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第315回 邪馬台国の会
「旧石器捏造事件」のいきさつ
「旧石器捏造事件」について
対談


 

1.「旧石器捏造事件」のいきさつ (竹岡俊樹先生)

■石器について
石器とは、下記のように
礫(れき)-素材→石核→剥片[はくへん](打繋によってを取出す)
二次加工として、石器となる。

石器として、鼓打器、刃器、ナイフ形石器、切出形石器、尖頭器、細石刃がある。

石器の剥離面の属性(バルブ、フィッシャー、リングなど)から人口か自然かによるものかを判断する。
下図は遺跡に残る石器から石器の製作工程を復元する。



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要点はその剥片をみて、研究者は自然にできたものか、人工によるものか判断する。
最終的には経験による感のようなもので分かるようになる。

遺跡に散らばる石の遺物から、一つの遺跡に加工工程の全体が残るのはなかなかないが、あるのは前期旧石器時代以前となる。

旧石器捏造の問題は発掘された石器をきちんと分析できなかったことである。研究者がきちんと判別すれば、あのようにだまされるはずがない。

■日本の旧石器時代研究史
日本に1万年以前の旧石器時代があると唱えたのはイギリスの医師のニール・ゴードン・マンローで、1908年に出した本、『先史時代の日本』で旧石器時代があったのではないかとした。

次が、大阪府の藤井寺市の国府(こう)遺跡で、京都帝国大学の喜田貞吉が1917年に原始的石器が出ることを発見し、京都帝国大学の浜田耕作教授が発掘した。

その次は明石原人で、1931年に直良信夫(なおらのぶお)が兵庫県明石市の西八木(にしやぎ)海岸で腰骨部分を発見した。発掘された骨は戦時中の東京大空襲で焼失した。明石原人はネームバリューばかりで、疑問の部分が多い。

戦後になって、岩宿遺跡(群馬県みどり市笠懸町岩宿)が相沢忠洋氏(あいざわただひろ)によって、1949年に発見される。相沢氏からの情報から、明治大学の芹沢長介(せりざわちょうすけ)氏は、杉原荘介(すぎはらそうすけ)氏とともに、岩宿遺跡の本格的な発掘を実施した。その結果、旧石器の存在が確認され、日本における旧石器時代の存在が証明されることとなった。
その後、旧石器時代の遺物の発見時代となり、いろいろ発掘された。

1961年には、芹沢氏は旧石器時代の存在が確かなことだとした。
1960年代から芹沢氏は「前期旧石器」にはまっていく。

日本の旧石器は新たな段階となる。
その後、藤村新一氏による新発見となる。

■旧石器捏造事件
1972年宮城県の考古展が開かれ、それに魅せられた藤村新一氏が参加するようになった。
明治大学大学院の研究チームに東北大学の岡村道雄氏も参加する。そして、前期旧石器時代の石器が発掘されることになる。

マスコミも「期旧石器」を持ち上げ、旧石器の発掘ブームとなる。藤村新一氏はゴッドハンドと呼ばれ、石器発掘の名人とされ、インチキではないかと言われても、取り上げられなかった。
そのようななか、2000年11月5日(日)の毎日新聞朝刊は、上高森遺跡での藤村新一氏の捏造の決定的瞬間をとらえ、報道し、旧石器捏造事件があかるみとなった。

尚、今回のHPの記載はおおまかですので、詳細については季刊邪馬台国114号、116号(2012年)などを参照してください。

 


2.「旧石器捏造事件」について(安本美典先生)

■「旧石器捏造事件」から言えること

・マスコミも、世論も多数意見になびく傾向
・証明・検証よりも、多数意見の獲得をめざす傾向
・社会的に権威があると思われる機関や人の見解になびく傾向






■最近の古人類学者の多数意見をまとめれば、およそ、つぎのようになる。
(1)いまからおよそ500万年まえに、人類の祖先とチンパンジーなどの類人猿の祖先とがわかれた。アフリカでのことである。

(2)いまからおよそ150万年ないし180万年まえに(この年代はしだいに古くみつもられるようになってきている)、人類の祖先のホモ・エルガステルの一団が、アフリカを離れ、ユーラシア大陸に進出した。第一次のアウト・オブ・アフリカ(出アフリカ)である。

(3)アジアの北京原人、ジャワ原人などのホモ・エレクトスは、ホモ・エルガステルからわかれたとみられる(言葉は、話せなかった可能性が大きい)。

(4)いまから10万年まえごろ、現代人の祖先(早期ホモ・サピエンス)は、アフリカから中東にでて、アジアとヨーロッパとに進出した。第二次アウト・オブ・アフリカである。

