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第302回 邪馬台国の会
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1.仏教伝来年論争(538年か、552年か) |
■仏教公伝 『日本書紀』では仏教を受け入れるにあたり、豪族が対立したとあり、 ●538年説 ●552年説と538年説の両説について、比較検討する。 しかしこれに対し、戊午年が欽明天皇の年になる説がある。①②とも、欽明天皇7年が戊午年[538年]となる。 ・安閑天皇・宣化天皇の母は尾張の豪族の娘の目子媛(めのこひめ)。かつ、『日本書紀』の記す在位年数では、安閑天皇は2年、宣化天皇は4年である。いずれも、短い。いっぽう欽明天皇の母は仁賢天皇の皇女手白香媛で、血筋がずっとよい。安閑天皇・宣化天皇については、中つぎ的な人(幼年の正式の後継者[のちの欽明天皇]が成長するまで一時的に政務をとった人)で、正式な天皇として認めないという考えもあったのではないか。 また、家永三郎氏の『上宮聖徳法王定説の研究』(三省堂1951年刊)には他の文献
●結論 ・仏教伝来538年説は、『日本書紀』は信用できないという暗黙の前提のうえに成立しているように思われる。 このようなことから、仏教公伝の『日本書紀』記述の552年説でも良いように考える。
■仏教公伝以前の伝来 ②三角縁仏獣鏡 |
2.聖徳太子実在非実在論争 |
■聖徳太子非実在説の波紋 『隋書倭国伝』『日本書紀』『天寿国繡帳銘』、法隆寺法隆寺諸像の光背銘などいわゆる聖徳太子関係史料すべての信憑性に疑義を呈することにより、「聖徳太子は存在しなかった」と結論した。この刺激的でかつ誤解を招きやすい結論は、発表当時から大きな反響を巻き起こした。 ・大山説の概説 A:『隋書倭国伝』に見える「王、多利思比孤(たりしひこ)」「倭王」とは厩戸皇子のことではなく、蘇我馬子のことである。よってそこに見える仏教事跡を厩戸皇子に帰することはできない。 B:『日本書紀』で厩戸皇子の仏教行業として記されている事績も、他の仏教関係記事同様ほとんどすべて道慈(どうじ)[奈良時代の僧]による捏造である。 C:法隆寺金堂薬師像・釈迦像の光背銘や『天寿国繡帳銘』『三経義疏』(以上いわゆる法隆寺刑史料)、あるいは『上宮聖徳法王定説』『法起寺塔露盤銘(ほっきじとうろばんめい)』といった『日本書紀』より古い時期の別系統の厩戸皇子関係資料とされてきたものは、いずれも『日本書紀』以後に政治目的から創作されたものであり、記されている内容は史実とは無関係である。 D:今日なお学界で流布している聖徳太子像は、『日本書紀』によって創出された原型が、「C」で挙げた後世の創作物によって肥大化して形成されたものである。 E:したがって厩戸皇子の仏教事跡として認め得るのは、斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)の造営くらいしかない。 ・聖徳太子はいなかった ■それに対する反論として、 市川寛氏の「『御字』用字考」[『季刊邪馬台国』67号に転載(1999年)]による研究から、 以上から、大山氏の主張する『日本書紀』以後の捏造とは言えない。
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3.『法華義疏』は聖徳太子の自筆の本か否か |
聖徳太子撰になる三経の義疏の実在について、記した最も古い資料は747年(天平19年)の法隆寺伽藍縁起并流記資材帳で、次いで761年(天平宝字5年)法隆寺東院縁起資材帳である。法隆寺東院縁起資材帳では『法華義疏』の注に「正本者、帙(ちつ)[和とじの本を包むおおい]一枚、着牙、律師法師行信、覓求奉納者」とあり、僧行信がこれを探し求め奉納したものであると記している。 ・聖徳太子の『法華義疏』の大委国 ・東野治之氏「ほんとうの聖徳太子」(『日本列島に生きた人たち』岩波書店2000年6月)によると、 また、疑撰説には、法隆寺に撰者不明のままに伝えられてきたものに747年に寺の資材帳提出のさいに、「上宮王私集」という題箋(だいせん)を付したものであるとする説がある。 これに対し、『法華義疏』をみると、「大委国上宮王私集非海彼本(大委国[やまと]の上宮王の私集、海彼[かいひ](外国)の本にあらず)」という、題箋の筆跡は本文と同じようにみえる。別人が後から題箋をふしたようにみえない。(例えば、「是」「非」の字を比較)
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4.「唐本御影」は聖徳太子像か否か |
「唐本御影」は聖徳太子が真中にいて、その両側に王子がいる。昔の一万円札はこの絵の図柄からを使用したものである。肖像画の真偽が問われるのは源頼朝、足利尊氏などの議論と同じである。 武田佐知子氏は「『唐本御影』は聖徳太子像か」で聖徳太子像であるとする説。ただし三尊形式の信仰の対象画説。これは法隆寺金堂釈迦三尊像と同じで信仰の対象するもので、聖徳太子を写実的に描いたものではないとしている。
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5.文献批判説について |
「何々は存在しない」とした、論理構造 津田史学は非生産的な水かけ論をもたらしている
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