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第265回 
日本語の起源と言語年代学
日本の弓


 

1.言語年代学

■ 言語年代学とは

言語年代学はおもに、アメリカの言語学者モリス・スワデシュ(Swadesh.Morris、 1909〜1967)によって唱えられたもので、同一の祖語から分かれた2つの言語について、言語学的な近さの度合いを測り、その2つの言語が分裂した時代を推定しようとするものである。

二つの言語は、分裂してから時間が経過すればするほど、どんどん隔たっていくことになる。二つの言語の隔たりの程度を時間軸に換算し、分裂時期を推定する。

たとえば、現在、東京方言と沖縄方言とでは話をしても通じないが、「手」「目」のことを東京方言では「て」「め」といい、沖縄方言では「ティ」「ミィ」というように、音韻の変化に規則性があり、これらの方言には関係があるようにみえる。言語年代学による推定結果では東京方言と沖縄方言は約1700年前に分裂したと換算される。

■ 基本的な考え方

祖語から分かれて発展していったふたつの言語について考えてみる。

まず、比較的変化しにくい基礎語彙が祖語に対してどのくらい残っているかを見る。さまざまな言語を測定した結果では、基礎語彙は1000年を経過しても80%が残存することが知られている。

祖語PからA、Bふたつの言語が分かれて発展し1000年経過した時には、Aに残っている祖語は80%であり、Bにも祖語の80%が残存している。

ここで、二つの言語はそれぞれ独立に発展していったとすると、祖語で共通に残っている数は
   0.8×0.8=0.64
となり、測定する祖語の基礎語彙を100個とすると、64語が共通に残っている祖語の数になる。

祖語の100個の基礎語彙が、t 千年後のA、B両言語に共通に残存する数 a は下記の式で表せる。
   a=100×0.82t

a は、実際に調べてみればわかる数であるから、この式の未知数は t だけになり、この式から t の値を求めることができる。すなわち、二つの言語が分裂してからの経過時間 t を知るには、a を測定して、この式を t について解けばよいことになる。

なお、共通残存語率を r (= a / 100 )、1000年あたりの基礎語彙の残存率を s ( = 80% ) とすると、経過時間 t 千年は次のような一般式で表せる。
   t=log r / 2 log s

■ 言語年代学の基本仮定

上の考え方は、二つの言語の間の近さ(遠さ)を基礎語彙の共通残存語率で表す代わりに、二つの言語が分裂してからの時間という物差しで近似的に表現することになる。

このような言語年代学の考え方じたいはきわめて興味ある着想であるが、実際の応用については、その出発点で、次のように言語現象についてのいくつかの仮定を設け、それに基づく簡単な数学モデルに拠っている。
  • 仮定1
    2つの言語A、Bはともに、同じ祖語Pから分裂したものであること。すなわち、 言語A、Bが同系であることは、あらかじめ証明されていること。

  • 仮定2
    ある言語の1000年あたりの基礎語彙の残存率 s は、いつの時代でも つねに一定とみなされること。

  • 仮定3
    1000年あたりの言語Aの基礎語彙の残存率 sA は、言語Bの基礎語彙の残存率 sB とほぼ等しいとみなしうること。

  • 仮定4
    言語A、Bはたがいにほぼ独立に、それぞれの基礎語彙を発展させたものであること。 (二つの言語は、分裂後、基礎語彙において、交渉がなかったと仮定)
これらの仮定のうちのあるものは、実際の調査によって近似的に成立しうるか どうかを、検証できる形をしている。

■ 簡易分裂年代推定グラフ

いくつかの言語について200語の基礎語彙を用いて分析した結果を示す。


言語学者の大野晋(すすむ)氏はインドのドラヴィダ語族のタミル語が日本語と関係が あると主張し、多くの言語学者の批判を受けたが、この簡易分裂年代推定グラフを見ても、日本語とタミル語のあいだには、日本語と英語の関係程度の相関しか認められず、偶然以上の関係は検出されていない。

■ 印欧語族に属する言語グループ間の近縁関係

生物学の系統分析の手法を言語学に本格的に応用し、インドヨーロッパ語族の近縁関係を分析した事例が「Nature」に掲載されていた。インドヨーロッパ語族では、非常に多くの言語が残っており、サンスクリット語、ギリシャ語などでは古い文献も残っている。

