日本の原始的な神道はどのようなものか。これについてもいくつかの説がある。
- アニミズム的解釈
本居宣長は『古事記伝』のなかで、「神」について次のように述べる。
人はいうまでもなく、鳥獣木草のたぐい、海山など、そのほか、なんであろうと、つねならずすぐれた徳があって、おそれ多いものをカミというのである。
原始人や子供は、動くものはすべて命または心をもっていると考えるアミニズム的傾向を持つ。
本居宣長の解釈は「神」という語ののもつアニミズム的な側面にやや重点を置いているように見える。
中国語の「神」という文字は、日、月、風、雨、雷など、自然界のふしぎな力をもつものを指した。
日本語の「カミ」という概念に、中国の「神」という文字をあてはめた人は、日本語の「カミ」は、中国語の「神」にあたる、ややアニミズム的な性格をもつものと判断していたようにみえる。
古来からのアニミズムの精神は『古事記』『日本書紀』の神話伝承の中にも生きている。
たとえば、『日本書紀』の天孫降臨の場面には、「草木咸(ことごとく)に能(よ)く言語(ものいふこと)有り」と記され、草木がそれぞれ精霊を持ち、ものを言って人間をおびやかすというアニミズムの世界が描写されている。
また、大祓の祝詞のなかにも、「語問いし磐根(いわね)樹立(こだち)、草の片葉も語(こと)止めて」と言う記述があり、ものを言っていた岩や木立や草の葉がしゃべるのを止めたことが描かれている。
ラオスやタイでは、草むらや樹叢に住むピーという聖霊への信仰がある。ピー信仰は、草むらや林に神がいるとする日本の神信仰とまったく同じである。
ビルマでは、山川草木などに聖霊ナットがいるとする。ナット信仰も基本的には極めて類似した民俗宗教である。
魂よばい(招魂、呼魂)という習俗がある。死者の出た家の屋根に登り大声で亡くなった人の名を叫び魂を呼び返す風習である。
魂よばいはラオ族、タイ族をはじめ、クメール族のなかに広く行き渡っている。そして、魂よばいは日本にもまったく共通の習俗があり、明治時代まで広く行われていた。
『魏志倭人伝』に記される日本の「たべもの」「きもの」「いえ」の原型は、東南アジア諸民族のそれときわめて似通ったものであり、アニミズム的な感性を含めた基礎文化のパターンが、古い時代に東南アジア方面からわが国に伝えられ、連綿と現代まで受け継がれてきたように見える。
- シャーマニズム的解釈
天照大御神は大日貴(おおひるめのむち)とも号されたと『日本書紀』に記されている。
「大」と「貴」は文字通りの意味であるが「日(ひるめ)」については、折口信夫のように「日の妻」すなわち太陽神を祭る女性であり、シャーマンであると解する学者もいる。(井上光貞氏『日本の歴史1』)
シャーマンとは神や聖霊などの超自然的存在と直接的な関係に入る方法を知っている男性または女性ということであり、シャーマニズムはさまざまな現象に超自然的、霊的な存在を認めるアニミズムを基盤として成立している。
日本では、前述のように古代から近代まで、神憑りした女性の話がある。神憑りは憑依現象の一種で、神霊が人間に憑くことは、シャーマニズムの基本形態である。
- 人格神、祖先神的解釈
アミニズム、シャーマニズムを更に発展させたのが新井白石の儒学的合理主義である。
新井白石は『古史通(こしつう)』『古史通或問(こしつうわくもん)』を著し、はじめて神代を合理的、実証的に追求しようとした。
すなわち、「神とは人である。尊ぶべき人を加美(かみ)とよんだのである。(神とは人なり。我が国の俗凡(およ)そ其の尊ぶ処の人を称して加美と云ふ。)」と説いた。
紀元前300年ごろシチリア生まれの神話学者のエウヘメロスは、神話は史実にもとづくとする説をたてた。
すなわち、ギリシャ神話の神々は、人間の男女の神話化したものと説いた。神々は、元来、地方の王または征服者、英雄などであったが、これらの人々に対する尊崇、感謝の念が、これらの人々を神にしたとするもので、神話史実主義(エウヘメリズム)と呼ばれる。
エウヘメリズムは、新井白石の「神は人なり」説に近いといえる。
第二次世界大戦後のわが国では、津田左右吉流の立場から、神話と歴史とは峻別すべしということで、エウヘメリズムは批判の対象とされることが多かった。
しかし、エウヘメロスの考えは、シュリーマンの発掘によって実証された部分があるといえる。
■ 神の語源について
日本語の「カミ」という語は古い時代に発生した言葉である。語源について、確かなことは誰にもわからない。本居宣長も「カミと申す名の義(こころ)は、いまだ思い得ず。ふるく説けることども、みなあたらず」と述べている。
安本先生は、「カミ」という語は、韓国の史書の古代史にしばしばみえる「干」という言葉と、語源的に関連がありそうだと述べる。
『三国遺事』の「駕洛(から)国記」に「我刀干・汝刀干・彼刀干・五刀干・留水干・留天干・五天干・神鬼干などの九干がいて、これが酋長となって民をおさめていた。」と記されている。
ここでは、「干」が酋長を表す語になっている。
また、『三国史記』の「新羅本紀」にも次のような文がある。
「始祖の姓は、朴氏である。諱(いみな)は赫居世で、(中略)即位して、王号を居世干といった。」ここでは「干」は「王」を表しているように見える。
金沢庄三郎は『日鮮同祖論』のなかでツングース満州語やモンゴル語で「君」を意味する「カン」(たとえば「成吉思汗(ジンギスカン)」)や中国語の「漢(好漢、悪漢など)」と結びつくと説いた。
古代朝鮮語で、「尊敬すべき人」という意味であった「干」が、古い時代に日本語に入り、王や君長、酋長などが「カン」と呼ばれ、それらの王や君長などの話が神話化し、伝承化される過程で、天上にあるような身分の高い人の意味から、高天原の「神」などになったのではないかと考えている。
■ 宮と神社
「宮」の「み」は接頭語なので、「や(屋)」つまり、尊い人の住んでいる御殿などを指す。また、
「都」は「宮処」で宮殿のある場所を示す。
宮に住んでいた偉い人が亡くなると、宮が神社になる。
神社は墓ではない。墓は宮とは別の場所に営まれることが多い。
たとえば、畝傍山の南東にある橿原神宮は、北東にある神武天皇陵とは別の場所である。また、宮崎神宮は、神武天皇が東征前に住んでいた宮崎宮があった場所と伝えられている。
大吉備津彦の命は、吉備の山中のふもとに、「茅葺の宮」をつくって住み、この御殿で吉備の統治にあたった。その後、この宮で没し、吉備の中山の頂に墓が営まれたという。そして、「茅葺の宮」の跡に社殿を建て、祖神を祀ったのが吉備津神社の起源とされる。
■ 国家神道
明治維新から第二次世界大戦の敗戦に至るまで、国家のイデオロギー的基礎になった宗教。
神社神道を皇室神道の元に再編成して作られたもので、天皇は天照大御神直系の現人神であり、『古事記』『日本書紀』の天壌無窮の神勅にみえるように、日本を特別に神の保護を受けた神国とした。
日本は世界を救済する使命があるとされ、他国への進出は聖戦として意味づけられた。
昭和10年ごろから、国家神道の教説の増幅がはかられ、「八紘一宇」「祭政一致」などのスローガンが称えられて、歴史・修身などの学科は、国家神道の教義にいっそう近くなった。
敗戦後の昭和21年1月1日に、天皇みずから神格否定の勅語を発し、制度上消滅した。