらされる。

日本の古典には、日本民族が揺籃(ゆりかご)のなかにいたときに、歌われていた歌や物語が、書きとどめられている。
ゆりかごの歌や物語は、民族のふるさとのことばだ。
このことばにたよらずに、私たちはふるさとに帰る方法はないのだ。古代の埴生の家がどこにあったか。ゆりかごの歌や物語が伝えている。

ふるさとのことばは、ふるさとの文化だ。
この文化を通じてのみ、私たちは、日本人に帰りうる。
日本の古典の語る物語は、おさな子の語るはなしのように、おぼつかなく、とりとめがない ようにもみえる。
しかし、どこの国の神話も、わが国の神話と同じように、夢のなかの物語のような色彩をも つ。ギリシア神話も、旧約聖書の物語も。

しかし、それは、夢のなかの物語ではない。
古代人たちの足音が、ささやく声が、ため息が、歌声が、それらの物語のなかに伝えられて いるのだ。

私は、津田左右吉氏らのように、それらの物語を、作られた物語だとは思わない。
また、戦後の何人かの人たちが行なっているような、主観と独断と歪曲とによる勝手気まま な解釈を、それらの物語に対してほどこそうとは思わない。

考古学や外国文献、言語学その他の周辺科学の力をかりて、古典が伝えている古代人たちの 足音やささやきや歌声を、ひたすら増幅するようにつとめたつもりだ。

キャッチしてほしい。聞きわけてほしい。日本の神話をおおう騒音のなかから。古代人たち が、発しつづけている信号を。

歴史は、小説ではない。
小説ならば、筆者の主観にしたがって、どのように話を展開することも許される。
しかし、歴史では、それは許されない。

歴史は、過去の人々の足あとの復元なのだ。
私たちの存在や主観とは無関係に、過去の事件や事象は、客観的に存在したのだ。歴史学 は、まず、そのような前提のうえに立っている。

主観をはなれて、客観が存在する。その意味では、唯物論的な前提にたたなければ、すくな くとも、私の歴史学は成立しない。
が、そのような認識論的唯物論は、共産主義と論理的に、 直接つながるわけではない。マルクスの主要な主張とは連絡しない。
しかし、エンゲルスの『自然弁証法』には、なお、学ぶべきものがあると考えている。

歴史および歴史認識の方法じたいが、弁証法的な運動法則、発展法則にしたがっていることは、認めてよいと考える。
認識論的唯物論では、古代において、天皇の権威が大きければ、客観的事実として、それを そのまま認める。
ところが、マルクス主義では、天皇の権威が大きいことは、平等の理念に反するものとし て、容認できないものとする。そして、天皇の権威がかつて大きかったという歴史的事実を認 めることすらも、望ましい理念に反すると考える。

古代において、天皇の権威が大きかったとみるべき数々の徴証があっても、天皇の権威が大きかったというような歴史的事実は、なかったものとする。
そして、古代においては、天皇家も一他の豪族と同じていどの権威しかもたなかったものと解釈する。

このような、一定の理念にたって古代を解釈するのは、客観的事実の認識をさまたげ、結局 一種の観念論となる。
マルクス主義が、しばしば批判される「教条主義」とは、このような、 現実や事実を無視した観念論をいうのである。

私は、過去の事件や事象の復元に、あらゆる努力をそそごうとしている。

思いこみや独断を、地にひろめるために、あらゆる努力をしようとしているのではない。
情熱そのものや、熱のこもった文章や、文学的な感銘が、そのまま歴史的真実につながるわけではない。

情熱に、二種類あることを、はっきりと弁別してほしい。

(1)人は、だれでも、自分が創始した王朝の始祖でありたいという願望を、ひそかにもつている。
みずからの思いつきや、思いこみ、独断を、「正しいもの」として地にひろめよう とする情熱。この情熱のもとでは、自説につごうの悪い客観的諸事実は、みえなくなる。

(2)過去の事件や事象の客観的な復元そのものにそそぐ情熱。この立場では、みずからが一たびたてた仮説も、いつでも、捨てさる用意がある。

めざすのは、客観的な復元であつ て、自説という主観的判断を守ることではないからだ。
方法じたいも、たえず反省し、改良する用意がある。

今日(1)の立場にたつ日本古代史の論著が、あまりにも多い。しかし、(2)の立場にたてば、(1)の立場の情熱がもたらす過剰なことぱは、たんなる騒音にすぎない。

日本の古代についての諸問題は、(2)の立場にたつ系統的、組織的な方法によらなければ、けっして解けない種類のものなのだ。
そして、この立場にたって、かなりな成果がえられていると、私は考える。

探究の基礎についての反省を欠いた思いつきや、思いこみのつみかさねでは、日本の古代史の問題は解けない。

以上のような考え方は、つぎのような考え方とは、はっきりと対立する。

「歴史学者は、資料をもとに、歴史を構成する。資料のどの部分をとりあげ、どの部分をとりあげないかは、歴史学者の判断(主観)にまかされる。
したがって、構成される歴史は、歴史学者の数だけ存在する。
構成されたそれぞれの歴史像が、違っていて当然である。」

このような考え方は、資料と歴史学者の判断とだけをみていて、資料の奥にある客観的事実をみていない。

女王卑弥呼のおさめた邪馬台国が、この地上のどこかにあった、という客観的歴史事実があって、資料は、その客観的歴史事実の落とした影である。

私たちは、資料をもとに、客観的な手つづきで、客観的な歴史事実を復元するようにつとめなければならない。

それが、私の目ざしているところである。

もし、私がのべているような方法と、そこからみちびきだされる結論とに、ご賛同いただけるならば、力をかしていただきたい。
古代人が発している信号の増幅に。

私は、大和朝廷の成立発展をへて、大化の改新ごろまでにいたる日本古代の通史を書こうとこころみた。
しかし、紙数が、あまりにも彪大になりそうである。
とりあえず、邪馬台国時代までの歴史を、『日本誕生記(1)(2)』二巻として刊行することにした。

『古事記』『日本書紀』の神話の語る天孫降臨の物語は、どのように理解すべきか。
神武天皇の東征の伝承は、どのような裏づけをもつか。
大和朝廷は、どのように成立し、発展したか。

これらの興味深い話については、割愛せざるをえない。

願わくば、幸いにして読者の支持をえて、続巻の刊行される機会の与えられんことを。

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