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第276回特別講演会
歴博・炭素14年による年代遡上論の問題点  新井宏先生


 

1.歴博(国立歴史民俗博物館)・炭素14年による弥生年代遡上論の問題点

■ 論争によって古くなる年代
  • 石器時代

    昭和6年、直良信夫が明石原人を発掘

    昭和24年、相沢忠洋が岩宿で2〜3万年前の旧石器遺跡を発見。

    平成12年、旧石器捏造事件発覚。岡村道雄の理論に基づいて藤村新一が旧石器を捏造した。

    芹沢長介が捏造遺跡にお墨付きを与えたことで、旧石器時代の年代は、50万年前、60万年前、70万年前まで遡った。

    歴博は旧石器時代の年代が遡上することを一貫して支持。

    小田静夫、町田洋、竹岡俊樹などが、疑問を提示し、韓国や中国の学者からも疑問が出されたが、マスコミを利用して世論を征した考古学会に無視された。

  • 縄文時代

    昭和12年:山内清男は縄文時代について、乱立する諸見解から統一した編年を 行い、縄文時代の始まりを四千年前とした。

    昭和34年:炭素14年代法により、縄文時代の始まりが9.5千年前となった。

    平成10年:三内丸山遺跡の年代が3.8〜5.1千年前

    現在、歴博は縄文の始まりを1.6万年前としている。

  • 法隆寺は燃えたか?

    明治38年(日露戦争の年)関野貞は『法隆寺堂塔非再建論』で、法隆寺は白鳳時代(645〜710年)のものとは思えない。607年に建立された飛鳥時代(592〜644年)の建造物が、燃えずに現存していると述べた。

    これに対し、670年に焼失したとする『日本書紀』の記述を否定するのかという議論になった。

    昭和14年:現在の法隆寺南大門の東にある若草伽藍の発掘で、斑鳩寺の遺構が発見され、現在の法隆寺は再建されたことが実証された。

  • 最初の邪馬台国論争

    九州説の白鳥庫吉
    東大、国際派、文献学派、日露戦争後に、日本は満州を領土とすべきではないと主張。

    畿内説の内藤湖南
    京大、東洋派、実証学派、日露開戦論、

    二人とも国際的な学者。白鳥庫吉は、大和中心の皇国史観にゆさぶりを入れるため九州説を説いた。このころの歴史の論争には政治的な意味合いがつきもの。

  • 弥生時代

    1970年:佐原編年では、弥生時代の始まりはBC200年。近畿は九州から200年遅れると考えていた。
    1984年:森岡編年では、弥生時代の始まりはBC330年。佐原編年の後期は遅すぎるとした。
    2003年:歴博編年では、稲作を開始した弥生時代早期をBC950年、前期はBC800年。

    時代区分 北九州近畿
    1970年代1980年代歴博佐原森岡歴博
    縄文晩期----------
    --BC400--
    --BC210--
    --AD10--
    --AD220--
    --BC500--
    --BC400--
    --BC250--
    --AD50--
    --AD275--
    --BC950--
    --BC800--
    --BC370--
    --BC30--
    --AD250--
    ----------
    --BC200--
    --BC50--
    --AD200--
    --AD300--
    ----------
    --BC320--
    --BC190--
    --AD30--
    --AD280--
    ----------
    --BC730--
    --BC450--
    --AD10--
    --AD250--
    弥生早期
    前期
    中期
    後期
    古墳前期


■ どうして炭素14法で年代が分かるか

  • 大気中の炭素14はいつも一定(本当は違うが)
    宇宙線でできるC14と放射崩壊で減る量がほぼ同じ

  • 光合成で樹木となった炭素14は減る一方(5730年で半分)
    大気中の炭素14がいつも一定なら、樹木や炭の炭素14を測ることでいつ育った木か判る。

  • 以前にはβ線を使って炭素14を一ヶ月ほどかけて測定していたが、最近は微量の 試料でも、AMS法で手軽に測れる。正確さは同じ。

  • 炭素14年は1950年を基準にして何年前になるのかの計算値(BPと表現)。(それ以後は原水爆実験で炭素14の値が影響を受ける)
    しかし本当の年代とはズレがあった。それは大気中の炭素14が一定ではなかったから。
    これを修正する方法の一つが国際較正曲線。

    しかし、弥生時代に相当する2400年前の領域では、グラフが平坦になる部分があり、較正年代が一意的に定まらない。炭素14年代法による弥生時代の年代特定は危うい。(2400年問題)
■ 炭素14はどこで生成され、どこで消滅するのか

