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第345回 邪馬台国の会
講演・討論「洛陽で新発見の三角縁神獣鏡について」
西川寿勝先生講演
安本美典先生講演
両先生の対談


 

1.西川寿勝先生講演

■三角縁神獣鏡・観察結果
・三角縁神獣鏡と同じ工房で作ったものの1面と思われる。他の中国鏡とは違う。345-01
私は王趁意氏の家のベランダの太陽光線の強いところで、長時間にわたって観察した。

・三角縁の外側の淵の部分(湯口やバリがあるところ)が、普通の古代や唐の中国の鏡とは違う、三角縁神獣鏡は特別な工具を使っていると思われる。縦に筋が入っていて、その後きれいに磨いていない。三角縁神獣鏡の特徴である。現在の道具では出来ない。

・三角縁神獣鏡の三角縁の内側の面は鋳放しのままで磨いていない。中国鏡のほとんどは磨いている。
外側の鋸歯文帯は磨いているが、内部との間の鋸歯文帯は鋳放しのままである。これも三角縁神獣鏡の特徴である。
鈕、鈕座(鈕の淵廻り)、小乳は普通の中国鏡はきれいに磨いているが、三角縁神獣鏡は鋳放しのまま、または荒いみがき。この鏡は上半分はなんとなく磨きがあり、下半分は鋳放しのままである。
鈕の穴について、三角縁神獣鏡の特徴である鋳放しのままである。

 


・銅、錫、鉛の結晶構造が特徴的である。345-02
銅の結晶構造は木の枝のような張り巡らせた樹状、その枝に葉っぱのようなかたちで灰のようにへばりついているのが錫の結晶のウィスカ、それに柿の実またはリンゴの実のように小さなつぶつぶが付く、これが鉛の結晶である。この結晶構造について、中国鏡では見られるものと見られないものがある。しかし三角縁神獣鏡は良く見られるものが多い。

・「三角縁のとんがり」を削ったものがある。これは椿井大塚山の三角縁神獣鏡と同じである。

・日本の三角縁神獣鏡の錆は緑青(ろくしょう)であるが、中国の洛陽や西安の土壌は塩分がなく、気候乾燥から銅鏡で緑青が出ない。錆が無いか、10円玉の特徴の赤茶系の錆である。今回の三角縁神獣鏡はこの赤茶系の錆で、緑青が無い。
日本出土の三角縁神獣鏡が中国に出回ったという人がいるが、錆の特徴から日本出土のものではない。

・この鏡は18.3センチ、690グラムである。三角縁神獣鏡の平均22センチからみると小さいが、一番小さい17.9センチよりも大きく、その範囲に入る。踏み返し鏡は寸法が厚くなり、重くなる。この鏡は軽い鏡である。

・中国の鏡は型に冷やし金を使っているので、そりが少ない。三角縁神獣鏡はそりが大きく、この鏡もその特徴を持っている。

■発掘者とその付近
・王趁意氏は、今回の鏡は洛陽城の近辺に住んでいる農民が掘り当てたと言っている。北の方にある油坊(ゆぼう)工場[椿油を製造]に勤める農民とのこと。
・洛陽城の北と南に墓墳はある。今回の鏡の出土した墓について、ある程度検討は付いている。
一方、洛陽城付近は発掘調査進まない。それはこの付近は解放軍の軍の幹部のからみで、一般の人が立ち入って勝手なことができない。

■中国のコレクターの鏡
・河南の博物館を見学したが、半分近くは収集品と書いてある。目利きの人が付いていて、その人が評価して集めてくる。お金で買ってくる方が早い、いいものが多いとしている。

・銀行、ホテルを持っている金持ちが、4000枚の鏡を持っている。骨董市で1枚づつ集めてくるというではなく、盗掘団とつながっているというか、おかかえしているようなことではないか。
・非常に素晴らしい鏡ばかりで、錆もまわっていないし、欠けもしていない。日本の博物館に置いていないような鏡である。日本の博物館や古墳出土鏡全部合わせても6000枚くらいしかないのに、洛陽界隈で1万枚以上回収されている。
・そのような中でようよう三角縁神獣鏡が1枚見つかったということかも知れない。これは王先生のおかげだ。これは発掘調査で出たものではない。

■発掘調査だけではない
・日本でも発掘調査の資料だけではない。椿井大塚山古墳の三角縁神獣鏡は発掘調査で得られたものではない。岡山県の湯迫車塚古墳でも同じである。
・我々が盗掘された遺物であっても、本当はどこで出てきてどういう状況であったのかと、細かく追跡をして行く。そうすると大体分かってくるもの。だからはっきりと発掘調査では出てないが、大体どのあたりでどのように出て来たをかたどって行って、それで、今、三角縁縁神獣鏡500枚近くが日本でこういう形で出土して、こういう出土分布であると分かっているのも、丹念に調べているからである。
・発掘調査なんかでは出て来ない。それは国立博物館、美術館、私的コレクターが持っているものが大半で、教育委員会の発掘部隊が持っている三角縁神獣鏡はほとんどない。
・我々研究者は発掘調査だけなく、このようなことを突きとめて行くべきだと思う。今回もその一貫である。

