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本書「おわりに」より
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三角縁神獣鏡は
卑弥呼の鏡か

三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か

三角縁神獣鏡は四世紀に大和朝廷のもとで作られた国産鏡である。 「卑弥呼に下賜された魏鏡」ではない。

「三角縁神獣鏡は魏の鏡である」という仮説は他の多くの諸事実をうまく説明し得ない。
  • なぜ、中国から出土しないのか?
  • なぜ、卑弥呼の時代のものではなく、100年ぐらいのちの古墳から もっぱら出土するのか?
  • なぜ、華南の鏡のデザインや江南の銅が用いられているのか?
  • なぜ、三角縁・神像・獣像などの各要素は、洛陽付近出土の銅鏡にはみとめられないのか?



本書「おわりに」より抜粋

第一章



歴史は総合の学である。
中国文献も、日本文献も、考古学の成果も、公平に考慮しなければならない。

ところが、考古学関係の方のなかには、学問としての純粋さを求めるあまり、

「まず、考古学の範囲で考えられるだけ考えて…」 とか、
「考古学のなかで十分な編年を行なったのちに、他の学問の成果もとりいれるべきである。」


といった種類の議論をする人が多い。

しかし、中国文献、日本文献、考古学の成果は、一つの物体の、正面図、平面図、側面図のようなものである。どれが欠けても、全体像はえがけない。

中国文献だけでは邪馬台国の位置は定まらない。中国文献だけで邪馬台国の位置が定まるのな ら、これほど多くの本が刊行されて、決着がつかないはずがない。中国文献だけでは、情報が不足しているのである。

日本文献、考古学の成果、またしかりである。一つの学問分野だけでは、問題を解決 するための情報に不足している。 三脚でなければ立たないのに、無理に二脚で立たせようとするから、不安定になる。

ここで、いま、「情報」というものの一般的性質について、すこし考えておこう。
ひとつの例として、つぎのような簡単な連立方程式を考えてみる。

x + y = 3
3x - y = 1

この連立方程式を解けば、もちろん、x = 1 で、 y= 2 である。

ここで、この連立方程式は、なぜ、解けたのであろうか。それは、解をうるために十分なだけの「情報」が与えられていたからである。
すなわち、x と y とのの二つの値をうるために、二つの式が与えられていたからである。

では、「情報」が十分に与えられていないばあいは、どうなるであろうか。たとえば、 つぎのように、たった一つの式しか与えられていないばあいは、どうなるであろうか。

x + y = 1

このばあいは、もちろん、解は「不定」となる。

x = 1、 y = 0

でも、与えられた式を満足するという意味で、「正解」であり、

x = 0、 y = 1

もまた、与えられた式を満足するという意味で「正解」である。

ここから、「惰報」というものは、一般に、つぎの性質をもっていることがうかがわれよう。

  1. 十分な情報が与えられているばあいは、解は、一意的に定まる。

  2. 情報が不足しているばあいは、解は、「不定」となる。すなわち、条件を満足する無数の 「正解」が存在しうることになる。

  3. 情報がまったく与えられていないばあいは、問題そのものが成立しない。

中国文献・日本文献・考古学のいずれかの成果だけで問題を解こうとすれば、いわば、上の2の 状態になる。情報が不足しているから、解は「不定」となる。

あとは、「信念」や「多数意見」で「情報」をおぎなって解決をはかろうとすることになる。

邪馬台国問題は、中国文献、日本文献、考古学の成果の三つの分野の情報を必要とするいわぱ三 元の連立方程式のようなものである。 いずれかの分野の情報を落とせば、解は、「不定」となる。不安定になる。

「情報」が不足しているばあいは、要するに決定することができないのである。なんでもいえて しまう。権威や、PRや、声の大きいものの意見が通ったりすることになる。

たとえば、金星について、じっと見つめる以外の情報は、もっていなかったとしよう。
だれかが、つぎのような説をたてたとする。

「金星はチーズでできている。」

情報が不足しているばあいは、「金星=チーズ説」を完全に否定することはできない。
「金星=チーズ説」「金星=アイスクリーム説」などは、おいしそうな説であるから、食欲がそそ られる。
権威のある人が強く主張すれば、新聞テレビなどのマスコミも、大騒ぎしそうである。そし て、共同幻想が生じる。

しかし、金星以外の星についても観察し、事態を、できるだけ自然科学的に考えようとする人 は、マスコミの狂騒や共同幻想とは別に、「金星=チーズ説」なんて、なりたつはずがないよ、と 思ってしまうのである。