この分析の結果では、データが豊富に存在するインドヨーロッパ語族でも、8700年くらい前までしか遡れていない。

これに比較すると、日本語などは新しく、6000〜7000年前しか遡れないのではないか。



2.日本の弓

■弓の種類

弓の形による分類
  • 直弓
    まっすぐな弓。直弓といっても弦をはれば曲がるが、全体がほぼ同じ曲率で曲がるのが特徴。

  • 彎弓(わんきゅう)
    彎弓には次の2種類がある
    • 半弓形弓
      半弓形弓は中央部が弦に向かって逆に反り、弓という字形を曲線でかいた形になる。漢以後の絵画にみられる中国・朝鮮の弓はみなこの形式である。アーチェリーの弓の形である
       
    • 反曲弓
      反曲弓は弦をはずしたときに、背の方につよく反曲する弓で、弦をはれば中央部と両端とが逆の方向に彎曲する。
弓の構造による分類
  • 丸木弓
    丸木弓は1本の材料をそのまま削って作る。直弓には丸木弓が多い。

  • 合せ弓
    木・竹・骨角など各種の材料をはりあわせて作ったもので、彎弓には合せ弓が多い。このことは、直弓と彎弓がまったく異なる系統であることを示している。

    奈良の正倉院の弓は丸木弓で、樋があるものがある。『東大寺献物帳』の中には合わせ弓の彎弓がある。
(ゆづか)の位置による分類 (弓の手で持つところを「」あるいは「握り」という。)
  • が弓の中央にある弓
    日本以外の彎弓に多い

  • が弓の中央よりやや下方にある弓
    日本では直弓でも彎弓でも、が弓の中央よりやや下方に偏っている。
    銅鐸の絵画にみる弓がそうであるし、『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のことを指しているのであろう。


弓の長さによる分類
  • 長弓     長さ2m以上  直弓である場合が多い。
    奈良県の唐古鍵遺跡から、長さ2m前後の長弓が出土している。

  • 短弓     長さ1m内外  彎弓である場合が多い。
■ 日本の弓

直弓で、(ゆづか)が中央よりやや下方に偏っている。

『清水寺縁起絵巻』には、アテルイに率いられた蝦夷の軍は半弓形弓を使用し、坂上田村麻呂が率いる 大和朝廷軍は、が中央よりやや下方に偏っている長弓を使っている場面が描かれている。

おなじ日本国内なのに、蝦夷と大和朝廷では、まったく異なるタイプの弓を使用している。



(ゆづか)が中央より下方に偏っている理由について、金関丈夫は次のような興味深い考えを提出している。

長弓は長矢を必要とするところから発生する。長い矢は空中では不利だが、メディアムが濃厚な水中を貫通するには有利であり、必要である。
長弓は多くの原始民俗で射魚の風習に伴っている。中国でも古く射魚の風習があったことが多くの文献に残っている。
中国西南民族、台湾の山地人にもあり、日本でも西日本には、薩南や奄美の島々に、つい最近までこれがあった。 短下長上のにぎり方は、前下方をねらう射魚の場合、その弓を傾けるに有利なにぎり方である。

■日本周辺の各国の弓
  • 彎弓
    アイヌ、モンゴル、朝鮮、ペルシャ、ブータン、タイ、ニューギニア、 アメリカ大陸(原住民)

  • 直弓
    日本、台湾、中国南部の一部、フィリッピン、インドネシア




日本と同じタイプの弓の分布をみると、日本の弓は、中国南部やインドネシア方面の民族によって伝えられた可能性が強い。

これは、上古日本語と、インドネシア語やカンボジア語の基礎語彙に、偶然以上の一致がみられるという言語学上の知見とも整合する。

■毒矢

アイヌは毒矢を使った。毒矢については、毒物学の石川元助氏の次のような見解がある。

キンポウゲ科のアコニツム属植物を矢毒につかう伝統は、北海道と沿海州、樺太、アリューシャン、アラスカ半島に、西南へは、中国大陸を通って、雲南、四川、さらに、ネパール、ブータンにのびる。

毒矢文化の起源は、ヒマラヤとみられる。毒矢文化をアイヌの祖先集団に伝えたのは、婁(ゆうろう)族であろう。

『毒矢の文化』紀伊國屋書店 1965



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