2.安本美典先生講演

洛陽で発見されたという三角縁神獣鏡について、これは本物なのか、贋物なのかについて、西川先生はこれは本物であろうとの見解だが、私は現在の中国人が作った偽物であろうと考える。

■贋物について、いくつかの例を取り上げる。345-03
①「イェホアシュ碑文」(第340回講演と同じ)
長谷部修一著『聖書考古学』(中公新書、中央公論新社、2013年刊)をあげる。「2000年に「旧石器捏造(ねつぞう)事件」という日本の、そして世界の考古学界を震撼(しんかん)させる事件が明るみに出た。これは複数の遺跡において、外から持ち込まれた石器が、ある人物によってその遺跡で「発見」された結果、それらの遺跡が事実に反して旧石器時代にさかのぼる遺跡であると認定されてしまった一連の事件を指す。
その人物はどこかで古い石器を入手し、それをあたかもその遺跡の発掘現場で発見したかのようにふるまう、あるいは誰かに発見させるべく前もって埋めるなどしてこうした「捏造」を行ったとされる。
事件がマスコミによって明るみに出るまで捏造を指摘できなかった日本考古学界の未熟さは遺憾であるが、ここではこの問題は措(お)こう。一体なぜこの人物は捏造を行ったのか、その動機は何だったのだろうか。当人の言では、発見しなければいけないかのようなプレッシャーがあった、ということである。

実はこうした捏造事件は、パレスチナの歴史を学ぶ人間にも無関係ではない。2003年に、「イェホアシュ碑文」と呼ばれるヘブライ語の碑文が世界中のメディアを騒がせた。「イェホアシュ」とは、紀元前の九世紀後半から八世紀初頭にかけてエルサレムで王位にあったとされる、南ユダ王国の王である。
このイェホアシュがエルサレムの神殿を修復したことを記した碑文が骨董(こっとう)市場に出回っていたのである。イェホアシュが神殿を修復したことは列王記下十二章五~一七節に描かれている。つまり、もしこの碑文が本物なら、聖書の記述を歴史的に裏づける重要な発見であった。同時に、イスラエルやユダの王が記した碑文がはじめて見つかったことにもなったはずであった。碑文は上部がわずかに欠けているものの、文字の大部分が残っていた。1993年にテル・ダン碑文が発見されたことよりもセンセーショナルな出来事である。
イスラエルの考古局は直ちにこの碑文の真贋(しんがん)判定のためのチームを組織した。当初碑文の科学的な調査を行ったチームは、これがきわめて古い碑文であると指摘したが、その後別のチームの調査では同碑文が贋作であると結論された。碑文の書体、文法などの観点からもこの碑文が現代につくられたものであるという意見が出ている。
・・・・
昨今、少なからぬ良心的な研究者たちは、骨董市場に出回ったものを購入したり、研究対象にしたりすることを控えている。盗掘の助長につながるのを恐れる、ということもあるが、もう一つの理由として骨董品の真贋判定の難しさという問題もあるのだ。」
の記述である。

②中国で安く作られる偽物の鏡(第337回講演と同じ)
・『朝日新聞』2015年3月2日(日)の記事で、 「実物を見た河南省博物院の張鍇生さんも「複数の研究者が実物を見たが、贋作などではない」と話す。」とあるが、現実は専門家でも騙される贋作技術である。

鈴木勉著『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣、2010年刊)
「今ひとつ、卑近な事例を報告しておきたい。筆者の友人が数年前に北京の骨董市で一面の人物車馬画像鏡を購(あがな)った。最初は日本円で5万円くらいに言われた鏡であったが、2度も3度もその店に出たり入ったりした彼の粘り強い交渉の結果、その現代鏡は約8,000円で購入することができた。同行した筆者も、それまでに幾面もの出土画像鏡を見ていたので、その人物画像鏡の出来のすばらしさ(出土画像鏡によく似ていること)がよく判った。帰国後、筆者は、その鏡を友人から預かり、当代の著名な古鏡の研究者が集まる研究会に持ち込んだ。失礼がないように言っておくのだが、研究者達の鑑識の力量を試そうとしたのではない。私は本当に彼らの研究者としての力を信頼している。ただ現代中国め鏡造り工人の技術水準を確かめたかったのである。いつの時代も、偽物作りは、その工人と識者の鑑識眼との凌ぎ合いであるからだ。
高名な研究者達にこの鏡を見てもらったが、誰一人として現代鏡だと指摘することはなかった。現代の研究者は、戦前の著名な研究者以上に数多く古文化財を観察調査している。これは間違いないことだ。さらに、彼らは確かな基準資料である出土資料を数多く見ている。であるから、現代の一流の研究者達が戦前の研究者に鑑識眼で劣ることはまずない。それほど、現代の研究者は良いものを沢山見ており、研究環境は戦前とは比べものにならない。
しかし、近現代の偽物作りの技術水準は、それを凌ぐ、と認めざるを得ない。筆者は、いかに高い鑑識眼を持つ権威者と言えども、肉眼では偽物作りに立ち向かうことは出来ないのではないかと、考えている。」
8,000円以下で、本ものと変わりのないものがつくれる。