炭素14の量がどこでも一定であることが前提であるが、炭素14の生成や消滅のメカニズムを考えると、そうはならない。
  • 炭素14を作る宇宙線強度は、高層で強く地表では弱い。成層圏では、地表面の1.3陪であり、炭素14年代では、数千年新しいことに相当する。
  • 地球磁場の影響で宇宙線は高緯度圏で強く、低緯度圏では軽微。
  • 大気中と海水では、炭酸ガスの交換をしている。海水に長期間貯蔵された炭酸ガスは、炭素14が500年分も少ない。
  • 炭素14は高緯度高層で生まれ、低緯度海洋で消える。従って、分布が一様であるはずがない。混ぜるのは簡単ではない。
  • 海の中の炭素14は数百年から千年分ぐらい少ない。魚や海で育つ植物の炭素14は数百年古く出る。
■ 国際較正基準はどこでも使えるか

国際較正基準が、世界のどこでも共通に使えるということはまだ証明されていない。

歴博の見解
  • 大気における対流圏の混合は早く(2、3ケ月)、地域間の大気中の炭素14濃度の違いは、 年平均レベルでは非常に小さい。だからどこでも使える。
歴博見解と異なる事例が多数ある。
国際較正曲線よりも実際のデータが古い側(上側)に偏って出現する例が多い。
  • 南半球は北半球に比べ57年古い。
  • 箱根芦ノ湖のヒノキ:AD50〜150年、30〜50年古い。
  • トルコの木材:BC800〜750年、60年ほど古い。
  • 中国長白山の樹木:AD1050〜1130年、80年ほど古い
  • 中国戦国墓など:100年ほど古い
  • 歴博の弥生前期のデータ:BC750〜450年、30年古い
何でも混ぜることは難しい、やはり大気は混ざっていないのではないか、炭素14濃度に地域差があるようだ。

エジプト考古学界では、炭素14年は考古学が与えた年代よりも200〜300年古く出るとして論争中。

イスラエルでも、炭素14年は考古学の年代より200〜500年古く出ている。



■ 歴博の発表経過を追いかける。
  • 2003年5月
    「弥生時代開始、紀元前10世紀」と新聞発表。
    弥生時代前期の炭素14分析値が前800〜900年ごろに集中するので、早期は前10世紀に遡る とした。
  • 2004年4月
    非公式に『季刊考古学』に論文発表、データ公開。
    学会発表ではないので内容のレビューはされていない。

  • 2005年4月
    やっと公式報告書。
    弥生早期のデータは、前10世紀のものが1件もなかったが、歴博は前10世紀説を訂正しなかった。

  • 2005末
    考古学会の代表的な雰囲気を大貫静夫が提示(最近の弥生時代年代論)。
    九州の考古学者は歴博説に同意せず。
    しかし、弥生年代遡上は走り出している。

新聞発表時のデータを国際較正曲線によって実年代に換算すると、BC800年付近に定まりそうだが、その後の新しいデータでは、較正曲線の平らな部分と交差し、弥生早期がBC500年付近とぶつかる可能性すらある。縄文晩期の突帯文土器の付着物を分析したが、更に新しくなった。


歴博のデータは、弥生時代中期・後期も何百年も古く出ているし、さらには古墳時代も100年ほど古く出ている。

■ なぜ炭素年代は古く出るのか

  • 空気の混合する速度
    歴博は、炭素14に濃度差があってもすぐ混ざり合ってしまうという見解だが、空気はそんなに簡単に混合しない。4000m動くのに2ヶ月ほどかかるというデータがある。

  • リザーバー効果
    海の中の魚、貝類、海藻類などは皆500年ぐらい古くでる。これらの物を土器の中で煮たり、たきぎに使ったりすれば、当然、炭素14年は古く出る。

    リザーバー効果は誰でも知っている。リザーバー効果が影響しているかどうかはある程度推定できるが、完全に除去されたかどうかの判別は難しい。

    歴博はリザーバ効果は除けるとしているが、100%除去できたかどうか疑問がある。

  • 緯度効果
    炭素14は、高緯度成層圏で生まれて、低緯度の大洋海水に吸収され、海の中で消滅する。従って低緯度の地域では古く出る。

  • 海岸効果
    海水中の炭素14年は400〜1000年古く、海岸はその影響を受けるので年代が古くでる。日本列島には台風などで海洋上の空気が運ばれてくるのでアメリカやイギリスなどに比べると古くなる。炭素14の権威、学習院大の木越邦彦氏は40年前にこのことを指摘している。