本質において、「三角縁神獣鏡=魏の鏡説」も、「金星=チーズ説」と変わりないように思える。
情報が不足しているのに、思いこみと、権威と、PRとによって、ことの決着をはかろうとしてい る。


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第二章


「親魏倭王」の称号を与えられ、魏の冊封体制のなかにはいった卑弥呼は、魏の年号を用いた可 能性もある。
楽浪郡、帯方郡からは、嘉平二年(250年)や、景元元年(260年)などの中国 年号の銘のある壕(せん:土を焼いて、方形または長方形の平板としたもの。タイル)が出止している。
また、すこし時代が下るが、高句麗の墓誌に、永和13年(357年)という中国年号を壁に墨書 したものが出土している。

百済で作られたとみられ、わが国にもたらされた七支刀にも、泰和四年(369年)とみられる 中国年号が刻まれている。

邪馬台国が、魏の一部であったとすれば、日本列島内の邪馬台国で作った鏡も、魏の鏡であり、 卑弥呼の鏡であるといえる。かくて、「三角縁神獣鏡=魏鏡説」と、「三角縁神獣鏡=国産説」と が、止揚されることになる。

三角縁神獣鏡の元鏡は、魏の鏡であり、日本列島内の北九州で作られた鏡であり、卑弥呼の鏡で あるという考えも、魅力のある仮説として浮上することとなる。

弥生時代の鏡は、もっぱら北九州から出土している。庄内式土器の時代の鏡は、奈良県よりも、 福岡県から出土している。古鋳の三角縁神獣鏡も、福岡県から出土している。このことは、八咫(やた)の鏡 についての国内伝承とも重なりあい、三角縁神獣鏡の誕生の地が、北九州であることを暗示して いるともいえよう。

しかし、現在出土している三角縁神獣鏡のほぼすべては、四世紀後半の、崇神天皇-景行天皇を 中心とする時代に、畿内を最多生産地とする形で、九州から関東にわたる各地で生産されたものと 考えられる。


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第三章


ここまで、あれこれ理屈をのべてきたので、すこし肩がこってしまった。

以下、文体を変えて、「放言」を記させていただこう。勝手きままな「放言」だと思って、どうか聞きながしていただきたい。では、御免。

京都大学出身の考古学者諸君、日本古代史研究家の皆さん、すこし聞いてほしい。

じつは、私も、京都大学の文学部で学んだものだ。そう、とくに文学部の、あのアナーキイなほ ど底ぬけに自由な学風を、良い思い出としてもち、愛してもいるものだ。

若い若いと思っているうちに、私も、すっかり年をとつてしまった。だから先輩の多少の愚痴と も、苦言ともして聞いてほしい。

京大の出身者は、東大の出身者に対して、対抗意識をもつと、よくいわれるね。

そうかも知れない。

「前車の覆るは、後車のいましめ」ということばがある。

東大出身の官僚や企業・銀行経営者などの不祥事を、しばしば見聞きするようになつた。

現代は変革期なのだ。

先輩が敷いたレールの上を、そのまま走っていれば安全という時代ではないのだ。
成長神話を信じ、バブルなどの波にのり、先頭を切ってカジをとつたところに彼らのつまづきの もとがあったようにみえる。

政治でも、経済でも、考古学でも、現実はつぎつぎと新しい事実や、新しい問題をつきつけつづけつつある。

ところが・学校秀才ほど・自分が教えられた方法、マスターした方法でことを処理しようとす る。
それが、古い方法、現実にあてはまらない方法となつているかもしれないことを、考えてみよう ともしないのである。教えられた方法で答が与えられる時代はすぎているのに。

京都大学は、近畿にある。かっての王城の地だ。そこを発掘すれば、当然、多くのものが出土す る。
地の利が与えられている。発言の機会も与えられやすい。考古学がブームになりやすいそん なときこそ用心しなければならない。

このごろなんだかすこしおかしいよ。話のすじが通ってないよ。

私はこの本を書くために、「三角縁神獣鏡=魏鏡説」の立場の人々の著書・論文なども、かなり 集めて、丁寧に読んでみたつもりだ。
そして、新聞やテレビで大々的に報道されているわりには、その内容や論理が、あまりに空疎で、 オソマツなことに、率直なところ、あきれてしまった。
非実証的、非論理的、非科学的である。

「何年も研究したエライ肩書きの専門家が、あれだけ断定的にのべるのだから。」
とふつうの人は思ってしまうだろう。しかし、PRばかりがあって、その実体がない。

京大出身の方々が、しばしばリードをとって発言しておられるが、先輩の説をそのまま正しいとし、実証を無視したバブルのような発言が目立ちはじめているよ。
実体のないバブルは反動がくるよ。
カジのとり方をすこし誤りはじめていないだろうか。
兄貴分の東大出身者が官僚の世界でおこしたようなことを、学問の分野でおこしてはいけない な。