王趁意氏はキサゲとか、中国の北では土壌がアルカリ性であり南では酸性であり錆の色が違うとか、が論文で書かれている。このような知識を持っている。つまりこのようなことは十分に注して造りましたとのサインともとれる。

③中国人のコピーについての考え方
「中国では、焼物の偽物が国家の後押しで生産され、大航海時代以後、東インド会社や欧州の各王家を顧客として、スケールの大きな交易がなされた。
近頃写経がかなり広く行なわれているが、その手本として「摩訶般若波羅蜜多心経」(262字)があり、王義之の書とされている。だが、四世紀初めにはこのお経はまだ存在していない。これは唐朝の645年に玄奘三蔵がインドから持ち帰ったお経を漢文にしたものであり、それを名筆家王義之のスタイルの字で記したものであるが、誰れもこれを偽物とは言わない。もちろん、そこに至るまでの修練は厳しいものであったはずで、よこしまな、偽物を作ろうというような心で達することはできないほどの質の高さである。
「かつて上海の博物館の最上階(新しい博物館が1994年にできたが、旧館においてのこと)は、仿製品の作業場であった。もちろん博物館が作りミューゼアム・ショップで売るものであるからと、唐三彩なども西安や洛陽の土を吟味して運ばせ、釉薬も唐時代とできるだけ同じものを分析して使用するようにしていた。したがって売り値もかなり高かったが、幾十年も後に果たして私など識別できるだろうかと心配であった。
絵画の蒐集のところでも記したが、中国人のおおらかさというか、そのあたり日本人のように真贋には厳しくないことだけは確かである。いつの何であるかは言わないが、約十年ばかり前、中国から日本に運ばれで来た特別展の中の青銅器にも仿製品が三つのうち一つ混ざっていた。つい日本的な感覚でそのことを指摘すると、あちらのスタッフは「全部持って来ると本館が空になるので一点だけ残してきましたよ」と返答していた。

このように特別展の展示物でさえ、三つのうち一つはいけない。

④”FAKE?"という特別陳列展
青銅器なども厠につっこんでおいたり、何かをまぜた銹(さび)つきやすい土の中に埋めて何年かおいておくとか、海の中に新品の土器、青磁や染付を入れておき貝の付くのを待つとか、いろいろのやり方があるのだという話はよく耳にすることである。なお、1990年のこと、大英博物館の正面から入った左手の二階で”FAKE?"という特別陳列展があり、たくさんの偽物が陳列された。
今まで各博物館で本物の名品として陳列していたが偽物でした、と公示した品々である。欧米のコレクションーナンバーの最後二桁は購入年度である。何年に本物として購入したが、調査の結果、何年に偽物であると判断した。そのためにはX線や赤外線写真も撮った。もちろん、分析も行なった、とその贋物発見の詳細がちゃんと記されている。


■新発見とされる「三角縁神獣鏡」が贋造鏡である根拠
たんに専門家が目で見て、「本物」としました。というのではなく、なんらかの「分析」が必要なのである。すくなくとも、他の人にも伝わりうる真贋の根拠の提示が必要である。新発見とされる「三角縁神獣鏡」は現代中国人の手になる贋造鏡であると、私は判断する理由を以下にのべる。

贋造鏡制作のネタ本は、わが国で刊行されている『古鏡総覧(Ⅰ)』(奈良県立橿原考古学研究所編、学生社、2006年刊)と、中国で刊行されている『鄂州銅鏡』(鄂州市博物館2002年刊)のたった二冊であるとほぼみられる。

たとえば、「新発見」の鏡の銘文の31文字のうちの、30文字、97パーセントまでは、『古鏡総覧(Ⅰ)』にあるものを、見本にすればよい。
つぎのページ以下の表のとおりである。
今回、中国の王趁意という人の提出した「新発見」の鏡の銘文と、『古鏡総覧(Ⅰ)』にのっているわが国出土の「三角縁神獣鏡」とは、文字の字体が、全体としてきわめてよく似ている。
「新発見」の鏡の銘文の文字の見本を、『古鏡総覧(Ⅰ)』ほどまとめて面倒をみてくれる本は、どこにも、世界中のどこにも、ほかに存在していない。

■銘文の文字について
(下図はクリックすると大きくなります) 345-04


このように王趁意氏提出鏡の銘文31文字のうち、30文字は京都の椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳、出土の2面と、島根県の神原神社古墳出土の合計わずか2古墳出土の3面の鏡の銘文を見本に組み合わせれば構成できる。これは全中国の出土鏡のいかなる3面をとってもこのようなことはできない。
(下図はクリックすると大きくなります)
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■文様の「マーク」について
王趁意氏提出鏡の「マーク」

