TOP>活動記録>講演会>第321回 | 一覧 | 次回 | 前回 | 戻る |
| ||||
第321回 邪馬台国の会
|
1.纒向学への招待 -纒向遺跡と初期ヤマト王権- (寺澤薫先生) |
■開会の挨拶(内野会長) さすがに寺澤先生の人気はたいしたものです。今日の会場は超満員となりました。少しご迷惑をおかけしますがご容赦下さい。 お陰様で、今年で30周年となり、会員も1500名になっています。
・纒向遺跡の土器 ・箸墓古墳と石塚古墳 ・纒向型前方後円墳の広がり
・纒向遺跡はヤマト王権の最初の大王都
・王権誕生による社会変革
・イト国から纒向王権
・国家の成立
・条坊都市
|
2.箸墓古墳の年代(安本美典先生) |
日頃、寺澤先生の論文、著書は九州説、畿内説を問わず、参考になる内容が多いと思っている。 確実な根拠がないため、たとえば、布留O式とされている箸墓古墳の築造年代でも、考古学者によって、次のように、およそ百年ぐらいの幅で異なる。 ①四世紀の中ごろ(西暦350年前後) 寺沢薫氏は、土器の編年を、西暦の実年代にあてはめることの難しさについて、箸墓古墳の「布留0式期」(布留0式という型式の土器の行なわれた時期)に関連して、つぎのようにのべる。 白石太一郎氏 国立歴史民俗博物館の館長であった考古学者で、亡くなった佐原真は述べている。 纒向遺跡はおもに、第10代崇神天皇~第12代景行天皇ごろの関連遺跡ではないか? 寺澤薫氏は『箸墓古墳周辺の調査』[奈良県橿原考古学研究所2002年刊にて、次のようにのべておられ、もっともなことだと思う。 |
3.寺澤先生が質問にお答えする |
①会員からの質問:箸墓古墳、ホケノ山から出土した桃の種からC14年代法は出たのでしょうか? ②安本先生質問:纒向遺跡で、崇神、垂仁、景行天皇の古墳は近いところにあり、箸墓古墳も比較的近くにある。『古事記』『日本書紀』では倭迹迹日百襲姫命と大吉備津彦命は姉と弟の関係とかかれている。『陵墓要覧』では箸墓古墳のとなりに大吉備津彦命の中山茶臼山古墳が記載されている。箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命の墓とされており、中山茶臼山古墳は吉備津彦命の墓とされている。中山茶臼山古墳は崇神天皇陵の1/2のスケールである。この二つの古墳は何ら関係があるのではないか。 纒向年代について、どのように求めるか説明すると、九州の鏡から九州の土器の年代を推定しその暦年代から、九州と吉備や伊予の土器の平衡関係を求め、次に吉備や伊予と近畿の土器の平衡関係からもってきており、膨大なデータから求めたもの。そのため、他の考古学者と比べ、纒向年代が新しくなっているはず。 その他の内容もありましたが省略します。
|
TOP>活動記録>講演会>第321回 | 一覧 | 上へ | 次回 | 前回 | 戻る |