私は、この本を一生懸命書いた。
京大の自由な学風は、それなりのバランスや、自浄作用も生み出すものなのだと、できれば思われたいところも、多少あるからね。

そういえば、オウム真理教にも、京都大学出身の弁護士がいたな。A氏とかいう。
A氏という人は・全国最年少で、司法試験に受かったというから、かなりな秀才なのだろう。
しかし、A氏の行動を見ていると、頭がよいのか、悪いのか、わからんような話だね。 ここに、秀才の陥りやすい、落とし穴があると思わないか。

つまり、「六法全書」という与えられたものを、大急ぎで完全にマスターしたけれども、オウム真理教にはいれば、オウム真理教の教義も、大急ぎで完全にマスターしたというわけだ。 与えられた「拳拳服よう(けんけんふくよう)」する能力、マスターする能力はまさに天才級、秀才級、ヘビー級だが、複雑な実社会を多面的に把握する能力においては、モスキート級以下、ベビー級なのだ。ある能カみれば、知的巨人なのだが、別の能カをみれば、痴的小人なのだ。

思考を停止し、少し考えればわかりそうなことがわからない。どんなに不合理、矛盾したことでも、教えられたことをくりかえす。事実を無視し、教えられた教義によってすべてを理解しようとする。硬直した思考パターンだ。

こんなことになってはいけないね。 京都大学の先輩たちの説を「拳拳服よう」し、新しいデータ、複雑な考古学的データ、文献的データを、多面的に見る目がおとろえる。
心理構造だけをとりあげれば、A氏となんだかすこしよく似ていて、ぞっとするような話だと思 わないか。

学者は、できるだけ、確実なことを発言しなければいけない。「京都大学」というシニセの看板にまかせて、実証を無視したバブルのような発言を新聞やテレビでくりかえしてはならない。

小林行雄氏のような京都大学の先輩の考古学者の発言には、もっと柔軟性があった。

たとえば、小林行雄氏は、その著『古墳の話』(岩波新書、一九五九年刊)のなかで、すでに(お よそ40年まえのことだぞ)つぎのようにのべている。
「考古学者が古墳時代とよぶ時代は、ちょうど『古事記』や『日本書紀』がとりあつかっている時代である。したがって、古墳というような近代的な言葉はつかわれていないが、古墳のことは 『記紀』にもしばしばとりあげられている。」 そして、『古事記』や『日本書紀』などの記事についてもかなりよく目をくばっておられる。

また、小林行雄氏は、つぎのようにものべられる。

「古墳時代の工芸品の製作には、支配者の保護と奨励がくわえられた形跡も顕著である。中国 製の鏡を手本とする製鏡の製作がはじめられたとき、鏡作部がつくりえた鏡は、ほとんどおなじ文様のものばかりであった。しかしまもなく、文様のちがった種々の時代の中国鏡を模作することも、それらの一部分をぬきだして、中国鏡とは文様の組みあわせをかえた鏡をつくることも、さかんになってきた。」

このように、支配者の役割も、鏡作り部の役割も、鏡作り部が中国製の鏡を手本として製鏡を作ったことも、種々の時代の中国鏡を模倣したことも、中国鏡の一部分ずつを抜きだして文様の組みあわせを変えたことも、当時の全体的な事態をかなり的確に把握しておられるようにみられる。

これは古代の品部についてよく研究されていた、というよりも、ごくふつうの文献学的な常識を持ておられたことによる。文献を無視して、考古学の知見だけに頼るというようなことはしていないのだ。

「追随者(エピゴーネン)は、元祖よりも極端に走る」という言葉もあるぞ。
考古学のある立場の先輩の見解を、お題目のように繰りかえすのは、硬直した宗教の論理だ。 都合の良いところだけ強調し、不都合なところを無視する論理は、子どもの論理だ。 そんなシャボンのバブル(泡)のような発言をくりかえしていると、バブルが散ったとき、ハダ カの王様になってしまうよ。

シニセのカンバンだけによって実体のない発言をするのはよそうよ。カンバンの価値を下げてしまう。カンバンで権威が保たれる時代はとっくに過ぎているのだ。むかしは、東大卒業の人が、よく総理大臣になったものだ。このごろは、もっぱら、私立大学出身の人が、総理大臣になっている。