    また、木越氏は、アメリカの樹木と日本の屋久杉の炭素14に約1%の違いがあり、年代にして80年ほど差が出ることも指摘している。歴博は日本の樹木の炭素年代法測定は国際較正曲線に一致すると言い続けていたが、最近、弥生末期〜古墳初期は国際較正基準より100年ほど古く出ることを認めた。

    北部九州の古い遺跡は海岸が多い。歴博が新聞発表したデータの大部分は菜畑遺跡、梅白遺跡、橋本一丁田遺跡の資料である。これらの遺跡は海岸のすぐ近くにあり、そのために古い年代が出ていると思われる。
  • 高度による効果
    • 成層圏の炭素14比は地上の1.3倍で、炭素14年が2400年も新しい。
    • 相馬上空(1400m)炭素14比が1.3%高い → 炭素14年で290年新しい。
    • 名古屋上空(8800m)炭素14比が7.8%高い。 → 炭素14年で620年新しい。

    標高が1000m上がると100年ほど新しい炭素年になる。 国際較正曲線は高度1000m〜3000mの樹木で作られているので、平地の資料では炭素14年代に差が出てくる。注意が必要。

  • 土器付着炭化物効果
    理由は良く判らないが、土器付着炭化物は古く出る。

    土器内外で差があり、内側の方が古い値が出る。土器自身に含まれる成分の影響なのか。

    ■ 考古学界の弥生年代遡上論

    • 青銅器が弥生時代を決める
      朝鮮半島の松菊里遺跡は、弥生時代前期初めと併行する遺跡である。松菊里遺跡の年代は、ここから出土した遼寧式銅剣の年代で決まる。中国遼寧省小黒石溝遺跡から出土した最古の遼寧式銅剣の時期と松菊里の遼寧式銅剣の関係から、松菊里遺跡の年代、弥生前期の始まる年代が決まってくる 。 研究者によっていろいろな見解があるが、概ね弥生前期初頭はBC700年頃になりそう。

    • 気象変動による弥生早期年代論(甲元真之)
      北九州では縄文晩期の黒川式土器と弥生早期夜臼式土器の出土層の間に寒冷期特有 の砂の層が形成されている。その境界はBC8世紀末になる。

    ■ 鉛同位体が示す弥生中期の始まり

    • 弥生初期の青銅器(細形銅剣・銅矛・銅戈・多鈕細文鏡、菱環型銅鐸)は極めて特異 な鉛同位体比を持つ。
    • この種類の鉛同位体比は殷周期以前の中国にしか見られず、春秋以降には皆無である。
    • 似ている鉛同位体比は華北、朝鮮には全くない。
    • この特殊な鉛は、燕国と朝鮮半島、日本で短期間使われたが、まもなく消え失せる。


    春秋期以降まったく例のなかった商周期の鉛が、500年以上も経って、燕国、朝鮮半島、日本に突如として現れ、短期間で使用が終わってしまった。

    『史記』によると、燕国の将軍楽毅が、BC284年に斉を攻撃して宝物や祭器を奪ってきたことが記されている。この時に楽毅が戦利品として燕国に持ち去った青銅器を原料として作られたさまざまな青銅器が日本に持ち込まれたと考えられる。 戦利品なので継続的な供給が出来ないため、短期間で枯渇してしまったのだろう。

    弥生中期の始まりは、BC284から時差を見てBC250くらいになる。歴博のBC370ほどは古くない。



2.炭素年代法   安本美典先生

昨年5月の考古学協会の研究発表で、歴博は「箸墓古墳から出土した布留0式は3世紀中ごろと考えるのが合理的」と発表した。

しかし、歴博のデータからはそのように結論づけられないことを藪田紘一郎氏などが指摘した。データは幅があるのに、歴博はあたかもピンポイントであるかのように発表していたのである。

この他にも、炭素14年代法による弥生時代の年代についての歴博の研究結果についてはいくつか問題がある。歴博の研究の問題点について述べる。
 
■ 炭素14年代法の誤差

まず、北海道埋蔵文化財センターの西田茂氏のデータをとりあげる。

江別市の縄文晩期の遺跡である対雁(ついしかり)2遺跡の土坑から焼けたクルミが多数発見され、炭素年代法によって年代測定をおこなった結果である。


西田氏は、土坑から同時に得られた20個のクルミ殻と、ひとつのクルミを20個に分割して資料にした。この土坑のクルミ殻は、すべてある年の秋に実ったものと考えられるので、測定値はほぼ同じような数値になるはずである。