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・Aタイプ(王趁意氏提出鏡と同じ形)
(下図はクリックすると大きくなります) 345-07


・Bタイプ(王趁意氏提出鏡と似た形)
(下図はクリックすると大きくなります) 345-08



南中国タイプ(王趁意氏提出鏡と似ない形)
南中国1310面出土の中4面のみ
(下図はクリックすると大きくなります)
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このような文様につて、北中国では1588面中、皆無である。

①「北中国」ではすでに、『洛陽出土銅鏡』(中国・文物出版社刊、1988年刊)、『洛陽考古集成』[上、下](中国・北京図書館出版社、2007年刊)、『洛陽焼溝漢墓』(中国・科学出版社、1959年刊)、『南陽出土銅鏡』(中国・文物出版社、2010年刊)、『長安漢鏡』[中国・陝西(せんせい)人民出版社、2002年刊]、『千秋金繿』(中国陜西出版集図三秦出版社、2012年刊)『歴代銅鏡文飾』(河北省出土の銅鏡についてまとめたもの。中国・河北美術出版社、1996年刊)、『吉林出土銅鏡』(中国・中国文物出版社、1990年刊)など、ほぼ確実な考古学的発掘による出土鏡についての報告書類が刊行されている。
これらの報告書に述べられている「北中国」での出土鏡は、1500面を確実にこえている。1500面以上の鏡のなかに、今回の新発見の鏡のような「文様(神獣鏡)」と、「銘文(わが国出土の三角縁神獣鏡の銘文と高い共通性がある)」をもつものは、一面も存在していない。

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このことは、もともと、古代の「北中国」の地には、このような鏡が、存在していなかったことを、強くさし示す。もし、あるていど存在したのなら、出土しないはずがない。発掘によっては、まったく出土しない種類の鏡が、洛陽の骨董市にだけ、時空をこえて、忽然と姿をあらわす。これは、一種の手品の類とみられる。
このような古代の銅鏡が、この地域で、出土によって、「新発見」された可能性は、まずないといってよい。
もともと、存在しなかった種類のものであるから、盗掘によって出土する可能性もまずない。

②今回「新発見の鏡は、洛陽の骨董(こっとう)市で譲り受けたもので、正確な出土地点は、わからないという。中国の骨董市で出る鏡の過半は、贋造品とみられる。
中国全体では、2800面以上の鏡が、ほぽ確実な考古学的発掘によって出土している。出土地不明の鏡によって議論しなければならない理由がよくわからない。

③今回、「新発見」の鏡をもちだした王越意氏は、すでに2010年に発表した論文で、つぎのようにのべている
「事実上、ここ数年のあいだに、洛陽を中心とする調査研究により、すでに陸続として、後漢晩期から、三国・西晋早期にいたる三角縁神獣鏡、三角縁竜虎仏飾鏡、三角縁笠松紋(安本註。笠松紋は、傘松文とも書かれ、書き方が、人によって異なる)神獣鏡、そして、この面に帯で境をした欄をもつ三角縁神獣鏡など、十余面の銅鏡が、出現している。」(『中原文物』2010年4期[総154期]。なお、「中原」は、洛陽地区の意味。)(王趁意氏の、これら十余面をすべてみとめるのか)

2010年の段階で、「陸続として」「出現している」のなら、今回は発見された鏡は、「新発見」でもなんでもないことになる。(すでに2007年1月24日朝刊の『朝日新聞』にも、今回と同じような記事がのっている)
2010年の時点で、王趁意氏が示す「十余面の銅鏡」も、すべて、考古学的な発掘による出土品ではない。一級資料にもとづくものではない。
出自の不明確なものをもとにして、「陸続として」などと記す王越意氏は、中国でも、わが国でも、古代史研究家によくみられる強い「思いこみ」をもつタイプの人のようにみえる。そこでは、公平な判断が、行なわれているのか。

④今回「新発見」の鏡は、2009年ごろに、入手したという。それならなぜ、王趣意氏は、2011年に刊行したみずからの著書『中原蔵鏡聚英』(中国・中州古藉出版社刊)のなかで、この鏡のことを、紹介しないのか。
話が不自然である。今回「新発見」の鏡は、『中原蔵鏡聚英』などに対する批判をうけて、欠点を改善し、より日本出土の「三角縁神獣鏡」に近づけているようにみえるふしがある。

