■弓の種類
弓の形による分類
- 直弓
まっすぐな弓。直弓といっても弦をはれば曲がるが、全体がほぼ同じ曲率で曲がるのが特徴。
- 彎弓(わんきゅう)
彎弓には次の2種類がある
- 半弓形弓
半弓形弓は中央部が弦に向かって逆に反り、弓という字形を曲線でかいた形になる。漢以後の絵画にみられる中国・朝鮮の弓はみなこの形式である。アーチェリーの弓の形である
- 反曲弓
反曲弓は弦をはずしたときに、背の方につよく反曲する弓で、弦をはれば中央部と両端とが逆の方向に彎曲する。
弓の構造による分類
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丸木弓
丸木弓は1本の材料をそのまま削って作る。直弓には丸木弓が多い。
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合せ弓
木・竹・骨角など各種の材料をはりあわせて作ったもので、彎弓には合せ弓が多い。このことは、直弓と彎弓がまったく異なる系統であることを示している。
奈良の正倉院の弓は丸木弓で、樋があるものがある。『東大寺献物帳』の中には合わせ弓の彎弓がある。
(ゆづか)の位置による分類 (弓の手で持つところを「
」あるいは「握り」という。)
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が弓の中央にある弓
日本以外の彎弓に多い
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が弓の中央よりやや下方にある弓
日本では直弓でも彎弓でも、が弓の中央よりやや下方に偏っている。
銅鐸の絵画にみる弓がそうであるし、『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のことを指しているのであろう。
弓の長さによる分類
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長弓 長さ2m以上 直弓である場合が多い。
奈良県の唐古鍵遺跡から、長さ2m前後の長弓が出土している。
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短弓 長さ1m内外 彎弓である場合が多い。
■ 日本の弓
直弓で、
(ゆづか)が中央よりやや下方に偏っている。
『清水寺縁起絵巻』には、アテルイに率いられた蝦夷の軍は半弓形弓を使用し、坂上田村麻呂が率いる
大和朝廷軍は、
が中央よりやや下方に偏っている長弓を使っている場面が描かれている。
おなじ日本国内なのに、蝦夷と大和朝廷では、まったく異なるタイプの弓を使用している。
(ゆづか)が中央より下方に偏っている理由について、金関丈夫は次のような興味深い考えを提出している。
長弓は長矢を必要とするところから発生する。長い矢は空中では不利だが、メディアムが濃厚な水中を貫通するには有利であり、必要である。
長弓は多くの原始民俗で射魚の風習に伴っている。中国でも古く射魚の風習があったことが多くの文献に残っている。
中国西南民族、台湾の山地人にもあり、日本でも西日本には、薩南や奄美の島々に、つい最近までこれがあった。
短下長上のにぎり方は、前下方をねらう射魚の場合、その弓を傾けるに有利なにぎり方である。
■日本周辺の各国の弓
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彎弓
アイヌ、モンゴル、朝鮮、ペルシャ、ブータン、タイ、ニューギニア、
アメリカ大陸(原住民)
- 直弓
日本、台湾、中国南部の一部、フィリッピン、インドネシア
日本と同じタイプの弓の分布をみると、日本の弓は、中国南部やインドネシア方面の民族によって伝えられた可能性が強い。
これは、上古日本語と、インドネシア語やカンボジア語の基礎語彙に、偶然以上の一致がみられるという言語学上の知見とも整合する。
■毒矢
アイヌは毒矢を使った。毒矢については、毒物学の石川元助氏の次のような見解がある。
キンポウゲ科のアコニツム属植物を矢毒につかう伝統は、北海道と沿海州、樺太、アリューシャン、アラスカ半島に、西南へは、中国大陸を通って、雲南、四川、さらに、ネパール、ブータンにのびる。
毒矢文化の起源は、ヒマラヤとみられる。毒矢文化をアイヌの祖先集団に伝えたのは、婁(ゆうろう)族であろう。
『毒矢の文化』紀伊國屋書店 1965