国家指導形、権威主義、官僚的思考、紋切り型思考、形式的思考では、時代の難局は、のりきれないのだ。

考古学の分野でも、森浩一氏、石野博信氏、河上邦彦氏、大塚初重氏などのような、私立大学出身の人のほうが、実態に即した柔軟なよい発言をしている傾向がめだつ。
京大出身の考古学者の発言は、形式主義的、紋切り型で、柔軟性を欠いていることが多いように思えるよ。


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第四章


「東大の九州説、京大の畿内説」などといわれたことがあったな。出身の大学によって、客観的な真理探究の結論が変わってくるなんて、そもそもおかしなことだと思わないか。

お茶のたて方や、生け花の流儀じゃあるまいし。まして、宗教の布教じゃないんだから。
先生ののべたとおりにしか、ものがみえない。パラダイムの変換がきかなくなってしまう。真理の空へむけて、自由に飛翔できなくなってしまう。

かつて、こんな事件があったな。
オウム真理教が、選挙にうってでたことがあった。信者たちは、みんな、麻原彰晃のお面をかぶって選挙運動をした。麻原は、自分のクローン人間を作ろうとしていたのだ。なんとも、不気味にみえたものだ。

京大卒の人が、マスコミ人もふくめて、みんな同じような思考パターンで邪馬台国について発言するのは、少々不気味にみえはじめているぞ。
しらずしらずのうちに、思考にマインドコントロールがかかっているのではないか。

他からの強制により、一定の思考パターンに「はまる」のを、「洗脳」という。
みずからすすんで、一定の思考パターンに「はまる」のを、「マインド・コントロール」されるという。

こわいのは、「マインド・コントロール」だ。自分では、自由意志でそうしているように思え、一定の思考パターンに「はまった」ものの見方をしていることに、気がつかなくなってしまうからだ。

私は、少々きつい言いかたをしているようにも思える。
しかし、マインド.コントロールされている人たちにたいするカウンセリングは、ふつうのカウンセリングの方法では、歯がたたない。
マインド・コントロールされている人たちは、じつに熱心に、自己主張をはじめる。一般の人は、おとなしく傾聴しているうちに、「洗脳」されてしまう。
「奪回カウンセリング」とか、「逆洗脳」といわれるものは、時問をかけた挑戦的な方法をとる。

私は、すこしばかり、挑戦的になっている。古代史の本を書いているつもりが、いつのまにか、心理学の本になってしまったな。

私は、あなた方を非難しているのではない。別のパラダイム、ものの見方を示そうとしているのだ。
「真理は、汝を自由ならしめん。」しらずしらずのうちに、みずからをしばっている「マインド. コントロール」の縄を、断ちきろうとしているのだ。 しかし、逆の立場からみれば、「安本こそ、他の人たちを、新たなマインド.コントロールにか けようとしている。」とみえるかもしれない。

学問は、思想闘争ではないはずなのだがな。できるだけ客観的に議論し、客観的事実は、だれもがすなおにみとめるべきはずのものだ。しかし、そうはならない。
中世の教会のドグマのようなものが、科学的認識をさまたげているようにもみえる。


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第五章


哲学者の二ーチェは、その著(悲劇の誕生)のなかで、人問の性格を、アポロ型とデイオニソス型とにわけた。

アポロ型というのは、荒れすさぶ海に、平然と小舟をうかべて進む船人のように、みげからの原理に絶対の信頼をおいて、ほかをかえりみない性格をさす。

デイオニソス型というのは、渦まく祭礼の群衆のなかに自我をとけこませ、ぶどうや花束にうずもれた車を、豹や虎にひかせてゆくあの酒神のような性格をさす。

祭りのエクスタシーは、彼岸の世界を夢見させる。しかし、川や崖を、緑の平野を幻想して、 山車(だし)をつっこませてはならない。

いつの時代でも、多数意見に酔おうとはしない人間がいるし、また、必要なのだ。

オウム真理教事件があったとき、私たちは、 「あたら秀才がなんとまあ。」と思ったものだ。

しかし、太平洋戦争のさい、多くの人たちが、実証製、検証製、論証性をすて、与えられた思想や、せまい日本国内の多数意見にしたがい、ほとんど妄想的な信念にとりつかれた。

オウム真理教を笑えない状態にあったといえるだろう。

三角縁神獣鏡をめぐる意見も、実証性や検証性、論証性を欠いたまま、ひたすらマスコミでのプロパガンダに驀進する傾向がめだちはじめている。

権威の実態が、信念をお題目のようにとなえるものであると、蜃気楼のようにはかない。

「王様はハダカだなあ。」

そうつぶやいて、こんな本をかくと、偏屈者のなかにいれられるのだろうか。

「鏡よ鏡、ほんとうに、どちらの言っていることが正しいのだろうねえ。」


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