(5)したがって、日本で発見される50万年まえ、60万年まえの遺跡は、ホモ・エルガステルからわかれた原人のものとみられ、現代日本人には、つながらないことになる。 原人(ホモ・エレクトス)が、新人(ホモ・サピエンス)につながらない、とする多数意見は、そうとう確実な根拠をもつ。これをくっがえすのは、容易なことではない。

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  多数意見のおもな根拠をまとめれば、つぎのようになるだろう。
(1)新人(ホモ・サピエンス)は、遺伝的にみて、きわめて等質的である。ホモ・サピエンスのミトコンドリアDNA(DNAは、遺伝子機構の本体で、設計図的な役割をもつ。形質の遺伝や発現に主要な役割をはたす。細胞の核のなかにあり、染色体の主要成分をなす核酸)は、チンパンジーにくらべると、多様性にとぼしい。
チンパンジーの、アフリカの西にいる群と、アフリカの東にいる群とのDNAの違いのほうが、アフリカ人とアジア人とのDNAの違いよりも大きい。

(2)現生人類(新人)がきわめて等質的なのは、大きな個体群が絶滅しかけて、少数の固体群となり、ふたたび増えたためではないか。いわゆる「ビン首効果」で、細いところを通りぬけたために、遺伝的多様性が失われたと考えれば、等質的であることが説明できる。

(3)20万年まえごろに、現代人の起源となる人々が、アフリカにいたとみられる。現在の人類集団のなかでは、アフリカの人々が、遺伝学的なデータにおいて、さかのぼれる離れた群をつくる。
世界のさまざまな「人種」に属する百数十人のヒトの胎盤をあつめ、抽出したミトコンドリアDNAを分析し、個人のDNA間で、塩基の置きかわりのていどをしらべると、アフリカ人での、塩基の置きかわりがもっとも大きい(レベッカ・キャンたちの研究)。現代人のルーツは、アフリカにあるとみられる。

(4)ロシアの遺伝学者バビロフは、ある作物の起源地には、いろいろな種類のものがあり、起源地から離れるにつれ多様性は小さくなるという説をとなえた。「バビロフ説」である。バビロフ説は、「変異の多様性の中心地こそ発生地」であるとする説をささえる。バビロフの説は、植物についてのものであるが、動物の場合もなりたちそうである。
アフリカ人は、ミトコンドリアDNAの多様性が大きい。
また、「ヒト」にもっとも近い「サル」であるチンパンジーも、ゴリラも、アフリカにいる(現在では、チンパンジーやゴリラを、「ヒト科」にいれる分類が行われている)。

(5)世界の各地で、太古の人類が、それぞれ並行的に現代人になったとする説(多地域進化説)は、現在、ほぼ否定されている。もし、たとえば、アフリカ、ヨーロッパ、アジアという三つの地域で、それぞれ、原人から旧人へ、旧人から新人へと並行的に進化したのであれば、世界の現生人類は、遺伝的にもっと異質的になりそうである。

多数説は、金城鉄壁とはいえないまでも、そうとう堅固な根拠をもつ。多数説を破るのは、容易ではないようにみえる。
しかし、多数説への疑問の声もあがっている。
1999(平成11)年10月14日付の『朝日新聞』夕刊の「旧石器研究の到達点 下」という記事のなかに、同社学芸部記者、渡辺延志(のぶゆき)氏のつぎのような文がある。
「60万年前とされる上高森では『へら状』と呼ばれる石器が多数出土した。調査した梶原洋・東北福祉大学教授は、使用した痕跡の特徴から毛皮をなめすのに使ったと見ている。この形の石器は45000年前まで使われたことが確認されており、梶原氏は『文化か途切れることなく継承された証拠だ』と見る。旧石器遺跡の調査を数多く手がけた文化庁の岡村道雄・主任文化財調査官は『日本列島の人類が途中で入れ替わったとは考えられない』と言う。」
ここに名のみえる岡村道雄氏は、1999年10月13日付の『朝日新聞』夕刊の「旧石器研究の到達点 上」でも、中国での遺跡のあいつぐ発見に関して、「中国が人類発祥の地であることを否定できなくなった。とのべている。