⑤中国では、八千円以下の費用で、専門家がみても、まったく本物と区別のつかない贋作品をつくることが可能である。

⑥「北中国」と「南中国」とでは、鏡の文様の傾向や、銅原料などの特徴が異なる。「南中国」でも、すくなくとも、1300面以上の鏡が、考古学的発掘によって出土している。そのなかには、今回の鏡に近い文様と、銘文をもった鏡が、いくつか出土している。
王趁意氏が、なぜ、洛陽ふきんにばかりこだわり、「南中国」出土の鏡に着目しないのか、不審である。
思うに、日本の「三角縁神獣鏡」は、洛陽に都した魏から与えられたものであるはずという、強い思いこみがあるのであろう。
2010年発表の論文で、王趣意氏はのべている。「漢魏の時期の洛陽地区が、日本の三角縁神獣鏡の源(みなもと)の地である。」と。

⑦わが国出土の「三角縁神獣鏡」は、「南中国」の長江(揚子江)流域地方の鏡の「文様」と「銘文」との影響をうけて成立したとみられる。
ただ、わが国出土の「三角縁神獣鏡」は、文様でも、銘文でも、中国出土鏡にみられない独自の発展をとげている。文様においては、「傘松文」といわれるものが、はきりとした形ではいるようになる。「銘文」「文様」において、あとで紹介するような独自性がある。

⑧今回「新発見」の鏡は、中国全土の、2800面をこえる発掘によって出土したいずれの鏡よりも、日本出土の「三角縁神獣鏡」に近い。日本出土の「三角縁神獣鏡」のきわめて多くが、今回「新発見」の鏡と、共通の「銘文」「文様」をもつ。その共通性は、量においても、質においても、中国全土出土の鏡を、はるかに上まわる。
つまり、時空をこえて、不自然に、「三角縁神獣鏡」に「似すぎている」のである。

⑨経済的合理性を考えてみよう。盗掘によって、このような鏡を探し出すことや、どこからか、伝世品を探し出すことを考え、そのために人件費をそそぐよりも、現代の中国人が、贋造品をつくるほうが、はるかに簡単で、かつ、安あがりである。

根本的な問題を考えよう。
ほぼ確実な考古学的発掘による出土鏡は、中国のものと、日本のものとを合わせれば、確実に7000面を上まわる。
8000面にせまるといってよい。
なぜ、このような厖大な資料を、ビッグーデータとしてあつかい、統計的に整理して、合理的な推論を行なわないのか。
そして、その結果を重要と考え、それを中心にして報道しないのか。出土地もさだかでない、贋造であることが疑われる一面の鏡などで、毎回、上へ下への大さわぎをくりかえす。議論の方向を間違えているのではないか。


■王仲殊(おうちゅうしゅ)氏からの手紙
「安本美典先生
您好(ニンハオ)[你好(ニイハオ)(今日は)の丁重表現]
(二〇一三年の)八月二十一日にお手紙いただきました。
三角縁神獣鏡=魏鏡説破滅をテーマとする大著を恵贈していただき、ありがとうございます。
二〇世紀の初期に富岡謙蔵が提出した魏鏡説は、これはこれで理解できるものです。
ただし、二〇世紀の八〇年代以降になると、中国本土および朝鮮半島の地域内に、三角縁神獣鏡の出土例が完令に存在しないことが、確認されたのち、魏鏡説は、成立がむずかしくなりました。
とくに、一九八六年十月に、二面の景初四年銘の三角縁盤竜鏡が発見され、いわゆる『特鋳説』もまた、立足の余地を完全に失いました。これは鉄のようの固い事実です。
何人も、否認することができないことです。
森浩一先生か逝去され、悲しい思いにたえません。なつかしく思うことです。
   二〇一三年十一月十日   王仲殊 拝」

王仲殊氏は昨年に亡くなった。まともな考古学者であればデーターに基づいた話をする。


■三角縁神獣鏡作り方共通   2015年11月04日(読売新聞)
三角縁神獣鏡を巡る最新の研究成果が披露された公開講演会 (橿原市の県社会福祉総合センターで)
邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏から下賜された鏡との説もある三角縁神獣鏡をテーマにした県立橿原 考古学研究所の公開講演会が3日、橿原市の県社会福祉総合センターで開かれた。同鏡を巡る最新の研究成果に約500人が聴き入った。
水野敏典・総括研究員が、約270面の同鏡を3次元(3D)計測した成果を紹介。鏡に残る鋳型の傷などを分析した結果、中国製とされる「舶載鏡」と、それを模して日本で作った「彷(仿の誤り)製鏡」には製法技術に共通性があるとし、「すべてが中国製か日本製となる可能性がある」と主張した。
また清水康二・主任研究員は、鋳型の傷を詳細に検討。舶載鏡と彷(仿の誤り)製鏡の間でも、傷の位置や形状が複数か所で一致し、同じ鋳型を再利用したと考えられる例があると指摘し、「舶載鏡から彷(仿の誤り)製鏡まで同じような工人が作っていた可能性が高い」とした。
最後に菅谷文則所長が講演し、中国では出土しておらず、日本で約560面見つかっている同鏡を国産とみる考えを披露した。