しかしながら、20個のクルミの場合も、一個を20分割した場合も、年代測定値は右表や下図のようにばらついた結果となった。

このような状況から西田氏は、「放射性炭素年代測定値を用いた高精度編年は、いますこし再検討の余地がある」と述べている。





上記の測定値を国際較正曲線で実年代に変換すると、ちょうど2400年近辺の平らな部分にかかってしまい、たった一個のクルミの年代が数百年の幅を持ってしまう。

1σの幅で変換すると、BC760年〜BC480年で、280年の幅を持ち、2σだと、BC800年〜BC400年で400年の幅を持つことになる。(下図のピンク色の部分に、手書きで書き加えてある。)

炭素14によって年代を決めるには、誤差が大きすぎるように見える。歴博が意図している炭素14による高精度の編年は、西田氏も述べるように、かなり無理があるのではないか。


 
■ 土器付着物を試料とすることの妥当性

また、西田氏は土器付着物の年代が、クルミや炭化物よりも古く出ることを指摘している。

左図は2004年に報告された対雁2遺跡のデータであるが、たとえば、資料Beta-186241と資料Beta-186229(○印)は、同一生活面の資料であるにもかかわらず土器付着炭化物のほうが640年も古くでる。

また、Beta186242とBeta-186231(△印)も同一生活面の資料だが、土器付着炭化物のほうが、600年古く出ている。

他の遺跡でも同様な観測データが得られている。

たとえば、千歳市のチプニー2遺跡では、炭化物と擦文土器付着物とのあいだに、650年の差が生じているし、根室市穂香竪穴群では340年の違いが現れている。

いずれも土器付着物のほうが古く出る。

これらのデータから、西田氏は、土器付着炭化物は「試料の妥当性」を欠くものであり、これらに依拠する弥生時代の始まりが早まるという見解には賛同できないと述べる。

■ 歴博の問題点

歴博が考古学協会で発表した「弥生時代の新年代」には、藤尾慎一郎氏、小林謙一氏、坂元稔氏をはじめ、総勢11名の研究者が名を連ねている。

これだけの研究者が名を連ね、朝日新聞が報道すれば、一般の人は信じてしまう。

安本先生が、歴博発表の問題点を指摘した『季刊邪馬台国100号』を坂元稔氏に送り、電話で問い合わせたところ、その内容は藤尾氏に聞いて欲しいと言われ、藤尾氏に問い合わせると小林氏に聞いて欲しいと言われ、小林氏は大学の休みの期間でつかまらなかった。

大勢の専門家が名を連ねて、いかにも権威ありそうな発表にみえるにもかかわらず、その内容についてきちんと答える人がいないようである。

歴博のそれぞれの方の述べていることがバラバラで、だれも責任を持て回答する人がいない。遠くから見ると壮大だが、近寄ると蜃気楼のように消えていく。

留意すべきことは、現在、その数は、必ずしも多くはないが、北海道埋蔵文化財センターにしても、九州大学の田中良之・岩永省三氏らのグループにしても、国立歴史民族博物館とは別に、独自にAMS法による炭素14年代測定法による調査を行った人々は、国立歴史民族博物館のグループの得た結論とは異なる結論を得、調査結果に基づいて、歴博への批判的見解を表明していることである。

今後、各種の機関において、もっと多くの炭素14年代測定が行われる必要があるが、そして、多くの討論が行われる必要があるが、炭素14年代測定法は、なお、検討・討論を、これから十分に行う必要がある段階にあり、各調査機関のコンセンサス(合意)を得た結論を持つ段階にいたっていない。

この点、歴博が、みずからの得た結論を早急に信じ、基礎的なデータのつみかさねや、十分な検討・検証よりも、新聞などマスコミへの発表やPRを、とかく急ぐ傾向が見られることは残念である。

多数意見の形成や、宣伝活動は、科学的真実へ至る道とは、すこしルートが異なる。旧石器捏造事件の場合のように、教科書にのるほどの多数意見も、動かぬ証拠写真によって瓦解する。だからこそ、データの積み重ねや、十分な検討・検証がもとめられるのである。科学や学問と政治などとは異なる。