■言語の問題
古人類学者の多数意見では、旧人は、言葉をもっていなかったであろうとする考えが有力である。
アフリカの東がわのケニアのトゥルカナ湖で、トゥルカナ・ボーイと名づけられる、ホモ・エルガステルに属する約9歳の少年の全身骨格が出土した。トゥルカナ・ボーイの脊髄では、会話に関係する呼吸制御に不足する。したがって、トゥルカナ・ボーイは、言葉は話せなかった、と結論づけられた。
ホモ・エレクトスについては、言葉が話せたかどうか、あきらかではない。
しかし、ホモ・エレクトスは、ホモ・エルガステルから分かれたものなので、言葉が話せなかったであろうと考える人が多かった、とみてよいであろう。
ところが、「秩父原人」について、新聞では、つぎのように報じられている。
「出土した石器は、関東地方では産出されない、けつ岩や鉄石英でできており、東北地方などとの交流をうかがわせる。」(『朝日新聞』2000年2月21日付の夕刊)
「関東にはない鉄石英や、東北地方で産出するけつ岩」(『読売新聞』同日付の夕刊)
この記事のなかの、他地域との「交流」は、言葉の存在をうかがわせる。「けつ岩」や 「鉄石英」が石器として有利であるというような「情報(意味内容)」は、言葉によってこそ説明できるもののように思える。
また、「秩父原人」がたてたとみられる建物の跡(規則性をもった構造物)がある。「石器貯蔵の計画性」も報じられている。
これらは、たまたまある一個体が考えついたものではないであろう。情報を伝達する力が、あるていどあったことをうかがわせる。
「これまでの原人のイメージを大きく覆す。」という新聞報道は、そのとおりである。
「秩父原人」の生活跡が、高度な知的水準に達していた事実を示し、人間的な「こころ」をうかがわせることから、国学院大学教授の考古学者、小林達雄氏は、つぎのようにのべている。
「とくに旧人から新人への交代劇には諸説あって、旧人は滅ぼされて地上から姿を消したという仮説が優勢である。けれども、今回の『日本原人』の発見は、彼らが日本列島 に腰を据えて、相当程度の知的水準を獲得しながら旧人へと進化し、そのが末嫡(まっちゃく)が新人に変わったのではなかったかという仮説の有力な証拠になりそうな気配を見せている。」(『毎日新聞』2000年3月14日付夕刊)

①現生人類は、言語能力をもつ。とすれば、進化のどこかのプロセスで言語能力を獲得したことになる。
②一方、アジアのホモ・エレクトスは、「秩父原人」にみられるように、言語能力をもっていた可能性が大きい。
③とすると、ホモ・サピエンスも、言語能力をもつ方向に進化し、ホモ・エレクトスも、言語能力をもつ方向に進化したことになる。つまり、多数意見が否定したはずの、別々の系統で同し方向への進化が、独立に起きたという「定向進化」がおきだことになってしまう。
④これは、ホモ・サピエンスを、ホモ・エルガステルの子孫とすることからおきる矛盾であるようにみえる。
⑤ホモ・エレクトスが、言語能力をもっている可能性が大きいとすれば、言語能力をもつ現生人類(新人)は、ホモ・エレクトスの子孫である可能性が大きくなる。
つまり、ホモ・エレクトスは、アジアで発生した可能性が大きくなる。
「秩父原人」が投げかけている意味は、途方もなく大きい。

新人アジア起源説も成立する余地が、なおありそうにもみえる。

(疑問はのべながら、多数意見をとりいれる形になっている)

■岡村氏の説は世界全体の説と違っていた。

岡村道雄『日本旧石器時代史』(雄山閣出版、1999年刊)では、下記の図のように、

 

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原人がアフリカから出て、各地域で進化して、現代人のホモ・サピエンス(新人)になったとしている。この時代はつまり教会燭台モデルである。
しかし当時はアウト・オブ・アフリカは原人の後に新人にもあった(15万年前頃)とすることが通説である。岡村説がおかしいという意見はなかったのか。


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3.竹岡先生・安本先生対談

安本:当時の内容から、岡村氏の意見に対し、旧石器の素人である私でもおかしいと思ったことを、何故専門家が分からなかったのだろうかと不思議に思った。
また、詐欺師は、だます相手が潜在的願望を持っていると、それにあうものを出してくる。
この件でも岡村氏がこのようなものが出てくるとよいと思うものが出てきたのではないのか。

竹岡:藤村氏は岡村氏が望んでいたもの、更に芹沢氏が望んでいたもの、両者が満足するものを埋めていた。秩父の発掘のころは鉄道の敷石も埋めていた。相当ひどいものを埋めていても誰も分からなかった。

安本:このような事件があり旧石器の不信感から、大分市の丹生遺跡など前期旧石器遺跡は全滅なのか?または前期旧石器の遺跡はあると思うか?

竹岡:日本に旧石器時代の遺跡はあったと思う。大分市の丹生遺跡で30万年前と思われる。

安本:このような捏造事件があったけれど、旧石器時代は全滅ではないのですね。
また、だまされることも悪いと考え、だまされないようにすることも重要だと思う。 だまされないようにするにはもっと勉強をするべきではないだろうか。

竹岡:考古学についてフランスでは勉強のシステムがあり、偽物を見分ける力がつくが、日本での大学院では放任主義でなかなか実力がつきにくいのではないか。

その他の内容もありましたが省略します。



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