これなども、データに基づく主張である。


■梅原末治の贋作についての意見
きわめて多くの青銅器を、実見し、精密な測定記録などを残した、大正・昭和時代の大考古学者、梅原末治(京大教授)が、その著『漢三国六朝紀年鏡図説』(桑名文星堂、1943年刊)のなかの、「支那紀年鏡の贋作品に就て」という文章のなかでのべている。
「近年に至って多数の贋作の関係品を生じ、それらが年とともに巧妙の度を加えて、研究者を誤らせている実状にあるのは学術的見地からまことに寒心すべき事実と言わねばならぬ。」
「欠陥を克服せんとしていることは筆者の属目する実例が年とともに変化を示して、そのあるものの如きは相当の注意をもって臨んでいるはずの筆者自らが、その誤りを犯す程度にまで達している。」
つまり、贋造品については、そのおかしな点、欠点を指摘すればするほど、贋作者は、その指摘をふまえ、工夫をし、さらに本ものに近いものを、贋造するという構図になっている。」

いまから70年以上前に、すでにこのような状況になっているのである。
この梅原末治でさえ偽造を本物であるとし、批判をうけるという騒動をおこしている。
長大な歴史を有する中国では、古物も多い。それが尊重されるため、偽造物をつくる技術もたえず進化しているのである。中国は科学・技術の一般的水準はかならずしも高くないが、偽造物製作技術水準についてはかなり高いものがある。


■王趁意氏を疑え(これはちょっと大胆な仮説だが、この可能性も考える必要がある)
①第1発見者、そして、強く主張する人はしばしば捏造に関与している。
・旧石器捏造事件------------------------------------藤村新一氏
・『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)事件』----和田喜八郎氏・古田武彦氏
・STAP(スタップ)細胞事件--------------------------小保方晴子氏

②中国ではコレクターはしばしば捏造、模造と関係する。そもそも、捏造の意識にとぼしく、かつ金銭的利益とむすびつく。
王趁意氏は、河南省周口市の要職で、共産党組書紀という社会的権威をもち、無理の通りやすい立場にあるとみられる。

また、王趁意氏の『中原文物』2014年第6期[総180期]の「洛陽三角縁神獣鏡笠松紋神獣鏡初探」で参考文献として、京都府の椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳、奈良県の黒塚(くろつか)古墳、岡山県の湯迫車塚(ゆばくるまづか)古墳の鏡を出している。
一重または二重の笠松文様は湯迫車塚古墳の鏡、銘文について、椿井大塚山の鏡、黒塚古墳の鏡、マークについて椿井大塚山の鏡を参考にしたように見える。何故この鏡を参考文献にしたのか。多くの三角縁神獣鏡からこの鏡を先取りして選んだことは怪しい。

わが国出土の「三角縁神獣鏡」の笠松文様は三段以上が普通で、二段のものは、かなりめずらしい。これらの同型鏡以外にはみあたらないとみられる。そのことに気がつく王趁意氏は、たしかによく研究している。しかし話は逆で、王趁意氏の研究成果が「新作鏡」に反映されている可能性がある。

私は「日本出土の三角縁神獣鏡」のほぼすべてを分析し。今回の「王趁意氏提出鏡」が、「椿井大塚山古墳出土鏡」および、「黒塚古墳出土鏡」、「湯迫車塚古墳出土鏡」と特に強い関係を持つことに至った。ところが、王趁意氏は分析もせずに、「椿井大塚山古墳」、「黒塚古墳」、「湯迫車塚古墳」に着目している。ほんとうにそんなことができるのか、あやしい。むしろ、王趁意氏は今回の提出鏡の銘文、文様、二段の笠松文様などが、「椿井大塚山古墳」、「黒塚古墳」、「湯迫車塚古墳」出土の鏡のものと共通のものを部分的に用い組み合わせたものであることを「事前」に知っていたのではないか。

椿井大塚山古墳、黒塚古墳はいずれも発掘当時、大きく報道され、資料の入手も容易である。

わが国出土の「三角縁神獣鏡」の青銅器の鉛同位体比からみて、魏系「北中国」系のものではなく、呉系、「南中国」系、長江流域系のものであることを、どう説明するか。

王趁意氏の見解をたずねるばかりでなく、中国考古学正統派の徐苹芳氏(北京)などの見解もたずねるべきである。地元の方にたずねれば、地元びいきの見解がでやすいことは、日本でも中国でも同じことである。

わが国の「三角縁神獣鏡」がおもに、三世紀ではなく、四世紀の遺跡から出土していることに留意すべきである。

もしかりに、第二の藤村新一氏があらわれて竹岡俊樹氏が指摘する捏造石器の弱点をあらため、あちこちにうずめたならば、現代の正統派の考古学、それを見破る方法をもっているのだろうか。

