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第266回
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1.弥生文化の起源 |
■ 新しい弥生時代の年代
2003年5月、国立歴史民族博物館(歴博)の研究プロジェクトが、弥生時代の開始年代を従来よりも大幅にはやめて、紀元前10世紀とする研究成果を発表し議論を巻き起こしている。 弥生時代の定義は、本来、弥生土器が用いられた時代とされてきたが、歴博は、水田稲作農耕が行われた時代を弥生時代と定義している。 歴博の研究成果は、新しい炭素14年代測定法(AMS)によって、従来、紀元前5世紀頃に始まったとされてきた水田稲作農耕の開始を、紀元前10世紀頃に遡らせるものである。 歴博は、各地の考古学研究者から年代測定用の資料の提供を受けて、2年間に1600点の年代測定を行った。 しかし、歴博の新年代については、かなり多くの批判がある。 たとえば、考古学者の橋口達也氏は、『甕棺と弥生時代年代論』のなかで、歴博の年代だと、通常、数十年と考えられる一形式の甕棺の継続期間を、何百年にも引き延ばさないといけなくなる。として歴博の新年代を批判している。 また、九州大学大学院の田中良之教授の研究グループは、論文「弥生人骨を用いたAMS年代測定」のなかで、北部九州の甕棺から出土した人骨などをAMSで測定した結果は最も古いもので紀元前600年頃となり、従来の甕棺や土器による時代区分と一致したとする。 歴博の測定は、土器などに付着した「スス」を資料としている。ススには燃料となった樹木の成分も含まれるので、注意が必要だろう。 日本は海洋国なので、測定値を実年代に変換するための較正曲線が、ヨーロッパ内陸部のデータによって作られていることによる誤差が含まれる可能性がある。 また、長い時間をかけて循環する海水が炭素プール(リザーバー)になり、その影響で実際よりも古い年代を示す海洋リザーバー効果の影響も懸念される。 なお、歴博の研究は、弥生時代の中期以前、とくに前期の年代が、従来と変わってくる。弥生時代後期の邪馬台国の問題にはあまり影響がない。 |
2.稲作の渡来ルート |
稲作の渡来については、大きく二つの考え方がある。
考古学者の多くは、稲作が朝鮮半島から渡来したとする。 文献史学者、民俗学者、植物学者は、稲作は中国江南地方から渡来したとする。 ■ 稲作朝鮮半島渡来説 稲作が朝鮮から渡来したとする根拠
■ 稲作南方渡来説 稲作が中国大陸から直接渡来したとする説には次のような根拠がある。
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