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邪馬台国東遷説
第一章


この論文について

この論文は1993年6月5日に宮崎公立大学(宮崎県宮崎市)で開催された「宮崎公立大学開学記念シンポジウム 邪馬台国は東遷したか?」の席上、安本美典氏の講演内容を抜粋してまとめたものであります。
また、ここに掲載したシンポジウムの内容は、「邪馬台国は東遷したか?」  (三一書房 1994.9刊行)として出版されております。

なお、シンポジウム当日の出席者は次の通りです。(順不同)
大林太良氏 奥野正男氏 金関恕氏 佐原真氏 谷川健一氏 荒木博之氏 安本美典氏



「邪馬台国東遷説」安本説の要点

第一章  邪馬台国は何天皇の時代か


邪馬台国の基本文献は「魏志倭人(ぎしわじんでん)」ですが、「魏志倭人伝」は、中国から遥かに遠い日本のことを書いたので、いささか情報不足だと思うのです。

たとえば、[x+y=2、2x+y=3]この連立方程式を解きますと、いうまでもなくx=1 y=1になります。これは情報が十分に与えられているので、答えが一義的に確定する。 ところが仮に式がひとつだけしか与えられていない場合には、答えは不定になります。

つまり条件を満たす解はいくらでもあるで、xが0でyは2でも、x=1、y=1でも、x=2、y=0でも条件を満たす。
条件を満たす解はいくらでもあるわけです。「魏志倭人伝」というものは、まさにそういう状況にあると思うのです。

条件を満たすというだけのことならば、無数に解がある。 その結果、「邪馬台国」に関して現在400冊以上の本が書かれているけれども、いまだに確定的な答えがでないということになります。
つまり与えられた条件が不足しているので、情報をたくさんにしなければ、答えは確定しないということになります。

たとえば、考古学なら考古学だけ、あるいは「魏志倭人伝」なら「魏志倭人伝」だけ、あるいは日本側の文献なら日本側の文献だけというふうに、条件を少なくした場合には、当然情報が不足して、答えは定まらないということになるわけです。

「魏志倭人伝」は日本のことを書いているわけですから、日本側の文献「古事記」「日本書紀」なども使って情報を増やさないかぎり、答えは定まらないとわたくしは考えます。

戦争中の反動で、「古事記」「日本書紀」に書かれていることは信用できないという津田左右吉さんの説が戦後たいへん盛んになり、日本古代史学会の趨勢になったわけですが、わたくしは津田左右吉氏の説は、マルクス主義と同じであって、あの頃の時勢を反映したまったくのホラ話だと思います。

わたくしは「古事記」「日本書紀」にも信頼をおけると思いますけれども、そのこと自体を論議しますと、たいへん長くなりますので、それは省略します。
「魏志倭人伝」や考古学的な成果、それから日本側の文献などすべての情報を用いないかぎり答えは定まらないとわたくしは考えます。

そうした前提のもとで話を進めます。

西暦239年、中国の魏に日本からの使いがやってきた。そして邪馬台国という国があり、卑弥呼という人がいたと中国の文献に書いてあるわけです。これは日本の状況を述べているのです。
では、西暦239年は「古事記」「日本書紀」の伝えるところによれば、いったい何天皇の時代であったのか。どの天皇の時代なのかがわかるならば、「古事記」「日本書紀」のその天皇についての記事を読めば、どこに邪馬台国があるのかがわかるのではないかと、私は考えたわけです。

「日本書紀」にはひとりひとりの天皇について、たとえば神武天皇は西暦紀元前660年に即位したとかいろいろなことが書いてあります。ところが、これには非常に大きな年代の延長があるようです。
もともとの伝承は「古事記」の本文に書かれていますように、年代が入っていなかったと考えられます。神武天皇の次は綏靖天皇という天皇がいたというような順番だけが書いてある。これがもともとの伝承だったと思います。

さて「古事記」「日本書紀」には歴代の天皇名が書かれています。それでは239年という邪馬台国が存在した、あるいは卑弥呼が魏に使いを出した年というのは、何天皇の時代であったのか、まず[図1]をご覧ください。


図1 世紀別天皇平均在位年数

歴代天皇の平均在位数が400年きざみでまとめてグラフにされています。
江戸時代から現代、17世紀から20世紀においては、天皇の一代の平均在位数は22年くらいになっています。昭和天皇は64年まで在位されましたが、これは確実な歴史時代に入ってからの在位年数の最長記録です。

このグラフを見ればわかるように、過去にさかのぼればさかのぼるほど平均在位年数は短くなります。
奈良七代70年、といわれるように、奈良時代はおよそ70年続き、その間に7代の天皇が立ちました。すなわち一代の天皇の平均在位年数は約10年です。奈良時代と現代を比べますと、天皇の平均在位年数が約2倍に伸びているわけです。

これは日本だけでなく、[図2]の中国の王の在位年数の場合も同じです。

図2 中国の王の平均在位年数

西洋の王の場合も同じです。[図3]

図3 西洋の王の平均在位年数

 ローマの皇帝の平均在位年数は約10年です。世界の王の場合も同じ傾向が認められます。[図4]

図4 世界の王の平均在位年数

第31代の用明天皇あたりになりますと、586年頃活躍した人という年代がわかりますから、用明天皇からさかのぼる。一代10年、一代10年とさかのぼりましたならば、何天皇の時代が邪馬台国の時代と重なるのかということが分かるはずだと考えたわけです。

つまり古代に向かって年代の梯子をかけていったわけです。「ジャックと豆の木」のジャックのようにそれを登っていきますと、結論はどうなるか。

結論だけをいいますと、神武天皇以後、全ての天皇が実在すると考えましても、神武天皇の活躍した時代は280年から290年くらいにしかなりません。
つまり大和朝廷の一番初めは、邪馬台国の時代に届かないことになります。つまり大和朝廷の始まりは、邪馬台国以後であるということになるわけです。


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