3.両先生の対談

345-11

■西川先生
・骨董市場で見つかったことについて、中国ではもともとお店をかまえた骨董市場がない。掘った人も分かっていて、電話番号も分かっている。直接取引的なところがあると思う。
・王趁意氏はその鏡について日本の科学者の研究者どうしでもっと検討してくれと言っている。王趁意氏は騒ぎを起こそうとしかけている訳ではない。
・1980年代に王仲殊さんが洛陽近辺では神獣鏡がほとんどないとした。90年代になって、日本の研究者は洛陽界隈の鏡を本で調べるのではなく、自分の目で見て調べ歩いた。洛陽の博物館の鏡はみんな写真にとって自分で持っている。今本に出ている資料よりもたくさんの鏡が実は博物館の中にある。この2枚目の図録の鏡は総花的に全部載せるのではなく、一つの種類を1個づつ載せて、どんな鏡が何面あるという統計には使いにくい。

・安本先生は統計で全然出てないからおかしいとしきりに言っている。これは考古学の方法ではない。なぜなら(考古学の発掘は)ピラミッド社会である。今議論したい三角縁神獣鏡や皇帝から女王に下賜された、いわゆる一番トップの鏡などは、下っ端のたくさん鏡が見つかっている中の確率論の中の1枚には入らない。そういうものがたくさんあるから、この鏡がトップなんだろうなんてあるわけがない。
・例えば正倉院の鏡は日本の奈良時代の遺跡やお墓を掘っても出てきませんよ。中国のお墓を掘っても出てこない。しかし中国皇帝陵とか非常に立派な世の中に一つか二つしか無いお墓を掘ると、予想もしないようなものが出てくる。これは確率では出せない。こういうのを確率で出せるような文化論をするもの、政治論で一番上のトップの人間をやるもの、地域論で各地域の情報をやるもの、こういうものを分けて考古学では考えましょう。という鉄のおきてがある。
・それをゴッチャにして、ガラガラポンで統計することは考古学でやることではない。

・今の三角縁神獣鏡の常識で言うと、三角縁神獣鏡は五段階に区分されるということが分かっていて、今回洛陽で発見された鏡は二段階目のもである。一段階目と二段階目の主になる鏡の要点をピックアップすると、銘文も同じようなものが出てくるし、文様も同じようなものが出てくる。ちょっと三角縁神獣鏡を知っている者なら、3分くらいで呼び出せるものである。これは30年前に分かっている話である。一段階目の何々系とするものは1980年代の終わりに岸本直文が調べて系統分けをした。この系統分けの鏡は文様も非常によく似ているし、銘文もほとんど同じ。
・特注説、あるいは非常に珍しい特別の工房で作っていると考えざるを得ないわけで、それをもって、中国で一般的に見られる鏡とこの特殊な鏡を比較することができないと私は考えている。

・洛陽焼溝漢墓などの1950年代の資料を今だに使っている。これは洛陽の城からかなり離れており、中小官臣や中小豪族や商人の墓である。土壙墓の中から小さな鏡が出てくる。これらが発掘される墓の大半である。こういうものと大きな鏡が出てくる墓と比べられない。
・圧倒的に多いのはこのような土壙墓から出て来る。なぜなら大きな墓や堅牢な煉瓦つくりの墓は盗掘にあっている。


■安本先生
・旧石器捏造事件がおきたとき、人類学者で、国立科学博物館人類研究部長(東京大学大学院理学系生物科学専攻教授併任)の馬場悠男(ばばひさお)氏がのべている。
・「私たち理系のサイエンスをやっている者は、確率統計学などに基づいて『蓋然性が高い』というふうな判断をするわけです。偉い先生がこう言ったから『ああ、そうでございますか』ということではないのです。ある事実が、いろいろな証拠に基づいて100%ありそうか、50%か、60%かという判断を必ずします。どうも考古学の方はそういう判断に慣れていらっしゃらないので、たとえば一人の人が同じことを何回かやっても、それでいいのだろうと思ってしまいます。今回も、最初は変だと思ったけれども何度も同じような石器が出てくるので信用してしまったというようなことがありました。これは私たち理系のサイエンスをやっている者からすると、まったく言語道断だということになります。」
・「経験から見ると、国内外を問わず、何力所もの自然堆積層から、同じ調査隊が、連続して前・中期旧石器を発掘することは、確率的にほとんどあり得ない(何兆分の一か?)ことは常識である。
だからこそ、私は、東北旧石器文化研究所の発掘に関しては、石器自体に対する疑問や出土状況に対する疑問を別にして、この点だけでも捏造と判断できると確信していたので、以前から、関係者の一部には忠告し、拙著『ホモ・サピエンスはどこから来たか』にも『物証』に重大な疑義があると指摘し、前・中期旧石器発見に関するコメントを求められるたびに、マスコミの多くにもその旨の意見を言ってきた。
しかし、残念ながら、誰もまともに採り上げようとしなかった。とくに、マスコミ関係者の、商売の邪魔をしてもらっては困るという態度には重大な責任がある。」(以上、『検証・日本の前期旧石器』春成秀爾編。学生社2001年刊)