歴博への批判は、そのような点への疑念がしだいに大きくなっていることが、背景にあるように思える。


3.対談  

安本: 箸墓古墳の歴博データでは、ピンポイントで年代は決まらず幅を持つと思うのだが、歴博の藤尾氏に問い合わせたら、ベージュ統計でやれば決まると言うことであった。

ただし、この手法については、弥生時代はじめはやったが箸墓ではこのような分析をやっておらず、詳しくは小林謙一氏に聞いて欲しいと言うことであった。

2つ問題がある。

ひとつは、箸墓古墳については明らかにピンポイントで年代が決まるようなことを、歴博はなにもやっていないことである。

二つめは、歴博の方法で本当にピンポイントで決まるのかという疑問がある。

寺沢薫氏の報告書では箸墓から出土した桃の種はずいぶん新しい年代が出ていることを話すと、藤尾氏の回答は、そのような値は異常値として除いてあると言うことである。

他のデータと200年ぐらい離れた値は異常値として除くのが歴博の基準のように見える。

他のものとちがうということで異常値として取り除いてしまうと、たとえば、箸墓で桃の種が数十個も出てきたら、数の多い桃の種が正常値になり、それまでの土器による正常値は異常値になってしまう。

異常値を除く基準がはっきりしていないし、基礎的データがしっかりしていないので、歴博のやり方では、年代をピンポイントで決めるのは難しいのではないか。

新井: 年代は普通は幅を持って推定する。弥生の最も古いのがBC1000年で、縄文のもっとも新しいものがBC500年になりそうなら、この間はオーバーラップしていると説明する。

歴博の発表は、弥生時代はどこまで遡るか、ということなので、弥生の一番古いところを示してやればよかった。しかし、縄文土器を測定すれば、かなり新しい年代も出てきてしまう。縄文の終わりを弥生時代の始まりにするということも歴博は出来なかったので苦労したのだと思う。

歴博は一番古い年代をピンポイントで定義しただけである。歴博はこの後発表した論文で、歴博が弥生時代と定義した期間に現れる縄文土器は弥生時代に属するはずなので弥生土器と見なすということを書いている。まったくおかしな話で笑ってしまう。

安本: 試料は前処理の際の収率(炭素含有率)が低いと古い年代が出るので、歴博では、試料の収量が10%以下のものは原則として測定しないとしている。

そうすると、10%以上は測定対象になるということだが、しかし、10%以下がダメなら15%、20%がOKという保証はない。収率10%以上でも土器胎土などのミネラル分の古い炭素の影響は残るのではないか。

新井:収率10%以下をなぜ測定対象から外したかというと、10%以下だと200年ぐらい古く出るから。10%で200年なら20%ならどうなるかというのは算数のカテゴリになるが、100年ぐらいは出るかも知れない。30%でも何十年か出るかも知れない。

名古屋大学は炭素14年代の発表の際は収率も発表している。歴博は公表していない。

安本:土器とクルミのように素材が違うとデータが違ってくる。素材差が大きく出ているのに、素材差の理由を十分検討することなしに異常値として取り除いてしまうのは問題ではないか。

新井: 安本先生の云うとおり。歴博は考古学者なので土器が多い。たまに木材や米粒を測定する。土器と同じ所から出た米粒を比較すると、100年ぐらい土器が古く出る。理由は別として状況が違うとシフトが出る。検討が必要。

安本:海洋リザーバー効果について精度はどうなのか

歴博の坂元稔氏が執筆した「炭素14年代法の原理」によれば、海洋生物は平均して400年古い炭素14年代を示すことが報告されており(グローバルリザーバー効果)、試料へのリザーバー効果の影響を識別するには、δ13C(標準試料に対するサンプルの炭素13の比率)が一つの手がかりになる、とされる。

δ13C の値がいくつならリザーバー効果で何年古く出るというような回帰式のような関係式はないのか。

新井:歴博はδ13C の値が2.4% を割ったら信用しないとしている。安本先生の提案はアイデアとしてはおもしろい。ただ、あまり異常な値はどこかで切った方がよい。

安本:年輪年代法なら相関係数を出して、それを有意性検定から判断する。ウイグル マッチングではそのような方法はないのか

新井:原始データが持っているバラツキを取り込んで似ているものを探す操作は可能 だが実際にはやっていないと思う。

2つのグラフが似ているかどうか、2つのグラフを重ね あわせて年毎にずらしながら、ずれ方の評価の基準(二乗誤差の合計)が一番小さな ところが確立が高い。確率分布でやっていると思う。

一づつのデータでやる方が良いように思われるが精度が上がるかというとあまり期待できない。

ウイグルマッチングは200〜300年でパターンを合わせるなら威力があるが、実際のウイグルマッチングをやっているのは50年か100年がせいぜいであり、その中で凸凹のきれいなものが2,3個そろえばいいと思っているのだろう。




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