そばで見ていても10数年何も分からない。しかし他の分野からおかしいと言っても、聞き入れない。馬場さんの言う、一人の人が出すのはおかしいといったことが正しかった。

従来の考古学の方法で、このような結論を出す方法があるのか。

・王趁意氏の論文から、
「新発見の洛陽三角縁神獣鏡笠松鏡は、洛陽を中心とする北方黄河流域で流行した銅鏡である。この流域は漢魏の時期に、かつて、平縁神獣鏡と三角縁神獣鏡が流行した。洛陽の三角縁笠松鏡は曹魏の鏡である。」としている。

また「洛陽三角縁笠松鏡は、洛陽、西安黄河流域の典型的となる出土特徴をもつ銅鏡である。」としていて、今回の提出鏡とは別に、洛陽、西安黄河流域出土鏡の特徴がきちんと示されなければならない。
「最近、洛陽地区で発見された洛陽三角縁笠松鏡は、まさに洛陽を中心とする黄河流域において流行した北方式銅鏡である。」としており、 この種の断言がつづくが、とりあげられている鏡は、私の基準では、除かれるものばかりである。反証を無視し、すこしの資料で、断言的なもののいい方をする人である。・・・

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・画文帯神獣鏡の出土状況は洛陽付近で6面、鄂城(がくじょう)付近では86面、淅江付近では46面出ている。データが古いと言うが、最近の発掘によって逆転しているのだろうか。古いと言うなら逆転している事実を示して頂きたい。

・黄河領域で流行したというなら、データを示して頂きたい。
「北中国」からは主に出土する鏡は「方格規矩鏡」「内行花文鏡(雲雷文、長期子孫)」などである。
ことばだけ聞いていると、逆転しているような感じになる。洛陽焼溝漢墓などが古いからだめだと言うが、きちんと発掘されたもののデータであることが大事である。

・西川先生の話では北の方から出ていると言うが、
北中国あるいは洛陽付近で前に話した銘文が15字以上一致するものが何面あるのですか、王趁意氏の言う三角縁神獣鏡笠松鏡が何面あるのか示してほしい。私の調査では1面も無い。

 

■西川先生
・今回、本物か贋物かというのを最初から本物と決めつけて証拠をつかまえに行ったわけではなく、(王趁意氏に)観察させてくださいよとして、見せてもらいに行った。そして、その観察の報告をさせてもらった。

・王趁意氏の論文の「流行」、「典型的」について、
「流行して」は日本人の感覚では「すごい広まっていて普遍的」ととらえられるが、その前後の文章を読むと「そういうものも流布している(存在している)」程度の意味と思う。
「典型」の意味も、「西安の黄河流域の典型となる・・、」は錆のことを言う。赤褐色の錆、緑色の錆、漆黒色の錆、こういうものは1940年代の鉱物学者が継続して検討を進めていることが、今に伝わっていて、どんどん発展してきて、こういうことからも言えるんですよと説いている。

・確かに安本先生が言われるように、逆転現象はない。やはり南の地域の方が神獣鏡は多く、北の方の洛陽中原地域は少ない。かといって広い中国を北と南だけに分けられるのかどうか。鏡の研究は細かい地域論までできるくらい動き回って資料を集めている。何も北と南だけに分けて、神獣鏡の分布を言うような状況ではない。

・1950年代の発掘資料をいまだに使っているというのは、その後続々と発掘資料が出てて、そっち側の統計ももっと使えるようにするべきではないでしょうか。いわゆる2000年代ガンガン中国でも発掘調査がされているので、もっと時間が頂けたら、こんな資料があります、あんな資料がありますと、バンバンと私は出せるものを持っている。


■安本先生
・もともと北の方でのはゼロなのだから、出しようがないはず。
・ことばだけで、あるという。データを出さない。

■西川先生
・本当に北の方に鏡があるのか無いのかというのは、いろいろな人がこう言っている、ああ言っている、本に出ているいうのではなくて、自分で確かめるべき。 河南省の博物館へ行って見て来ればいいのです。皆、考古学者はそうしている・・

■安本先生
それなら、その資料を出してください。・・・
事前にこちらは資料を送っているのですから。そして、それを出してほしいと言いているのですから。・・・
[ここで場内から質問の声があり中断]・・・

■西川先生
・三角縁神獣鏡は4世紀の古墳から出土することの問題は我々も長い研究をやっており、大正時代からやっている。その根底は313年に楽浪郡、帯方郡が滅亡して、そこから先は中国系文物が入って来ないんだ。という鉄のおきてから始まっていることがある。
・今日はいい話をして頂いた。鏡の年代論の話をして頂いた。ここで、1回だけでは語りつくせないので、できたらまた呼んでください。

■内野会長
今日は久しぶりに熱い対談になりました。
会場から、この銅鏡が贋物か、本物かが議論だ。見た目だけでなく、鉛同位体比分析が必要とのお話がありました。
確かに鉛同位体比の調査のような科学的手法がよいのですが、中国の相手から断られたとのことです。

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